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第13話


その日吹奏楽部部長の3年の久遠涼子は切れた。

彼女の怒りはある意味で正当な物であるし部員の大多数が同意見だった。

楓の部活に取り組む態度は見ていてあまり気持ちの良い物では無かったのである。


「いい加減にしてちょうだい!貴女はソロパートを担当するのでしょうっ?」

「全体練習に出ないと通しでの練習が出来ないでしょう!」

「で、でも…友達の事が心配で…」

「それはもう聞き飽きた。

貴女が病院に行けばお友達の意識が戻る訳じゃないでしょう!」

「でも…」

「貴女の所為でっ!

全体の練習が遅れているのよ!大会も近いの!

ねぇ…そこまでお友達が大切なら…」


その先の言葉は言われなくとも楓には解っていた。


―もうレギュラーを降りて私に譲ってよ―


涼子の楽器はトランペットであった。

演奏を始めたのは高校からである。

3年になりトランペットのパートリーダとなって。

2年間の先輩の指導もあって技量も上がった。

部員の中でトランペットの奏者として最後の1枠にギリギリ滑り込めるだけの力は得られたと思う。

周囲からの信頼も厚く部長にもなり部員を纏めて来た自負がある。

優秀な奏者だった先輩が卒業して今年は自分の番だと思っていた。

先輩が卒業して取れなかった全国大会での優勝。

3年間の集大成。

今度こそ自分達で。

全国に進んで優勝してやると言う意気込みで練習して来た。


聖楓と言う才女が入部するまでは。


楓の奏者としての力量は高すぎた。

そしてその高さがあるからこそ…

トランペット最後の1枠が自身にはない事を自覚するのに時間がかからなかった。

口が裂けても涼子は楓の代わりにはなれない。

言いたくなるが寸前で言葉を飲み込む。

だって涼子は


「勝ちたい。

勝って全国に行って優勝したい」

「それはみんな部長と同じ気持ちです!」

「ですが聖さんを本当に使うのですか?

