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第22話


集とその場にいた吹奏楽部の面々がそれだけの驚きを隠せないでいた頃。

吹奏楽部の先輩に教室まで直々に迎えに来られて部室に連行された楓は、

不満そうな顔を隠そうともせずに練習の始まりを待つ事になったのだ。

自身の楽器の手入れをしながら涼子に見張られる事になった楓であったが…

理想と環境との違いに何だか苛立ちを覚える様になってきていた。

大人数との合奏は楽しい。

けれどそこにいてほしいと思っていた三人は誰一人としていなかった。

中学の頃同じ部活で楽しんだ思い出が頭をよぎる。

自分の出す音に合わせて有珠がカラーガードとして舞い踊る。

そしてくるりと体を翻してアシスタントからフルートを受け取り吹く姿。

それがもう一度見たいと思っているから。

つまらない練習にだって我慢して参加している。

けれど有珠とあの顧問の教師との一件を見れば誰にでもわかる。

もうきっとフルートを吹こうとか。

カラーガードとして舞い踊る事なんて有珠は考えていない。

その拒絶と排除された祥子を見た楓は一気に冷めたのだ。

吹奏楽部と言う部活動に。


「全然楽しくない」

「何か言った?」

「何も言ってません」

「そう。ならいいの。みんな聖さんに期待しているのよ。

だから聖さんにはその期待に応える義務があるの」

「…義務って?」

「もちろん聖さんの周囲の演奏力を引き上げる力よ。

今年の合奏はいまいちって指導員の方々は評価なさっていたけれど。

全体練習はいつも以上に上手く出来ているのよ」


ニコニコの笑顔で楓に話しかける涼子であったが全く嬉しいと思えなかった。

今日も「つまらない練習」をするのは嫌だな。

モチベーションの急激な低下が起きていても今まで通り我慢して…

そう思っていた楓の耳に心地よい響きが届いたのだ。


「あっ!」

「え?どうしたの聖さん?」

「先輩!私ちょっと用事が出来ました!

