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第17話


楽器を取り上げられた祥子の落ち込み方は酷かった。

自分自身の楽器ではなく学校からの借り物であったとしても。

彼女にとっては私の楽器であったのだ。

綺麗に手入れをしていたし大切に扱っていたのである。

今回壊れて交換する事になった相手は高校から始めたばかりの新人。

祥子よりも技量は劣るし何より手荒な扱いをした結果であった。


「だ、だめだよ。楽器は繊細なんだよ」

「…だって借物じゃん。

自分のじゃないし壊れたら新しいの出してくれるよ。

進奏和は吹奏楽の強豪なんだよ」

「部費だっていっぱいあるでしょ」


そう言った軽い気持ちから扱いは粗雑になる。

壁にゴンとぶつければ傷がつく。

勿論そんな簡単に壊れるほど脆弱ではないが。

それでも長年扱いが悪ければ劣化の速度は跳ね上がる。

祥子は楽器を預かってから磨き手入れをして綺麗な形を保っていた。

彼女のきめ細やかな手入れのお陰でとても綺麗。

だから目を付けられたのであるが…

壊れた楽器を持ち帰り楽器を抱え込んでいる訳にもいかず。

ばらして出来る限りのメンテナンスをする。

スペアパーツがあれば交換して…

それで音が出る様になればと考えていたが複雑な配管。

ぶつけ潰れてしまった配管を素人が治せる訳がない。

専門店に持って行って修理を依頼したくても自分自身の楽器ではないのでそれもさせてもらえなかった。

進奏和のサックスパート間でのレギュラー争奪戦はそれだけ激しい物になっていた証明でもあった。

祥子は中学からの経験者である。

順当にいけば高校から始めた生徒は技量の面で不利なのだ。

練習した時間に比例して祥子はそれ相応の奏者になっていたのだ。

学校からの借り物の楽器でさえうまく奏者として振舞えた祥子。

その姿は別の高校から始めた者達のレギュラーの枠は一つ減ると解らせられる演奏だったのだ。

小さな悪意は連鎖した。

借物の楽器しか持たない彼女なら蹴落としてもいいんじゃないかと言う。

やんわりとした悪意にさらされ続けたのである。




学校のない日曜日。

いつも体力的に辛くて眠ってしまっている里桜が起きている時に会いたかった有珠はその日も病院に向かったのである。

コンコンと扉を叩いて入ると…

ベッドから上半身を起こして里桜は本を読んでいたのである。

頭に包帯を巻いてはいたものの里桜は起きていて…

その姿を見た有珠はハッとする。


「り、里桜…」

「有珠…久しぶり…なのかしら?」

「心配したんだからぁ!」

「ごめんなさいね…」

「ほ、本当に心配したのよっ!」

「え…ええ」


色々と話したい事が多すぎた。

起きて目を覚ますまで待つつもりだった有珠はその里桜の姿を見て。

感極まっていたが。

楓も祥子も有珠を頼るが、有珠は楓と祥子には頼れない。

有珠にとって楓と祥子はやはり妹の様な加護するべき対象として見えている。

その為にどうしても聞き手に回ることになっていた。

有珠が平等に頼れるのはやはり小さいとからの付き合いが続く里桜なのである。

そう言った意味ではここ数日間、有珠は心細かった。

里桜も有珠の顔を見てほっとしていたけれど表情を固まらせることになる。

里桜は意を決して質問してきたのだ。

本当は有珠も里桜に相談したい事がいっぱいあるのだが。

それでも今は里桜の疑問を解消する事を優先したのである。


「あ、あのね有珠…ちょっとだけ確認したい事があるの」

「え?ええ」

「あの事故が起きた時の事なのだけれど…

あの日私は展示会の手伝いをしていたのよね?」

「そうよ」

「あの…母さんから聞いたのだけれどね。

資料館には特別展示室の展示物の変更の予定なんてないらしいの」

「え?」

「私達、手伝ったわよね?」

「ええ」

「着替えた記憶もあるのだけれど…

私は救急車に制服姿で乗せられてたらしくって付き添いの貴女も制服だったって。

スマホに…その燕尾服に着換えて有珠の横に立っている写真はあるの。

だけれど…その日付が18XX年なの。有珠も写真を撮っていたじゃない?

