目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第14話


中学3年間でさんざん「吹奏楽」に良いように扱われた有珠。

もう高校に入ってまで広告塔にされる事は御免被りたいのである。

有珠にとって演奏は遊戯であり技量を競う競技ではない。

そう言った形からも楓とは気はあった。

連日の走り込み。

大き目の音楽室とはいえ汗ダラダラになりながらの合同練習。

中学よりも遅くまで行われる練習時間。

熱き青春を皆で優勝を!

そう考えて入部するのならいいが…

有珠にそんなつもりはもうないのである。

そんな気分にさせるまで中学校の部活の顧問は有珠をこき使ったからこそ、

今こうして高校の吹奏楽部の顧問に目を付けられた訳だ。

もううんざり。

周囲の期待を一身に受けて煌びやかに舞うのが楽しいかと言われると有珠にはそこまでの気力がもうない。

だからこそ強豪校の吹奏楽部になんて入りたくないのである。


「ま、待ってください。

私は吹奏楽部には入るつもりは…」

「…お前がお友達を誘ったおかげで部員が偉く迷惑を被っている。

その遅れを取り戻す為に協力するのは友達として当然の事だろう?

これは連帯責任だ。

お前も他の部員に与えた練習不足を解消する為に手伝わなくてはな」


その教師の自分よがりの考えを押し付けようとしてきた。

場は一瞬にして楓の問題から有珠を入部させると言う問題に切り替わっていたのだ。

吹奏楽部として戦力は多い方が良い。

部員としての層の厚さはどれだけあっても良いのである。


「大丈夫だ。マーチングバンドもやらせてやる。

中学の時にように軽やかに踊り回ってくれればいい。

妖精の様だと評判だったじゃないか」


演目上マーチングバンドとして活動する事になれば有珠には地獄が待っている。

その演技を熟させられる為に中学の担任教師は率先して有珠に特別メニューを課したのだ。

愛らしくそして可憐に舞い踊りながらフルートを巧みに扱う。

他の演者にアシストを行わせてのカラーガードとの兼用をやらされたのである。

その演技はその筋からは良い評価を受けとても素晴らしい。

しかしその裏で嫌というほど練習させられたのだ。

始めは楽しかった。

けれどそれは本当の始めだけ。

パートが決まっていないからと複数を兼用された結果両方とも辞められなくなったのだ。

終らないマンツーマンの指導。


「疲れた…もう帰りたい」

「もう一度最初からです。出来たら帰る事を許します」

「そんな…」


有珠の言葉は届かない。


「学校の代表として振舞う事が許されたチャンスなのよ!

それを無下に扱う事は先生は許しません」

「そんなこと…」


望んでいませんと続けたかった有珠であったが。

音楽を流されればもう一度と最初から演技を始めさせられる。

後半は義務と責任だけでやり遂げたような物をもう一度やってみる?

なんて聞かれれば有珠は全力で逃げるだろう。

知らないからこそキツさも解らない。

けれど知ってしまえば敢えてその苦行に耐えるなんて事したくなかった。

まるでドラマの人気子役の様に連日セリフを覚える為に寝る時間を削って頑張るかのような毎日。

それが有珠には演奏とダンスだった訳である。

有珠にとって不幸だったのは、その厳しい練習に応えられるだけの技量と才能があった事だろうか。

沈黙がその場を支配する。

ここでハイと言ってしまえば地獄が待っている事は確実で。

何のために資料館付きの進奏和に進学したのか全く分からなくなる。

けれどここでただ嫌だと言っても聞き入れられる事は無くきっと別の方法で勧誘される事は明らかだった。

更に厄介なのは音楽に対する事は音楽でなければ納得しない。

指導員を用意するまでして徹底して部活を強くしているのである。

周囲の何十人を納得させてもたった一人。

そしてその一人を頷かせ周囲を取り囲む指導員を納得させない限りこの詰問は終わらない。

有珠はその事を十分に理解していたのである。

だからこそはっきりと言わなければいけなかった。


「先生が仰るような実力は私にはありません」

「お前。俺を誤魔化せると思っているのか?」

「…私はもうフルートは吹けません」

「は?」

「私が扱う楽器はフルートではなくヴァイオリンです」

「は?事書いてヴァイオリンだと?

ふざけるのもいい加減にしろ?」

「ふざけてなどいません。

私がフルートを吹いていたのは別の音色を作りたかったからにすぎません。

私の楽器はヴァイオリンです」


中学3年間でフルートを長々とやっていながら?

