「始まりは上々。
でも今回ばかりは黒江さんにも動いてもらわなくっちゃねぇ。
聖さんの抱え込んだ問題も大きいからねぇ」
それはアリスに次の行動を起こさせる切っ掛けとなるのである。
スッと。
アリスは朝の人気のない学校で有珠の机の中にノートの切れ端にメモを入れてスゥと姿をくらませた。
そして学校にやって来た有珠はその手紙を見て…驚く事になるのだった。
―足りないピースは中古楽器店のジャンクスペースに―
―吹奏楽部の指導員は誰が為に指導するのか―
意味ありげな言葉。
それが何を指しているのかを有珠は肌で感じていたのだから仕方がない。
少なくとも楓がトランペットを失う事になった理由は偶然ではなく。
必然だったとその手紙の文書は物語っていたのである。
「内容がどうであれ…ともかく動くほかないでしょうね」
そう結論付けた有珠は一つ目のヒント。
足りないピースを探しに楽器店のジャンクスペースに向かったのである。
そこには楓のトランペットと同じメーカーの物が積み上げられていた。
「まぁ…こっちは簡単な事よね…」
そのまま壊れたトランペットを工藤楽器に届ければ。
紘一と集は凄まじい歓迎をする事なったのだ。
「そうこれだよコレ!ここの部品が!」
「やっぱり同じ材質じゃないとな!」
「え、えと喜んでもらえたみたいで嬉しいわ…
その修理は…半月で終わりそう?」
「ああ!これでチューニングに入れる!
ちゃんと修理できる」
「やりましたね師匠!」
「ありがとう弟子!」
短期間ではあるものの確かに集と紘一は熱い友情を交わしており、
素晴らしい男同士の友情は有珠が見ている分には、
とても暑苦しい物となっていたのである。
その一番時間がかかるとされていた調律。
そして紘一の手によって修復されたトランペットの音の出方。
形が出来ても所有者が満足できる理想の音が出なければ修理は失敗なのだ。
そこから紘一は学校もさぼり寝る時間も惜しんで調整を始めた。
だがどれだけ滑りを良くしてもバルブを調整しても物足りない。
所有者でない紘一自身が旨く音を作れないのだ。
長年愛用していた楓ならどう演奏しても苦しい音しか出ないだろう。
今はないメーカーの楽器の特性はどうしても調整しきれない。
「くそぅ…何が悪いってんだよ」
「苦戦してるようだな?」
「親父…音が出ねぇよ」
「そうだな。だが調律にも限界はある。
どうしようもない部分が出て来た時、
続けるか妥協するかは「預かったお前」が決める事だ。
…悔いが無いようにな」
「…ああ」
解からない調整の迷宮に迷い込んだ紘一はこのまま、
解からない答えを求めて迷走しそして時間をかけての調整を始めるつもりだった。
しかしその難しい答え探しに対して唐突に答えが付きつけられる事になったのだ。
それは楽器を知らない集だったからこその事であり、
アリスから覚える様に言われていた数字との不合。
「し、師匠!この図面を…数値を見てくれ!」
構造を知るために図解に書き込んでいた大きさの数字。
その数字は集が覚え込まされた数値に極めて近かったのだ。
何処で使うのか解らないけれど重要な数字と言っていたアリスのヒント。
それを組み合わせればその数字は足りない部分を浮かび上がらせる。
恐らくこの数字はトランペットを直すうえでの理想の値ではないかと。
集は考えついてしまったのだ。
だが問題はそこからである。
「…弟子よ。どうしてこの数値がどうした? 」
だがその気づきはあくまでアリスが「叶える者」である事を知っている。
理解不能な中二病の超常的な計算結果からの答えの数字を信じられるかどうかなのだ。
只の誤差にしか見えない数字に紘一が数値を合わせるかどうかは別の話である。
集は固まるしかなかった。
どうすればこの数値が正しいと説明できるのか…
だがそう難しい問題にしない事に集はしたのだ。
「師匠ミステリアスな美少女が師匠の為に用意してくれていたんですよ!」
「…そうなのか?その謎の少女とは一体?」
「師匠!弟子を信用してくれ!長い修行を共に乗り越えて来た仲じゃないか!」
「…そうだったな。
俺達は苦楽を乗り越えた仲だった!
なら俺は弟子の感性を信じるぜ!
考えている時間ではないな!
ありがとう謎の少女!集調整を続けるぞ!」
「はい!」
その数字は予想通りであり進まなかった調整が劇的に進む事になったのだ。
数値通りに調整すれば楓にとって理想の音を出すトランペット。
それでも約束の完成日前日の深夜まで調整はかかったのである。
だがそのトランペットの出来栄えは最高の一品となった。
紘一の処女作としては信じられないほど良く復元されたのである。
「出来た…」
「おめでとうございます師匠!」
「ありがとう弟子よ!」
「使ってもらうと良いでしょう!」
「ああ!」
こうして怒涛の2週間を過ごした集と紘一は楓に連絡を入れると。
すぐに楓は有珠と一緒に工藤楽器店に来店したのだった。
「あの…直りましたか?」
預けた時のようにカウンターの上に置かれた楽器ケース。
楓が長年大切にしてきたものであった。
スッとその楽器ケースに触れようとする楓をけん制して紘一は首を横に振るう。
そして真剣な表情で説明を始めるのである。
「短期間で俺が尽くせる術は全て使わせてもらったよ。
それでも最後この楽器が「直った」と判断できるのは俺じゃない。
最後に自身の手と耳で体感して判断してくれ」
「…はい」
そうすると隣接する調律用の防音室の扉を紘一は開けたのだ。
その扉の先には…
「あ…あぁ!私の、トランペット…」
ほとんど全壊していたトランペットは紘一(集も手伝った)の手によって見た目上は元通りになっていたのである。
「さぁ…使ってみてくれ」
「はい!はいっ!」
防音室内でのトランペットを構え演奏を奏でる楓。
それはもう思った通りの音を奏で、楓の思うがままに音を出してくれる。
正に楓だけに調整された楓だけのトランペットであった。
失ってもう戻ってこないと思っていた大切な楽器。
もう一度自身の手に取る事が出来て。
思うが侭に奏でる事が出来る喜びを感じた楓はそれだけで…
数日間の苦悩が吹き飛んでいた。
「私はまだ…まだ辞めない…」
防音室の中で演奏を奏でる楓。
それに合わせる様に紘一も予備の調整用の楽器を手に取る。
それは楓に合わせる様に音を合わせたのだ。
その日から楓が演奏する場所が一か所増えた。
楓と紘一はこれから幾度となく二人の時間を創ることになったのである。
「壊れたらいつでも持ってくるといい。
そのトランペットを使い続ける限り何度だって直してやるよ」
「はいっ!」
紘一の初めての仕事は上々の終わりを告げ楓は泣いて喜び…
二人の関係は色々な意味で始まったのである。
同じ学校でもない。
身近な関係でもなかったからこそ楓は紘一に学校の事を気軽に話せた。
同時にトランペットを演奏すれば紘一がそれに合わせてくれる。
調律用の防音室は二人にとって楽しい時間を共有する場所としても機能して。
二人が特別な関係になるのには時間はかからなかったのである。
楓本人には解らない変化であったが。
工藤紘一と言う安心を与えてくれる存在は楓を大きく変える結果となった。