その日付はどうなってる?」

「うん????」


いやそんな記憶はないと有珠は言いたかった。

けれど確かにドレスを着たような記憶もあった。

ビンテージ物のドレスを何時間もかけて着せられた事は覚えている。

しかし確かに状況が繋がらない。

里桜の言った通り有珠にも並んで写真を取った記憶がある。

スマホで写真を撮っていたのなら自身のスマホの中にもあるはずで。

有珠もまた気になって自身のスマホの写真を見たのだ。

フォルダ分けされていない写真の中に確かに里桜の言う写真が確かにあった。

職員の誰かに取ってもらったような里桜と並んで取られた写真は確かにスマホの中にある変えようの無い事実だった。

けれど里桜の言った通りその写真の撮影日は18XX年。

どういう事なのだろうと有珠も里桜も頭を抱える他なかった。

何かのバグか。

そもそも撮影の日付が1800年代である事自体がありえない。

けれど普通に考えて燕尾服やドレス姿で救急車に乗る訳がない。

たとえスマホにドレス姿の自分自身の写真があろうと状況的にありえない。

資料館で手伝ったかもしれない。

そこで里桜は頭を強く打ち付けた。

そして救急車で病院に運ばれたのだ。

そう。


記憶と状況の整合性が取れなかった。

けれどその事を悩んでいる時間は無かった。

間違っているのは自分達の記憶なのだ。

それでいい。


「私達は少し疲れていただけよ?ね?きっと集団幻覚にでもあったのよ」

「ええ。記憶があいまいなだけよね…

私は高い所にあった書籍を取ろうとして転落して強く頭を打ったらしいの。

そして、精密検査で脳に腫瘍が見つかって緊急手術を受けた…」

「それが正しいのよ」


シニカルな笑いがこぼれ納得する里桜。

スマホに残った辻褄の合わない残滓を忘れる。

その方が精神衛生上良いのではないかということである。

解からない事をそれ以上悩んでいても仕方がないわと里桜は割り切れていた。

それ以上に有珠が苦しそうな表情を見せているのだから仕方がない。


「それで楓と祥子に何があったの?」

「解る?」

「もちろんよ。急いで相談したい事があったから来たのでしょう?」

「ははっ…やっぱり里桜は凄いな」


里桜はぽんぽんと有珠の頭を叩く。

有珠はその手を両手でつかみ落ち着いた表情になっていた。

今度は有珠がここ数日の事を報告したのである。

祥子が楽器を取り上げられた事。

フルートの人員不足を解消する為に入部を強制されそうなこと。

容姿の良さから来る有名税を払えと言う取り立てに有珠はもうゲンナリなのだ。

それが嫌だから楽器からは距離を置いていたと言うのに。

その楽器を持って関わらない事を証明しろと言われた有珠はかなり精神的に疲弊していたのである。

里桜は悩む間もなく返答を返してくれる。


「いいわよ祥子が使うなら私の貸すわ。

けれどね?有珠それだけで駄目よね?

なんと表現すれば良いのか…ねぇ解るでしょう?」

「…う、うん」


里桜は4人の中では一番大人びている。

それは逆に言うと楓と祥子を妹分として大切にしているお姉ちゃんなのである。

妹達が意味もなく邪険に扱われれば里桜はお怒りになるのだ。

中学の頃は同じ楽器を扱っていた関係で里桜の後ろに祥子は控えているだけで良かった。

面倒な事は全て里桜が対処してしまっていた為に思う存分演奏の練習だけが出来たのだ。

甘やかした弊害の様な事とも思えたがそれでもわざわざ当てつけの様に、壊れた楽器と交換するのは度が過ぎている。

教師も気づいているかもしれないが…

部活の顧問と言う立場がこの状況を容認する。

こういった事態にも自身で対処する事は祥子には少し酷かもしれない。


「祥子の指導は私も参加するわ。

私の楽器を貸し与えるのだから文句は言われないわよね?」

「それは大丈夫だと思う」

「それと…有珠?解っているわよね?」

「えーと…」

「喧嘩を売られたのだからしっかりと買って差し上げないといけないと思うの」

「そ、そうだね」

「ほら、闘争心が高いと傷の治りも早くなるらしいじゃない?」

「あーぁ…そうだね」

「じゃぁ、私が退院するまでにそれ相応に形になっておいてね?」


里桜は性格が変わって別人になったかのようにこりと笑って有珠を見つめた。

その返答には困る事になる。



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