「よろこんでぇ!」
集の返事は何よりも早かった。
放課後いつも通りに大地と喋りながら時間を浪費していた集なのだ。
有珠からの言葉は天から降り注いだ恵みの雨であり喜んで返事をするが。
「そ、そう。それは嬉しいのだけれど。
まだ何を手伝ってほしいかすら聞いていないのにいいの?」
「大丈夫さ!黒江さんが無謀で無茶なお願いをするなんてありえないし。
ありえたとしても、何とかしてみせるよ!」
この前の失敗をなんとか取り戻したい集にとってその言葉は喜ぶべき事であり今度こそ絶対に断らない。
そんな意気込みであった。
隣にいた大地はそれだけで
ただしその返答を有珠が素直に受け止められるかと言えばそんなことはない。
ちょっとした罪悪感を感じてもらって交渉を進められたら良いなと考えていた有珠にとってはその返事は予想外でしかない。
なんでこんなに肯定的に捉えているのか。
「済まないね黒江さん。集は今汚名を挽回したくて仕方がないのだ。
ほら前回の断った事を思えば今回もそうであると考えられるだろう?」
「…ええと?汚名を挽回…」
返上ではないの?と質問したかった有珠。
この手の間違いはいわゆるお約束であるから気にするべき事ではないのだが。
律儀にその事を指摘するほどには彼女に余裕があったと言うべきか。
けれどそれ以上に問題なのは大地の間違っていないかもしれないぞと言わんばかりの表情だった。
有珠からの次の言葉を待つ集。
例えるのならその姿は飼い主からの命令を待つ名犬ではなく駄犬の様であり普通では無かったのである。
やっと巡って来たチャンスを逃がさないと意気込む集。
けれどその意気込みこそが有珠をドン引きさせていると言う事に気付けない。
それでも。と、気持ちを切り替えてお願い事をする有珠である。
「大城さんがけがをしてしまった事は知っているでしょう?」
「もちろん」
「体力的に厳しいからしばらくの間、荷物を持って登校する事を手伝ってほしいの」
「うむ!なるほど。集は理解しました。なのでこの身をお使いくださいませ!」
「私はふざけて言っている訳じゃないの。
普通にできない?」
「大丈夫です。僕はとても真摯にこのお願いを聞き届けております!
黒江さんからのお願いを熟す方法を今熟考しているところなのですよ」
「そう、なのね」
考える事なんてあったかしらと言いたくなる有珠であったが。
これほど前のめりに肯定してくれるのであるのなら大丈夫…
だと思うしかなかった。
二人のやり取りを見ていた大地が思い浮かべていた風景は駄犬が飼い主にじゃれついているように変換されていた。
「そのなんだ。不安であるなら付き合うが?」
「ダメだったときはお願い」
そう切り出すのが精いっぱいであった。
とにもかくにも有珠の(友達である里桜の)荷物持ちをするというご褒美?を得られた集。
家から駅までは家族に送ってもらえるから駅から学校までお願い。
と言う真っ当なお願いに胸躍らせて登校する事が嬉しくて仕方がなかった。
「ええと…朝練したいから少し早めでお願いね。
それと…私の連絡先だから」
「お、おぉ」
それじゃぁねと要件を伝えた有珠はその日も里桜に会うために帰っていった。
スマホのSNS機能付きの連絡先を教えてもらった集であったが。
教えてもらった番号を目にしてこみ上げてくるものがあった。
そのスマホの番号は忘れたくとも忘れられない番号である。
自身のスマホに登録したただそれだけの事であったが。
集にとっては思い出を一つ取り戻した様な気持ちになっていた。
11桁の番号。
それを元に登録するSNS。
しばらくたった後に登録した連絡先から
―明日は7時駅到着の予定です―
―よろしくお願いします―
とのメッセージが飛んできた。
それは忘れていた集の記憶が戻ってくる一因となった。
今まで忘れていたのにまたこうしてメッセージを見た事に嬉しさを感じずにはいられない。
取り戻したかった「物」がそこにある。
未来で足掻き続けた結果。
