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第34話


「どうして、聖が辞める事になった?合宿の最期あそこまで上達していたんだぞ」


許可をした特別な特訓。

それに耐えて音を創り上げた楓は顧問の教師も納得できるほどに技量を高めた。

最期の合同練習では勿論満足いく結果だったのだ。

これならソロパートに全体での音質にも納得いくレベル。

後は出来上がったラインに合わせる様に調整して正確性を高めていく練習。

形になったからこその次へのステップアップの段階だったのだ。


「それは…その…」

「ともかく理由を納得いく理由が無ければ退部届を持ってこられてもな。

話は聞けているんだろう?」

「出来ていません」

「あ?どうなっているんだ???」

「もう少しだけ時間をください。必ず聖さんを連れてきますから」

「あまり時間はないぞ。ダメならもう仕方がない。

代役を…補欠を二年から選ぶ。

だがこれは最悪の場合だ聖を何としてでも連れ戻せ」

「…はい」


顧問の教師は楓の退部を認めなかったのだ。

そこで欠員が出るなら自分を選んでくださいとも言えなかったのだ。

そのもやもや感を持ちつつ部の為に涼子は奔走するしかなかった。

楓のいる一年の教室に行って「部活に戻ってきてほしいの」

その一言を言うだけでも涼子は緊張するし。

実際どんな反応を示されるのかを考えると怖かった。

けれど聞かない訳にはいかない。

部内の混乱を治める為にも。

部長としてどうしてもやらなくてはいけない事だった。





放課後になれば未だ祥子と里桜はサックスの練習で屋上へ。

そして残った有珠はのんびりと里桜達に付き合うか資料館へと足を延ばすのが日課になりつつあった。

告白が失敗した以上集との関係はそれ以上進まず。

その日は祥子と里桜を見送った有珠はそのまま資料館へと行くつもりだった。

けれどいつもなら先輩達が来て連れ去らわれる楓は教室にいて。

有珠に声をかけてきたのである。


「有珠。帰ろう?」

「え、楓どうしたの?遅れたらまた先輩が煩いでしょ?」

「大丈夫だよ。もう辞めたから!部活はどうでも良いんだ」


その一言だけでなんとなく有珠は察しがついてしまった。

決定的な何かが部活であったのだと。


「そう。何かあったのね?」

「色々とね。けれどもうどうでもいい事に気が付いたんだ」

「なら、遊びに行きましょうか」

「うん!久々に有珠のヴァイオリン聞きたい」

「え?あ、うんいいけれど解ったそうしましょう」


聴きたいと言うのならそのご要望に応えましょうと言わんばかりで。

有珠は家で演奏を披露する事になったのだ。

早く早くと言いながら急かされる様に帰る事になった有珠。

教室を出た瞬間そこには吹奏楽部の部長である涼子が立っていた。


「聖さんお話をしましょう」

「…有珠帰ろう」

「ええ」


けれど楓は表情一つ変えずに通り過ぎる。

横切ろうとした瞬間涼子は楓に手を伸ばしたのであるが、

その手はパンと軽い音を立てて払いのけられたのだ。

そして楓は何事もなかったかのように有珠と一緒に帰路につく。

その立ち振る舞いは本当に涼子がいない物として振舞っていた。


「まって!このままじゃダメでしょ!少しでも歩み寄りが必要でしょう?」


涼子の必死の掛け声も今の楓には届かない。


「ねぇ有珠今日は何を聞かせてくれるの?」

「そうねぇリクエストは何かあるの?」

「え、そのやっぱりあの…」


楽し気に話す楓の様子に有珠は何も言わずに答えるのだ。

有珠の家についても楓のテンションは変わらなかった。

そこまでくれば、何があったのかを楓が話してくれるまで有珠は演奏をして待つしかなかったのだ。


「いいなぁ…いつもの有珠の演奏だあぁ…」

「そう?」


楓は防音室に設置されていた椅子に腰かけながら有珠の演奏する姿を、

何度となく確認しては「はぁ」とため息をつき。

そしてまた「いいなぁ」「いいなぁ」と相槌の様に声を漏らす。

そして合宿を頑張って指導員と先輩にしごかれながら上手くなったんだよ。

