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第20話


有珠と里桜の自然なやり取りが集の目に映る。

それは集が忘れていた記憶を引き寄せる事になっていた。


「…懐かしいね」


自然とそんな言葉を呟いてしまっていた。

麗しき幼馴染どうしの友情として見ていられるだけならまだよかったのであるが。

集は高校時代有珠が頼るのは里桜であった事を思い出す事になったのだ。

一番近くで有珠を見てきたのだからそれはそうだろうと思う。

二人は何時だって互いを支え合っていたなぁとしみじみ思い出していたのだ。

有珠は体調が悪くなって動けなくなるまで里桜の目の代わりをしていた。

その未来で集が見ていた風景と何故かだぶって見えたのだ。

けれどそれ以上集が何かを口にする事は無かった。

だってその未来を知っているのは集だけである。

二人を見て懐かしいと感じた事

ちょっぴりセンチメンタル?な気分になり頭皮から流れた汗が目に入り流れ出た事は言うまでもない。

里桜を支えながらでゆっくりと歩く有朱であったが後ろから聞こえてくる集の独り言が耳に届いてしまっていた。

小言で言ったつもりであっても「懐かしいね」という言葉は有珠に届いていた。

その言葉から有珠は集がパシリの様な扱いを受けていたのかと誤解してしまうのである。


「ね、ねぇ里桜、やっぱり私の楽器まで持たせるのはちょっとやりすぎじゃない?なんだか涙目に見えるのだけれど」

「そうかしら…?」


後ろをチラリと確認するも里桜が見た集の表情はリアルにぜーはーぜーはーしている姿。

朝とはいえ梅雨明けは近く、蒸す様な夏も始まろうとする時期である。

汗が流れ出るのに十分な蒸し熱さだ。

そして学校へと続く道は登りでありそれ相応に疲れる。

汗をダラダラと流しながら歩いていても何ら可笑しな事ではない。

けれどチラリと後ろを向いた有珠は少しきつく当たりすぎたかもしれないと考えてしまう。


「青木君?」

「な、なんでしょうか」

「だ、大丈夫」

「ノープロブレムでございまする」

「そ、そう…ヴァイオリンは私が…」

「や!約束はまもるですよぉ!

