目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第32話

部長と指導員からの特別な指導。

それだけ期待されてそれに応える技量が楓にはあった。

だからこそ周囲は羨まずにはいられない。


「やっぱり聖さんて凄い」

「そうねあれだけ指導員の方が出す指示に的確に音が出せるのだもの」

「あの技量がうらやましい」

「どれだけ言われたってそれを音に出来るのは簡単な事じゃない」


2年3年の先輩達は楓の演奏に聞きほれる他なかった。

性格と協調性に難はあれどやはり楓の腕は認めざるを得ないのだ。

そして厳しく認める事が少ない指導員の先生方が楓をほめちぎる。

時間をかけてでも指導するが価値があると判断しているからこそ、

彼女達はその時までは何もしなかった。

同じパートであり練習する仲間でもあったから。

合宿の中で腕を磨く楓はやる気はともかく腕は上達していくのだから。


「羨ましいな…」

「私達が練習してもあそこまでなれるかどうか」

「ははは…才能って奴かな」

「そうよね。きっと才能よ」


彼女達もまた特別に用意された楓が練習をしている練習室から、

漏れ聞こえてくる音を聞きながら音を合わせて練習をしたりもしていた。

けれど…

容認できない事が…

絶対に認めたくない事が聞こえてきてしまったのである。

それは楓の特訓の小休止の時間。

部屋にこもった熱を排出するための一時的に窓を開けていた時の会話だった。

先輩達もその言葉を聞きたかったわけじゃない。

ただ聞こえてしまったのである。

それは楓と指導員の会話だった。


「私のトランペット返して下さい」

「ダメよ。だってあなた返したらもう部活に来ないつもりでしょ?」

「…」

「それが解っているから返してあげないわ」

「あのトランペットは私にとって特別な物です。

手元に置いておきたいんです」

「それはダメ。だってあのトランペット特殊だからね。

気付いていないと思った?」


それは楓が持つ独特の響きを創り上げた原因であった。

楓のトランペットは特別だった。

けれどその特別は別に特殊な物と言う訳ではない。

楓自身が長年使って来たからの結果だったのだ。

癖が付きすり減った部品の数々に幼い頃ぶつけてしまってそれを直した痕。

そして一部は直さずに使っていたからこその楓に付いた癖。

そのトランペットこそが楓の音楽との付き合った時間であり。

大切な思い出の証拠だった。

けれど「特別」という言葉が誤解を生む事になる。


それは確実に。

そして明確に誤解を生む結果となったのだ。

そこだけを切り取られた言葉は他のメンバーに対して確実に悪意を創り上げた。


「ねぇ…聞いた?」

「私も聞こえたわ」

「え?…どういう事?今使っているのって…」

「そんなことはどうでもいいのよ聖さんが使っていた「特別」があったから、

選ばれたって事?」

「だってそう言う事でしょ?」

「え?それじゃ楽器が道具が良かったから選ばれたって事なの」

「…ナニソレ?え楽器が良かったら?

それなら久遠部長が選ばれたって良かったでしょ?

その特別は楽器があれば部長が選ばれたんでしょ」

「えぇ…ソンナコト許せる?」

「技量があったから特別に指導を受けていたんだって思ってた」

「私もそう思ってたから納得したのよ」

「違うんでしょ?」

「その特別なトランペットがあれば誰だって選ばれたんでしょ?」

「そんなの許せなくない?」

「ちょっとありえない事よね」

「確かめてみましょうよ」

「そうね」


彼女達の会話は進む。

結局その特別が何かなんてどうでもよかったのだ。

選ばれた理由が特別な楽器があった奏者として高い技量を持ったと思い込んだ。

だからこそ確認しないではいられなかった。

幸い?にもそこにいた一人が涼子と一緒に楽器を隠した一人だった。

音楽室のトランペットが保管されているその楽器。

楓の楽器はそのメーカーが用意した特注のケースに収められていた。

汎用品のケースでは無かった。

その出で立ちが更に彼女達が求めた「特別」を強調づける結果となったのだ。

開いて確認してみれば確かに使い込まれ磨かれた綺麗なトランペットであった。

修理痕が残ってはいるもの相まって古さも感じる。

一人の女性徒がそのトランペットを構えて押し心地を確認する。


「…こ、これが特別なトランペット…なの?」

「貸して。私も動かしてみたい」

「う、うそ」

「こんなにも違うの?」


それは確かに普通のトランペットとは使い心地が違う物だった。

時間も時間だっただけに音を出す事は出来なくて。

けれどその明確な違いを感じられるトランペットは確実に楓のトランペットが、どれだけ特別なのかを感じられる位に。

それは彼女達に明確に嫉妬を抱かせる結果となってしまった。

もしも仮にの話ではあるが…堂々と別の場所で楓のトランペットが音を出せたら結果は違っていた。

特別なトランペットとは楓の思い出と使い込みから来る事であって。

それによって音に明確な違いなんて出て来ない。

楓の技量と音の豊かさはトランペットと歩んできた時間に比例していただけ。

幾度となく修理され小さい頃から使い込んでいるからこそ直しきれない部分を、楓は補って演奏して来た。

それが手の動きを歪に動かさせ独特の動かし方になっているに過ぎない。

ただその立ち姿ですら指導員は矯正したかった。

たとえ吹奏楽部を続けたとしても楓は勝手に自分の楽器を使って練習するだろう。

そうすればせっかく矯正してもまたもとに戻ってしまうのは簡単に想像できた。

だからこそ取り上げた以上に返したくない。

楽器は良い物じゃない、

けれど楓本人にだけは特別であり素晴らしい物だったのである。

けれど特別という言葉はその場にいた全員に誤解を生じさせ嫉妬を増大させる結果となった。


「このトランペットが…」

「ずるいわ」

「許せない」

「私達をバカにしていたのね…」


その瞬間押しとどめられないその怒りと嫉妬心は楓のトランペットへとむけられたのである。

暗がりの中。

楽器ケースに戻された楓のトランペットは原型こそ留めてはいた。

けれど部品は抜き取られピストンバルブは歪められ…

指かけはもぎり取られスライドするべき管は歪み動かなくなっていた。


「コレは…私達を騙した罰よ」

「正義の鉄槌なのよ」

「当然の報いだわ」

「この楽器さえなければ久遠部長は…」


自身の正義を貫いた彼女達はトランペットをケースへと戻し…

そして元の場所に隠したのであった。

彼女達が去っていなくなった音楽室に別の人影が現れたのである。

進奏和の制服姿ではない彼女は音楽室に入ると中で物を探し始めたのであった。

そしてお目当ての物を見つけるとその中を確認してニヤリと笑う他無かった。


「本当に思った通りに動いてくれるわね」


その姿は遅くまで楓を熱心に指導し続けていた指導員の女性であった。

ボロボロになった楓のトランペット。

その状態を確認するとケースごと音楽室から運び出し、

楓の教室の教卓の上に置いてその日は去ったのだ。


「さぁ…聖ちゃん。私の為に泣いて頑張って頂戴ね」


全ては指導員が仕組んだ事。

指導員の夢は才能を示した楓に託される。

勿論本人の知らない所で。

そしてその思惑通りに楓の大切な楽器は壊され…

「災厄」の種が作られた。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?