暫らく席を外しますね!」

「え?待ちなさい!」


涼子の止める声も無視しで楓は自分自身の持っていたトランペットを持って走り始めたのだ。

それは久しぶりに聞いた音であり、

楓を楽しませてくれる響きであった。

その響きがあったからこそ楓はトランペットを続ける気になれたのだ。

初心を思い出したかのように感じられて楓は無心で音の鳴る方向に走り出す。

その足取りはとても軽やかであり誰も楓を止める事は出来なかったのだ。


屋上に上がった楓。

その一角で変わらない形でヴァイオリンを奏で続ける有珠。

余りにもその光景が鮮やかすぎて耳を傾けていた吹奏楽部員を押しのけて、

楓はトランペットを構えたのだ。

言葉は今は必要なかった。

そこで演奏し続ける里桜と有珠の演奏に加わるだけだった。

音を重ね合わせる様に演奏に混じる楓。

それをチラリとだけ確認するとにこりと微笑んで演奏を続ける有珠。

それが全てであった。

数分の間。屋上は完全に有珠を中心としたミニコンサート会場の様な、

空間に出来上がっていたのである。

満足そうに。

そして楽しそうに奏で続ける4人組に声をかけられる人はいない。

皆が聞き惚れるその中で涼子もまた納得しなくてはいけない音色を聞いたのだ。


「…本当に彼女はフルートが一番では無かったのね…」

「部長」

「彼女達凄いですね…」

「そう…ね」


否定できない事実が目の前にあるが…

涼子は負けを認めたとしても楓を手放す事は部長と言う立場からできなかった。

演奏の中心にいるのは有珠であり投げかけられる音に対して有珠は的確に返事を返す。

それは演奏を教えているようにも聞こえてきてその音色で育った楓だからこそ。

周囲の奏者の演奏力を引き上げる。

間違いなく楓に育てられていた証拠を突きつけられた様な気がしていた。

ヴァイオリンほどではないにせよフルートでだってきっと同じことが有珠にも出来る。

それは部の演奏力を高めると言う意味でも顧問の教師が欲しがるのが納得できてしまう。

なによりカラーガードとフルートの両方をやらせたがった理由がも分かった。

有珠はその場にいるだけで人を引き付ける何かを持っていた。

容姿的にも技量的にも目立つのだ。

亜麻色の髪の毛を靡かせて笑顔で舞い踊る彼女を想像しただけで周囲は魅了されるだろう。

そのカリスマ性と表現力は隠せない。

隠せなかったからこそ有珠に魅了された指導者は決断するしかない。

反対に目立たせることによって中学校の顧問の教師は全体のバランスを取ったのだ。

けれどそれは技量に明確なばらつきが出る中学の話。

高校の進奏和の私達なら黒江有珠の求める返しに応える事がきっと出来る。

先輩の果たせなかった夢。

ここ数年取れていなかった全国での優勝。

コンクールで勝てる。

彼女達はきっと大きな力になる。

この屋上の演奏会は、有珠達の演奏に完全に魅了された涼子に大きな夢を与える結果となっていたのだ。


「そうよ…彼女もフルートの奏者として吹奏楽部に入部すべきなのよ」

「部長?」

「それで、きっと丸く収まる」

「確かに彼女達の技量は凄いと思いますけど」

「進奏和に来たのよ。その気が無かったなんて言わせないわ」

「そうなのでしょうか」


部長の涼子の考えは周囲に伝播する。

部員の一部には疑問を持つ人もいたけれどその事を表立って意見は出来なかったのだ。

彼女達の有り様と関係を見ていると吹奏楽部という輪の中に入ると思えない。

そう思っていても部長である涼子の考えが優先される。


「今はそうだけれど聖さんが説得してくれるわ。

コンクールで全国優勝だってきっと!」

「そうですね」

「私達もそう思います!」


コンクールでの優勝。

その言葉は吹奏楽部員たちにとっては甘美な響きだった。

その夢を現実出来るのなら多少の無理は仕方がない事。

誰もがそう考え何より顧問の教師が熱烈に有珠にアプローチした事が。

部員たちの暴走に歯止めをかける事が出来なくなってしまうのだった。



一通り調整しながらの演奏を終らせた有珠は目の前にいた里桜と祥子に笑いかける。


「久しぶりの合奏ね?」

「ええ。満足いくレベルではないけれど良く奏でていたと思う」

「やっぱり楽しいね!」


そう祥子が口にして今度は後ろから楓が満面の笑みで答えたのだ。


「有珠はやっぱりヴァイオリンなんだよ!」

「ええ。フルートよりも、ね。そう思う」


けれど楓がその場にいられたのはそこまでだった。

パンパンと手を鳴らした涼子が彼女達の間に割って入ってきたのである。


「…黒江さんここで練習をするのは構わないけれど、部員達の邪魔にならない様にしてもらえるかしら?」

「…それは私に練習をするなと言う事でしょうか?」

「それは誤解よ。生徒ならどこでだって練習をする権利はあるもの。

けれどね?」


そう言いがなら涼子が視線を送ったのは楓だった。

涼子に目を付けられた事で楓としてもやっちゃったかな?という表情はしていた。

それでも有珠と演奏できると言う事は楓にとっては嬉しい事で。

いままでつまらない練習をしてきた楓にとってはご褒美のつもりではあったのだ。

それを涼子が許すわけがないのだが。


「それで吹奏楽部員を自分の練習に付き合わせる事は、私には出来ないの。

それ位は解ってもらえるわよね?」

「そうですね」

「なら、聖さんは連れていくわ。

でも、その代わりに綾小路さんは貸してあげる」


暗に練習の足を引っ張っている祥子はいらない。

それがまた有珠にとっては不愉快な部分ではあった。

けれどその割り切りが無ければ常勝でいる事なんて出来ない。

勝つための練習という事になればそれも仕方がない事だという理解も出来る。

だから涼子は里桜に声を掛けたりしなかった。

里桜は吹奏楽部じゃないから。


「貸し借りするようなことでもないかと」

「黒江さんは、立場を解っていないからそう言えるのよ。

大丈夫よ。

私は解ってあげられるから。

だから顧問の先生を納得できる演奏が出来る事を楽しみにしてあげる」

「…そうですか」

「頑張って練習なさいね。

さぁ、聖さん行きましょう」

「あ、有珠ぅ」

「頑張ってね」


ガッシリと腕を掴まれた楓はそのまま引きずられる様に、

トランペットのパート練習をする場所に連れていかれたのだった。

その宣戦布告の様な涼子の言い分に有珠はため息しか出ない。

そしてイラっと来た感情をぶつける様にして、

弦を引くと一フレーズ分だけ奏でたのだ。

その瞬間に訪れる違和感。

それはさっきまで引いていた音色とは全く別の音となっていた。

自分の感覚に従ったテンポで弾いても、

さっきの演奏の様な事にはならなかったのだ。


「確かに、認めさせるほどの腕になるのは大変かもね」

「そうね」

「さぁもう一度やりましょう」

「ええ」

「うん」


三人は思い思いに音を出し始めて練習を再開したのである。




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