と断続的に言葉を漏らしたのだ…

今一ちぐはぐな説明で有珠としても何を楓が言いたいのか理解するのにも

時間がかかっていた。

けれどその会話も無意味な事だった。


「ねぇ有珠…有珠は自分の楽器に思い入れはある?」

「それは勿論。お父さんが買ってくれたものだし」

「そっか。そうだよね」

「楽器に何かあったの?」


コクリと楓は頷いて…

持ってきた自分自身の楽器ケースの蓋を開けて見せたのだ。

もうその中身を見た有珠は絶句するしかない。


「ははは…私のトランペット壊れちゃった」


楓のトランペットは特別な物じゃない。

けれど有珠や里桜の楽器とは違ってずっと使い続けていたものだった。

壊れるたびに修理に出して消耗品を変えて使い続けてきた事を知っていた。

だからこそ楓にとって「唯一」で「一つしかない」トランペットが、完膚なきまでに壊されていた事に驚きを隠せなかったのだ。


「ねぇ有珠…どうにかして、私のトランペット治せないかなぁ…」

「楓…」


涙を流しながら訴えてくる楓の悲痛な叫びに有珠はどう答えていいのか。

解からなかった。

それでも方法がないとは言えなかった。

何かしかの手段でどうにかボロボロになっている楽器を直したいと。

有珠も考えたのだった。


「大丈夫よ。きっと方法はあるから」


それは希望的な返答でしかない。

それでも楓はその言葉が欲しかったのだ。

持ち帰った楽器を確かめて。

そして一晩かけて直せないかどうかを考えてそれで楓自身ではもう無理で。

後は有珠ならいつもため息をつきながらも何とかしてくれる有珠ならと。

楓は藁にも縋る気持ちでお願いをしたのだった。


「しばらくの間トランペットを預からせてもらえる?」

「うん…」

「大丈夫。お父さんの良くわからない伝手とかを使えばきっと…

きっと直せると思うから」

「うん…」


何とか気持ちを持ち直した楓を元気づける意味でも、

楓はそれから数曲ヴァイオリンを弾き続ける事になった。

それでも帰る時には穏やかな表情になっていて有珠としてはほっとしていたが。


眉を顰めたくなるような形で徹底的に破壊されたと言ってしまっても良いトランペット。

これを直すのは何処に持ち込めばいいのか。

それに頭を悩ませることになるのだった。

直すよりも新しい物を買ってしまった方がきっと安上がりで早い。

それでもこのトランペットには楓にとって掛け替えのない思い出がある訳で…

楓の期待した表情を見てしまうとどうにかしてあげたいと有珠は思うも…


「ここまで壊されたトランペットを直す事…本当にできるのかな」


とにもかくにもまずは製造元に相談するしかないと思って。

有珠は動き始める事にしたのだった。

次の日の教室に楓の姿はなく。

不思議に思った里桜は有珠に楓の事を訪ねたのだ。


「有珠?楓はやっぱり」

「吹奏楽部で大きなトラブルがあってね。

端的に言ったら誰にせいか解らないけれど楓の楽器が壊されたの」

「それは…あの子の楽器は変えのきかない物でしょうから…

ああ、ショックが大きかったのね?」

「ええ」

「なるべく早く元に戻してあげたいのだけれど、里桜は何か知っている?」

「特別な物じゃない事は知っていたけれど。

無名ブランドのハンドメイドだったわね」

「そうなの。

それで何件か修理できないか持って回ったのだけれどね。

買い替えを進められたわ」

「そうなるでしょうね。

思い入れは確かにあるけれどそれは楓にとってだけだから」

「ともかく手当たり次第に修理を依頼できる場所を探すしかないから。

今日も何件か当ってみる」

「そう。わたしもって言いたいけれど」

「解ってる。祥子の指導を優先してあげて。

こっちは何とかしてみるから」

「解ったわ」


有珠のその終わる事のない修理先を見つける日々は続く事になる。

ネットで調べた修理先を手当たり次第に渡り歩き断られる日々が続く事になったのだ。



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