今までいなかった場所にフッと湧いて出たかのように登場されそれでも、
アリスはそう言う存在なのだと納得している集は動じない。
「あぁ、アリスか…宛が外れてしまったからね…」
なんだぁと明らかにがっかりした態度を取る集。
けれどそんな集の考えすら読んでいたかのようにアリスは笑みを隠さない。
それどころか笑い返す余裕すらある。
神出鬼没に背中から現れるアリスに驚く事も既になく。
次の楽器を手に入れる手段を考えを巡らせる。
しかし
「あらつれないわね。
見つけられなかった店の代わりを教えてあげようとわざわざ来たのに」
「それなら住所だけメッセージで送って貰えればいいだけだろ?」
「それで済んだら簡単だったのだけれどね。
辻褄を合わせなくちゃいけないでしょ?」
「うん?」
「未来で青木集が手に入れるはずだったヴァイオリンは特別な物でね。
有珠にとっても大切な物なのよね。
家の楽器収納場所にセットで保管しておいて。
それは有珠の幸せの象徴の様な物でもあったわ」
ぴくんと集はその言葉に声を傾ける事になった。
それは集にとっては初耳の事である。
有珠自身が自分のヴァイオリンを大切にしていた事は知っている。
集も拙いながらも一応であるが有珠の指導もあって弾ける程度の腕はあった。
有珠が母親の愛理珠と一緒に演奏している姿に軽く嫉妬した所為もあるが。
義父と母娘のヴァイオリンの演奏を聴きながらのんびりとお酒を嗜む時間はとても贅沢な時間だったが。
それ以上に音を合わせてみたいと思ったのは有珠をより深く理解できるとか考えたからに他ならない。
そんな訳で集自身も自分用に適当に買った中古のヴァイオリンを持っていた。
集自身はただの「楽器」でしかなかったためにそれ以上の意味はない。
けれど物には魂宿るのだ。
特に職人の手により時間をかけて製造された物には願いと想いが宿るのである。
「奇跡とでもいった方が良いかしらね?
有珠と集が使っていたヴァイオリンの制作者は同じだったのよ。
そして同じ場所で音を合わせていた事で強い想いが宿っていた。
それは有珠を守るための絆となっていたって言ったら…
集は信じる?」
「もちろん信じる」
そこに疑う余地はない。
その部分を疑った時点で集は今この場にいられなくなる。
だから集は疑う事すら忘れている。
「即決で嬉しい限りだけれど。
なら、ここで「今」集が適当なヴァイオリンを手に入れてしまったら?
未来で手に入れるはずだったヴァイオリンは存在しなくなるでしょう」
「そうとは限らないと思うけど?
またその時に買い直せばいいと思う」
「その集がヴァイオリンを買い直すタイミングは今。
有珠と演奏をする時でしょう?
今ここでヴァイオリンを買ってしまったら未来で買うタイミングは、
永遠に来ないのよ」
「まぁ…確かにそう。かも?」
「大切な力が宿ったヴァイオリンが手に入らない。
それは未来で影を落とす事になるけどそれでいい?」
「ダメだ」
「なら。さぁ…買いに行きましょうか」
「おぉ」
少なくともアリスを疑っている暇はない。
選ばなければいけない物が既に決まっているのなら、
それ以上考える必要はなかった。
ともかくそのヴァイオリンを手に入れればいい。
良い未来に結びつくために必要と言われたら集は疑う時間すら惜しかった。
そうしてアリスに案内され店は楽器専門店と言う訳でもなく、
ただのリサイクルショップの楽器コーナーだった。
そしてショーケースの中に綺麗にディスプレイされていたヴァイオリンには確かに見覚えがあった。
自分自身が確かに持って演奏していたヴァイオリン。
見覚えのある大きな傷がありそこそこに使いこなせるようになった時。
その傷を修繕する為に楽器屋に修理に出した記憶がある。
それなりの有名どころのヴァイオリンであるにも関わらず、ある程度の安い値段で売っていた理由はそこにある。
買った当初は素人が練習するものだからと考えて…