指導員も顧問の教師も有珠の宣言に笑い飛ばすほかなかった。

他の部員の視線は厳しくなる。

この期に及んで?バカにしているのとでも言われているかのようだった。

勿論ヴァイオリンなんてこの数年片手で数えるほどしか演奏していない。

それでもだ。

それでも有珠の体はヴァイオリンを覚えている。

そしてフルートを吹くよりもヴァイオリンの弦を引き音を奏でる方が好きだった。

これは完全な好みの問題であり父親からプレゼントされた楽器がヴァイオリンである事が大きな要因だった。

有珠にとっては音楽の始まりは父親からのヴァイオリンである。

そして海外出張が多い父との短い間での語らいとして大切な物である。

言葉で言い表さなくともヴァイオリンの音色は有珠の感情を正しく父親に届けてくれた。

簡単に綺麗な音階すら出す事が難しい楽器であるが父親からのプレゼントと言う事で頑張ったし。

親子の意思疎通と言う点でも価値があったと思えるほどには引けるはずである。

今でも父親の前でヴァイオリンを弾けば喜んでもらえる。

それだけの技量は確保している。

フルートの練習の合間に少しだけ。

気分転換の一種でちょっとだけ触る。

だからまだ腕は動く指は覚えているから弾ける。


「ほぉ…ならその愛する楽器の音を聞かせて貰おうか」

「え?」

「いや、な?信じていないわけでないんだが。

ヴァイオリンの奏者と言うのが嘘でただ入部を断りたいだけに聞こえる。

黒江は協力と団結して物事をやり遂げる事を覚え成長するべきなのだ。

その機会を捨てさせる事なと…一教育者としては許せない事なんだよ」


わかるだろう?と続ける顧問の教師であったが。

それは中学の頃に十分に体験した。

そして他人の都合でこき使われたとしか思えなかった有珠への説得としては、

最悪の言葉だった。

そこまでして私を広告塔にしたいのかとしか有珠は考えられなかった。

顧問の教師がどう考えていようとだ。


「そうだなぁ…

まぁ2週間ぐらいやる。

流石に直ぐに曲を奏でられるようになるとは思えないからな。

それでみんなの前で発表してもらおうじゃないか。

素晴らしい演奏を。

それで納得できないなら大人しくフルートの一奏者として部に貢献してくれ」


既に有珠がヴァイオリンを弾けると言うのは虚言だと思われたのか周囲から失笑を受ける事になる。

それで有珠は構わなかった。


「解りました。2週間後ですね」

「ああ。逃げるなよ」


逃げる?何のために?

有珠は明確に喧嘩を売られたと認識していた。

了承すれば飲み込まれる。

それ以上に認められない。

だから抗うと決めたのだ。


「ええ。先生と指導員の方々の耳を幸せにできるように練習しますよ」


それは有珠から顧問の教師に対する宣戦布告であった。


「楓、祥子。帰りましょう?」

「聖はダメだ。お前はいい加減、部に貢献しろ。

代わりに綾小路は帰っても良いぞ。

どのみち演奏する物がないから練習にならないしな」


それが強豪校の強さ。

部の強さの為に個は犠牲になる。

それをまざまざと有珠は見せつけられたのだ。


「さぁ!始めよう!」


楓と同じパートのメンバーは楓の両脇に座り込み楓が帰る事を許さない。

代わりに祥子は音楽室を追い出され祥子と有珠は二人で病院に向かう心算であった。

けれど祥子の足取りは重く有珠は病院に行く前に喫茶店による事にする。

うっすらと目には涙が溢れていた。


「あ、有珠、私」

「進奏和は強豪校。楽しい事だけじゃない」

「うん…」


ハンカチでその涙を拭ってやりながら有珠はミロワールで休憩をする事に。

ショックな理由も良くわかる。

学校からの借り物の楽器を使っていた祥子の立場は部内では底辺に近かった。

半壊の楽器で練習する程度にはサックスの奏者は豊作だったのである。

3年間演奏し続けたと言う経験が全くの役に立たないほどに。

足りない楽器へ転換する子は少ない。

結果的に祥子は部内でいらない存在となってしまっていたのだ。

それでいて実力を認められて周囲が引き下がるを得ない楓と同じように振舞えば。友達が心配だからと同じ理由で部をさぼれば、比べられその立場は無くなる。

今日の部内会議はまさにそれであった。

有珠はそれでもと祥子に語り掛ける。


「吹奏楽…いいえサックスの奏者を辞める?」

「そ、それは辞めたくないよ。でも…」


その先に続く言葉は解っていた。

もう祥子が演奏する為の楽器がない。

家の都合で両親を頼れない祥子にはどうしようもない事であった。

だから…


「なら…持っている人から借られるか聞いてみましょう?」

「え?」


それは吹奏楽を諦めきれない祥子にとって残された唯一手段であった。



コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?