自分が抱いてきた疑問に対して何らあり得る事だったと言う確信が持てた有珠はそれ以上の追及は考えなかった。
ともなれば次はそれに付随する歴史書でも探してと考えたのであるが。
「ああ!丁度良かった。
進奏和の生徒ね?あなた達も手伝ってちょうだい!」
「え?あ、はい…」
「解りました」
資料館が展示品の入れ替えでせわしなく動いていたのは先も述べた通り。
そして忙しさのあまり手伝いを欲した職員は有珠達に声を掛けたのである。
大した事ではないのよと前置きされた有珠と里桜が連れていかれたのは特別展示室であった。
そこは宮廷の空間を再現した場所であったのだ。
当時使われた本物を使ってその空間全体を使って展示する形で。
良く作り込まれた内装が出来上がっていたのである。
ドラマの撮影などで使われる壁のない中が見る事が出来る空間であった。
かなり本格的に生活様式を再現するつもりであったようだ。
問題だったのはそこにディスプレイされる衣装の数々。
女主人と家令の構図であるのだがその立ち位置を再現するマネキンの置き場所。
それが決まらないようであーでもないこうでもないと言い続けていたのだ。
職員達はアンティーク調の物の取り扱いには詳しい様であった。
けれどその生活様式が解っていてもどう動いていたのか。
それが想像できないみたいであったのだ。
現代日本において傅かれて生活する人はそうそういない。
まして大人になって日常生活をお世話してもらう人など想像できないのだ。
たかが展示物のレイアウト。
けれどその展示の仕方でどれだけの事を想像させられるのか。
それが職員達の腕の見せどころであり拘りなのである。
そんな中で連れて来られた有珠の容姿は職員たちのインスピレーションを刺激。
状況は程よく悪化したのである。
有珠の髪と瞳の色を見てせわしなく動き続けていた職員の一人は「幼い女主人」というイメージを膨らませたのである。
「か…」
「かわいいっ!」
「はい?」
傍に里桜がいた事もその拘りに拍車をかける。
更にそれに仕える凛々しき家令として里桜を指名したのである。
運がいいのか悪いのか…
有珠と里桜はそういったごっこ遊びを小さい頃によく行っていた。
そう言った遊びに慣れていた里桜も有珠も表現できてしまったのだ。
促されるままに立ち位置に立つとその姿を大きな鏡に映す里桜と有珠。
ただの学生服を着ているだけなのにそれらしいポーズを取ると姫と凛々しい家令に見えてしまったのだ。
「…惜しいわね」
「PVに仕えそうなレベルね」
「いっそドレスを着せてしまいましょうか」
「そうね…」
職員たちは口々に有珠と里桜の演技を褒めたたえる。
里桜も有珠も演劇をやりたい訳じゃない。
それにただの手伝いのつもりでやってきたのだ。
イメージする為の補助として立っているだけの所から話が転がりだしたのだ。
その場は誰かに操られる様に狂ったのである。
「さぁ…着換えましょう」
「ご準備を致しましょうね…」
「「はい。おねがいします」」
職員達は何も疑問に思わない。
そして有珠も里桜もその異常な状態なのに何も違和感を覚えなかった。
普通に当然の事としてその着替えを受け入れたのである。
まるで決まっていたかのようにその場にいた全員が動き始めたのである。
マネキンからドレスは脱がされ手際よくドレスを着せられる有珠。
ドレスも大切な展示物だ。
ただ偶然その場にいた生徒に着せるなんて事があって良い訳がない。
歴史的な価値のある物のはずで。
そもそも簡単に着せられる物ではない。
職員も展示物の管理としては優秀。
けれどアンティークドレスの構造を知り着せられるほど熟知しているかと言えばそうではない。
あくまで職員達は保管物の管理人なのだ。
「さぁ我らが姫と家令に相応しい姿を…」
「ご用意いたしますね」
「ええ、私達に相応しい姿にならないとね…有珠」
それは貴婦人の着替えのワンシーンだった。
職員達は的確にドレスをばらした。
そして裁縫用の糸を何処からともなく用意したのである。
更に現実は可笑しな様相を呈したのである。
何よりそのビンテージ物のドレスは有珠の為に誂えたかのような出来であった。
昔の成人した貴婦人が夜会に参加する為に身に着けていたその個人専用のドレス。
時代的にフルオーダーメイドのドレスはその人専用であり他の人は着られない。
来ても着崩れするはずなのだが。
有珠の体を採寸して作られたとしか思えないほど。
模様の合わせ目はそろっており全てが美しい。
ドレスの着付けが終れば次はアクセサリー。
姫の様に飾り立てられ宝飾品の色も有珠の瞳に合わせたかのよう。
ドレスに似合ったアクセサリーも身に着けていたのである。
…身に着けてみて解かる見慣れた形のアクセサリー。
それは父親にお土産でもらった宝石達に瓜二つの物であり。
有珠はその状態を当然の事として捕らえていた。
誰が見ても有珠の為だけに作られた物にしか見えないのである。
里桜もまた同じであった。
男性用の衣類として家令が身に着ける燕尾服の様な物。
それは里桜のサイズに合わせた作りであり無理なく着られるサイズで出来ていた。
「え?」
「あれ?…」
有珠も里桜も大人しくその着替えが終る。
気付いた時には有珠は当時の職人達が作り上げられた大きな姿見。
その鏡に全身を映していた。
有珠に傅き燕尾服を身に付け横に手を乗せ並んでいた。
誰も彼もがその風景を疑問に思う事は無く。
そのまま職人達も全員で思う存分スマホで写真を撮りビデオカメラを回す。
ちょっとしたPVの撮影が行われた。
貴族の日常の記録を取る様に。
有珠と里桜にその異常な時間は続いたのだ。
不思議な事でも短時間に渡って重なり合えばそれは偶然ではなく必然である。
有珠は無自覚に誰かに選ばれた。
世界に祝福された(呪われた)瞬間だったのだろう。
少なくともその時有珠には印がつけられた。
資料館の特別展示スペースとして作られたその場所には全てが偶然にも揃っていた。
あらゆる偶然は必然で重なり合い黒江有珠はその中心に引きずり込まれた。
その事に彼女が気付けるのは当分先の事である。
有珠を中心とした可能性の物語はその瞬間鈍い音を立ててさび付いた歯車の様に不協和音を立てて回り始め出したのである。
故に世界は有珠とその周囲に牙を剥く。
バタンと…ディスプレイ用に作られた物の一つ。
鉄の鎧が落下してきたのだ。
「あぶないっ!」
職員の叫び声が響き渡るが既に遅かった。
何十キロもある鎧の一体が里桜の上に落ちる事になったのである。
スペースを有効活用する為に乗せられた騎士甲冑は天井から吊り下げる形でディスプレイされていたのである。
たまたまだった。
里桜はその異変に気付き真下にいた有珠を突き飛ばすと自身も体を翻してその鎧を避けたのだ。
そこまでは良かったのであるが落ちた鎧の兜がバウンドして里桜の後頭部を強く打ち付ける事になったのである。
あまりにも出来すぎた不運である。
そのまま里桜は気絶してしまい意識を失ったのだ。
「里桜!」
「きゅ、救急車!」
「はいっ!」
有珠が叫ぶも里桜からの返事は無かった。