救う方法があると信じて諦める事が出来なくて奔走し続けた。
集中治療室に入ることになってから返信が出来ないと解っていながら。
既読の付く事が無いと解っていながらも。
家に帰ったとしてもいない事を理解していても。
帰って来ない事が解りながらそれでも…
何の気なしに指先は動く。
―今から帰るよ―
―夜ご飯は…―
―明日は休みだから何処かに―
心身ボロボロになりながらも体は勝手に動き毎日は過ぎていた。
指は定刻になればスマホのタッチパネルを撫で続け文章を紡いでいた。
理解し解っていながらも続けてしまう当時の自分自身。
理解したが受け入れられない地獄の様な日常。
それが今は画面を見ればちゃんと既読が付く。
そして返事をすれば反応があるのだ。
たった11桁の番号と書き込まれるメッセージは集の取り戻したかった物の一つとなっていたのである。
またこの番号に連絡すれば有珠と繋がる事が出来る。
その事実が集には嬉しくて仕方がなかったのだ。
感無量でつぅーと流れだした涙。
その涙を見た大地はぽんぽんと肩を叩いていた。
「やはりリアルが充実してしまっている陽の者達に俺達ダークサイドの人間は眩しいな。目がやられたか?」
「ああ…あまりの衝撃に涙が止まらないのさ」
集と大地はすれ違いながらも友情を確かめあったのだ。
一定の共感を共有出来ていたのだから恐ろしい。
次の日から駅で合流して登校する事になった集だったが予想通りの展開が待っていた。
「御免なさいね青木君。それとお手伝いありがとう」
「い、いえお安い御用ですよ」
「…がんばって?」
「はイッ。がんばるますです」
改札口の外で待っていた有珠と里桜の荷物の多さに驚いたのである。
楽器は楽器本体よりそれを収納するケースの方が何倍も大きくそして重たい。
里桜は祥子に渡す物と自分用でサックス2個に有珠はヴァイオリンとフルート。
それと普段の登校に持ち歩く教材の入った鞄と電子機器。
最低限の持ち物と言ってもそれ相応の量がある。
それらを全て一人で持たされることになったのである。
「ありがとう青木君…君になら遠慮せずに持たせられるわ。
さぁ有珠も持たせてあげましょう」
ニコニコ笑顔で里桜は自身の楽器を集に渡すと有珠にも楽器を渡す様に促してきたのである。
それは集にとっても予想外の展開であった。
しかし先に里桜の楽器を渡されその上に有珠の楽器となれば受け取らずにはいられない。
一人で4つの楽器を持つ事になった集はそれでもへこたれる事は無かったがそれなりに楽器は重たい。
けれどソレが意地悪でしている訳ではないのだから仕方がなかった。
色々あったが里桜は祥子の為に退院をできうる限り早めたのだ。
条件として病院への通院の頻度を上げる事を付け加えられたがそれよりも祥子の方が心配だったのである。
病み上がりで電車通学は少々厳しいが…
それでも荷物がなければ何とかなる。
ふらりと倒れそうになる里桜を有珠はしっかりと支えて二人は歩くのだ。
「やっぱり無理しすぎだと思うの」
「…駄目よ有珠。これ以上は引き延ばせないわ。
お願いだから好きにさせてちょうだい」
「…うん」
「それに有珠も…見せなくてはいけないのでしょう?
私達は進奏和の生徒として相応しいパフォーマンスを見せて、
周囲を納得させる必要があるの。
見せてくれるのでしょう?ヴァイオリンの妖精さん?」
「っもう!」
里桜は有珠のヴァイオリンの奏でる音が好きなのである。
いくらフルートを演奏できたとしても。
それはあくまでヴァイオリンの次と言う縛りが付く。
「久しぶりに聞けるのだから…それはもう期待するわ」
「年単位で離れていたのよ。もう初めからやるのと大差ないわ」
「別に上手な音楽が聴きたい訳ではないわ。
私は…有珠のヴァイオリンが聞きたいだけだもの」
「煽てたって何も出ないわよーだ」
里桜に期待されて悪い気分じゃない有珠はそのまま里桜に寄り添って登校しその後ろを集は頑張って荷物持として役目を果たすのだ。