それに大城さんの方が大変そうだとおもうのですよ」

「え?あっ…大丈夫?里桜」

「ええ」


気付けば里桜もうっすらと汗をかいていた。

それを有珠はハンカチで拭ってあげる。

拭きやすい位置に屈む里桜を見て自然に振舞う二人はなんだがトッテモ良かったのだ。

何が良かったのは詳しく集は考えなかったが。

二人の間に流れるその優しい時間と仕草に集は固まるのである。


「…イイ。友情デス」


集はその姿を見てやる気になり教室までの道程がより時間のかかるものになってくれと願わずにはいられなかった。

結局の所、集にとってこの荷物運びはご褒美であり汗を流すだけの価値があったと言う事だろうか。

すっぽかした失態をなかった事に出来たとは思えないが、有珠の役に立てた事は喜ぶべき事なのかもしれない。

ふと…集は気になる事が出来ていた。

運ばされているのは里桜と有珠の楽器であることから、学校で練習をする事だけは解っている。


「黒江さんも大城さんもどこで練習をする予定なのかな?」

「え?それは勿論、屋上か練習室を一つ確保してのつもりだけれど」

「この時期に練習室の予約はとれるものなのかな?」

「…先着順だから急げば借りる事も出来るでしょう」

「先着順なら問題はないね。黒江さんフルートのケースだけ借りられる?」

「ええ。それは問題ないのだけれど、どうして?」

「保険をかけておいた方が良いと思ってさ」



有珠には何の保険なのか解らなかった。

学校の屋上に契約の時に一回上がったお陰か集はあの場所の特別について思う所があったのだ。

有珠から楽器ケースだけを借りた集を見た大地は感心する事になる。


「ほう…なかなか考えたのではないか?」

「良くも悪くも強豪校だからね」

「とはいえ恨みを買う事になりそうだがそれは良いのか?」

「それでもかな」


吹奏楽部は色々な点で優遇される。

勿論練習場所に関してもそれは言える事で放課後の屋上などの居心地が良い場所は優先的に確保されてしまうのである。

それが出来るのは当然吹奏楽部員の生徒が屋上の鍵を持っているからに他ならない訳であるが。

今の集にはその扉の鍵があるのである。

アリスが何のために渡してきたのかは検討が付かないが。

それでも今集の手元には有珠が困らないで済むための手札があったのだ。

それを利用しないではなかった。

扉を開けるのは何時でも私達と言う慢心もあるからだろうか。

帰りのホームルーム後に楽器ケースを抱えて屋上に小走りで向かう集は誰の視界にも入らない。


屋上の片隅で一番良い場所はわざと外した。

それよりも視線を遮り他の音と混じりにくい場所を集は確保したのである。

そこで有珠から借りた楽器ケースを枕にして寝たふりをする。

ワザとらしくとも…

楽器ケースがある事から練習をしに来た生徒として認識されて声はかけられない。

なに。少しばかり占拠するだけだ。

集の思惑は的中してその日集に声をかけてくる吹奏楽部員はいなかった。


「それじゃぁ今日からは祥子の面倒を見るからね」

「無理させてごめんね里桜」

「大丈夫だから。それより厳しくやるわよ」

「うん!」


里桜は祥子を連れて早速練習を始める事にするつもりであった。

楓と有珠は久しぶりにセッションでもやろうかと考えていた。

けれどそれは叶わない。

楓は部長である涼子が直々に迎えに来るのである。


「聖さん。さぁ行くわよ」

「え…」

「何をしているの?」

「え、今日は!」

「今日も練習をするのよ」


涼子は楓の腕を掴み放さない。

教室から引きずられる様に引っ張り出されたら囲まれるようにして楓は問答無用で練習室に連れていかれる毎日になっていた。

それも吹奏楽部に入って実力を認められたのだから仕方がない事なのだと諦めるべき事で勝つための練習なのだから許される。

その連れていかれる楓の後姿を見て有珠は呟かずにはいられない。


「まるで楽器の為にいるみたいね」

「仕方がない事でしょう。

皆で団結して大会で優勝する事が命題となっているのだから」

「勝つためなら厳しい練習も許されるのだものね」

「連帯感を高め友情を深める。

今の楓には必要な事だろうけれど…本人がそれを望んでいるのかしら」

「本人がどう考えていても練習した量に応じて技量は上がるし。

後は楓の気持ちのありよう次第でしょうよ。

才能があるのだから」

「才能ね」


チラチラと有珠達の方を確認する楓であったが教室に残る事は許されない。

3年生の先輩方の監視の下で練習するほかないのである。

限られたメンバーへの出場枠を考えれば選ばれた者は外された子達の分まで頑張る必要がある。

楓は泣く泣くレギュラーになれなかった子達の為にも練習する義務が出来ているのである。


「さぁ、私達も行きましょうか」

「ええ」

「うん」


有珠達は練習場所を求めて屋上へと足を向けたのである。

そのタイミングで有珠のスマホにメッセージが入る。


―屋上の練習場所の確保完了。寝たフリしているからよろしく―


それは有珠にとっては予想外のメッセージであった。

冗談かと思って指定された屋上に上がってみればそこには他の部員に睨まれても寝たふりを続けている集の姿があったのだ。


「場所取り苦労様」

「待ってたよ。視線が痛くってねぇ。直ぐに初めてくれると嬉しい」

「そうね」


その場所は視線を遮る様に作られた場所でまさしく秘密の練習の為の場所だ。

それにも関わらず覗き込まれるようにして見られている。

隠されているものだから、より多くの生徒達が覗き込みをしてくることになったのだ。

有珠は持っていた汎用のケースから楽器を取り出した。

勿論楽器はヴァイオリンである。

その瞬間周囲がザワリとしたのだ。


「アレは嘘じゃなかったの?」

「だってフルートだったでしょう?」

「マジでヴァイオリンなの?」

「でまかせじゃなかった?」

「でもまだ弾けるわけじゃぁ…」


周囲がざわつきそしてそのざわつきが納まる前に有珠は里桜に視線を送る。

そうすれば里桜もまたベンチに腰かけ休みながらもサックスを演奏できるように

構えたのだ。


ヴァイオリンを構えキュイン…と弦を弾き音を確かめる有珠。

その姿は様になっていて他者の視線を引き付ける。

ふわりと風が靡けば有珠のセミロングの髪の毛が揺れ場が静まり返った。

誰に言われた訳でもない。

有珠が自然と視線を向けた先にいたのは集であった。

何も語らないけれどそれで有珠が何を望んでいるのかを推察する事は出来たのだ。

集はそのまま有珠を見つめ直しながら指を一定のリズムで打ち鳴らし始めた。


タン・タン・タン……


メトロノームの様に一定のリズムで。

それは集の知る有珠が一番好む心地よいリズム感。

そのリズムに耳を傾ける有珠。

その場のテンポを集が作り出すと有珠の演奏が始まったのである。

ヴァイオリンの奏者としての技量を披露する瞬間が始まったのだ。


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