部長がやった方が…」

「負ける可能性は減らしたいの…

去年の出場校の奏者を考えたら…聖さんを使わない訳にはいかない」

「ですが、このままでは練習が…」

「私が彼女を指導するわ」

他校のトランペット奏者の技量を知っている涼子はどうしても楓の力を捨てられない。

「他の強豪校に張り合うためには、聖さんの力が必要なのよ」


その為ならレギュラメンバーのアシスタントに回ってもいい。

涼子にとっては断腸の思いだった。

それなのにである。

楓はマイペースで親友の方しか見ていない。

部活に身を入れて活動してくれない。

皆を引っ張るだけの演奏力もあるのに。

流石に3日連続ともなると文句も言いたくなる。

一秒だって練習したい。

上手くなって技量を高めたいとみんな思っているのだから。

全体練習が始まるちょっと前。

集合が掛かった時間での出来事であった。

そそくさと楽器を片付け始めた楓に言わないではいられない。

更に質が悪いのは練習を断り帰る事を楓は悪いとは思っていないのだ。

自然と強者の理論で動き、調和を乱しているようにしか見えない楓。

ともなれば涼子が怒れば周囲の3年の生徒も同調する事になる。

楓は先輩たちに囲まれてしまい帰る事が出来なくされていたのである。

そんな楓を心配して祥子もその場を離れられない。

だから祥子にもその敵意は向けられる。


「それに祥子さんも。帰るのなら楽器を返してっ!」

「え?」

「昨日全体練習中にサックスが一つ壊れたの。

直している時間もないし。

予備は無いから練習しないあなたのを渡してあげて」

「そ、そんな…」


祥子は自身の楽器を持っていない。

学校からの借り物である。

返せと言われれば断る事は出来なかった。

すぐさま祥子はサックスを取り上げられ壊れて管が歪んだ物が渡される事に。

けれど楽器を交換される事を断る事も祥子には出来なかった。

祥子はレギュラーではないし返さない理由もなかった。

これは部活の部長の裁量による正当な判断であった。

みな音楽を楽しむためにやっているのではない。

大会にかける意気込み。

そして勝ち残り全国へと出る為に練習をしているのだ。

生徒に助力する指導員と顧問もまた涼子の判断を尊重する。

強豪校とはそういった物だ。

もはやその流れを止める事が出来る者はいなかった。

青春を謳歌するではないのだ。

参加できてうれしいでもない。

皆勝つために努力し汗を流すのである。




タイミングが悪かったと言えばそれまでである。

有珠はそんな中で楓と祥子を迎えに来てしまったのである。

自身が思っていた状態に楓は巻き込まれていたのである。


「あぁ…楓…変わってないわね」


もう高校生だ。

大丈夫だと思っていた有珠は頭を抱える事になる。

別に彼女が悩む必要はないのだが。

こういった類のトラブルは初めてじゃない。

それでも大きな騒ぎにならなかったのは里桜と有珠がいたからである。

中学の頃の楓は表面上トラブルは起こしていない。

それは里桜と有珠が傍にいて楓の気質をフォローしていたからである。

楓としても合わせてくれる有珠がいれば満足だったし。

中学の頃はエンジョイが目的であり勝つ事に拘る人は周囲にいなかった。

周囲の目は楓の技量や気質よりも有珠に向かっていた部分もあった。

黒江有珠という他者の目を引き付け楽しませる存在からいたからこそ楓は埋もれられたのだ。

しかし今は有珠も里桜もいない。

そして隠れ蓑となってくれる広告塔もいなかった。

だからこそ楓は目立つのだ。

里桜と有珠がフォローしていた効果が今は真逆に作用していたのである。


しんと静まり返る音楽室。

こうなれば涼子の怒りは有珠にも向けられる事になる。

全体練習が始まる時間に楓を迎えに来て連れて行ってしまう有珠は涼子にとっては完全に敵であった。

チラリと音楽室を覗き込む有珠。

その顔を涼子は見逃さなかったのである。


「ミーティング中…よね?」


覗き込んだ教室は練習の風景ではなく。

何かの話し合いの時間となっていた。

その中心で取り囲まれるような形を取られている楓の姿が有朱には見える。

ガラリと扉を開けて教室の中に入る様な事を有珠はしない。

楓の手助けをする事は出来るかもしれない。

けれど有珠がここでフォローしてしまったら楓は中学の時の様にまた自由奔放に振舞うだろう。

だからいい加減実力にあった立ち振る舞いを覚えるべきだと思ったのだ。

顧問の教師もいる事だし悪い様にはならないだろうと。

なら少し外で待っていれば良いかなと有珠は考えていたのである。

長引くようであれば今日は二人を置いて行ってもいいかなと。

軽く考えていたのである。

しかし扉はガラリと開けられ中から女生徒が一人出てきたのである。

勿論涼子であった。

彼女からしてみれば有珠はせっかくの練習時間を台無しにする敵にしか見えなかった。


「ねぇ…どういうつもりなの?

毎日毎日音楽室に来て、私達の練習を邪魔して楽しい?」

「え?え?え?」


有珠からしてみればこの状況がどうして起こっているのか全く分からない。

そして邪魔と言われても病院の面会時間に間に合う様に祥子と楓を迎えに来たに過ぎないのだ。

故に話はかみ合わないのである。


「あ、有珠!ご、ごめん…その…」


言葉を詰まらせる楓に有珠はなんとなく状況を察する事になる。

「ああ、そう言う事なのね」である。

小さい頃からの付き合いだ。

楓の困り顔からある程度何が問題になっているのかは理解できた。

出来てしまうからこそ頭が痛い。

そうなる前に一言だけでも言ってほしかったと有珠は思ってしまう。

涼子に睨みつけられる有朱であったがそこで指導員がふと考えるそぶりをして思い出されてしまうのである。


「有珠?有珠とは黒江有朱か?」


その言葉で周囲はザワリとなるのである。

当然である。

亜麻色碧眼の「黒江有珠」はその容姿のお陰で中学生奏者の時には有名である。

銀のフルートを使い軽やかに踊りながら演奏を奏でる。

中学時代は散々宣伝媒体として祭り上げられたのだから局所的には有名人なのだ。

本人からしたらこき使われたとしか思わないが。

吹奏楽に関わる人なら知らない方が可笑しい。

一気に視線が集中する事になる。


「…はい」


流石に別人だと言って言い逃れする事も出来なかった。

顧問の教師は有珠の返事を聞いてよい奏者が見つかったと喜ぶほかなかった。

有珠の腕はそこまで良い方ではないのだが。

それでも中学3年間の部活動を継続しただけの技量は備えていた。

演奏した時間は確実に有珠の力となっていたのである。


「おぉ!なら丁度いいな入部しろ。

お前の音色は知っている」

「え?」

「あの中学の顧問は俺の知り合いでな?

黒江は良く楽器と歌うと聞いていた。

何度か見せてもらったが3年の時のフルートは特によかった。

その腕を披露してくれればいい」


顧問の教師のその宣言になるほどと呼ばれていた指導員も納得する。

教師がパチパチと手を叩けば数名いた指導員もまた手を叩き有珠を歓迎する素振りを見せた。

実力が他の部員を黙らせる。

有珠には楓ほどの技量はないとはいえ。

その楓が気持ちよく演奏できる為の存在ではあった。

入部を進められ困惑する有珠を他所に楓はやったぁ!と心の中で喜んでいた。



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