けれどそのヴァイオリンを有珠がいたく気に入った事を思い出したのだ。
「…ほしい」
「でしょう?」
ドヤ顔のアリスを見てちょっとだけイラっとした集であるが…
そのヴァイオリンの値段が曲者だった。
曲者と言うか、大地と一緒にした特殊なバイトで稼いだバイト代が吹っ飛ぶお値段だったのである。
いや傷物だからもう少し安くたって…
未来で買った時にはもう少し安い値段だった。
しかし買えない値段ではなし手持ちで買って帰れる値段だったのだ。
「どうする?どうすればいい?」
「買えば良いと思うよ?」
「簡単に言うなよ…」
ヴァイオリンを買うと言う事。
それ即ち有珠を映画に誘うための資金が無くなる事を意味している。
「ま、まだ有珠を映画に誘っていないんだぞ?」
「今、有珠を誘ったって付き合ってくれないわよ。
それどころか空気が読めてないって軽蔑されると思うわ…」
「ぼ、僕は有珠と映画に行きたいんだよ」
なんだかんだ言って手伝う約束をすっぽかした事を覚えていて、
もう一度、謝罪する事を理由に映画に誘おうと打算的に考えていた部分もあった。
「どうしてもと言うのであれば練習に付き合ってひと段落してから、もう一度バイトすれば良いじゃない?」
「そうか。アリス君は頭が良いな!」
「…どうしてかアナタのIQは乱高下して見えるのよね。
何故なのかしらね?」
単純な模範解答をアリスから受け取った集は意気揚々とヴァイオリンを買って帰るのであった。
次の日からそのヴァイオリンを使って有珠の練習に参加する集であったが…
その行動力と言うか次の日にヴァイオリンをいきなり学校に持って来て一番驚いていたのは有珠である。
前日の里桜と祥子からの温かい視線に耐えかねた有珠は放課後まで集に話しかけるつもりはなかった。
無かったのであるが…
学校に集が持ってきた楽器ケースを見て声を掛けずにはいられない。
「あ、青木君?」
「おはよう黒江さん」
「お、おはよう…ってその手に持っている物は?」
「もちろんヴァイオリンだよ」
「えぇ…っとその、青木君ってヴァイオリン弾いたことある?」
「いやはや…そのね?
有るような無いような?微妙な感じで嗜む程度には弾けるんじゃないかな?」
その胡散臭い言い回しに無言になるしかない有珠であったが、それよりも持ってきたヴァイオリンをチラチラ見て興味を示していた。
「…気になる?」
「ええ。その見せてもらえる?」
「良いけど…中古品のそれなりの奴だよ?」
「それでも…気になるの」
「ならどうぞ」
集から楽器ケースごと手渡された有珠はそのまま机の上にケースをそっと置いて中身を確認した。
何よりも気になっていたのは自分と同じ製作者のヴァイオリンか否かだった。
有珠のヴァイオリンはごくありふれた職人の手によって作られた量産品。
プレゼントされ父親から聞かされていた。
けれど…有名ブランドの物ではなかったし。
量産している職人の名前も解らなかったのだ。
だから同じ職人のマークと思われる刻印を見つけた時どうしても確認しないではいられなかった。
悪い物じゃないとは思うけれど摩訶不思議な物を買ってくる父親が言った通り、量産品なら別のヴァイオリンを見てみたかったと言う所である。
複数のヴァイオリンがあった事で安心したと言うか…
「本当に量産品だったんだ…」
「え?それどういう意味?」
「あう、うん。
同じ印が付いたヴァイオリンを見るのは初めてなの。
ほんとうに量産品なのか心配だったんだ」
含みがある言い方をして有珠は会話を切った。
集もそれ以上は話を広げるのも何故か危ないと考えて、
有珠が楽器ケースにヴァイオリンをしまう。
「それじゃ放課後よろしくね」
何かを切り替えたかのようにして何事も無かったかのように席に戻って里桜達と話し始めてしまったのだ。
ともかく約束通り練習に付き合う事になった集であったがそこでも有珠を驚かせる事になる。