少しの情けをかけてあげるのであれば彼を起こしてから目的の資料館に行くべきだろう。
どうにも掴み所のない青木集というクラスメイトを有珠はどう接するべきか悩んでいた。
ただの面倒くさがりで自分自身の為にしか動かない。
入学してから周囲と最低限の関りしか持っていない集という存在は有珠から見ればクラス内の輪を乱す厄介な人でしかないはずであった。
「青木集です。県立中学校出身よろしく」
簡潔で他に何も言わなかった自己紹介と学年初めに行われたオリエンテーションによって周囲が打ち解け合って楽しくしている間さえ一人で黙々と何かを行なっていた彼に声をかける生徒はそう多くなかった。
同時に孤立することもなく一歩離れた所から「観察」しているかのような態度は非協力的に見えて有珠からするとイラっとする。
そのくせ代替案を提案すれば納得できそうな事を言ってくるのだ。
扱いにくくめんどくさいから関わり合いになりたくないとまで思える人に昇格しそうだったのだ。
それが数日前から態度が豹変してじろじろと見られている視線を集から感じていたのだ。
「青木君?私に何か言いたい事があるの?」
「い、いや特にない…と思う。考えに至っているんだけど、そのとても黒江さんが気になっている事は否定しないし出来ないか
らそのじろじろ見ていてその事が気になっているのなら謝る。ごめんだけどその深い意味がある訳じゃないからまたみるかもしれないけれど気にしないでいてくれるとたすかるよ。うん」
「そ、そう…」
不審人物が何かを隠しているかのような喋り方であり一層の不信感を有珠は抱かずにはいられないのだが。
「有珠あまり気にしない方がいいわ。
自分の容姿については理解しているでしょう?」
「そう、だったわね。露骨に動揺されてじろじろ見られるのは久しぶりだったから」
「あぁうん。そうね」
その髪の毛と青い瞳は純血の日本人ではありえない事は理解している。
髪を染めているとは言われず判断に迷ったら「外国の方ですか?」と言われるのだから。
しかしその視線を最初に集めたとしてもその視線は次の瞬間切り替わる。
視線は流れる様に里桜に向けられるのだ。
彼女のスタイルのバランスの良さはまさにモデルとして食べていける位には良い。
その代わりに運動音痴と言うネガティブ要素が付いているが。
有珠同様に里桜が吹奏楽部への入部を辞めた理由は簡単で体を鍛える様な運動をしたくないからである。
それなら有珠と一緒に資料館で資料を読み漁る方が里桜にとっては楽しい時間であった。
「可愛そうだから青木君起こしてから行こうか」
「その必要はないんじゃないかな?だって…
青木君は、ミノロワールが起こすでしょう?」
「…え?」
有珠は一瞬だけれど里桜が言った言葉に戸惑う事になる。
ミノロワールって誰と里桜に聞き返したくなったが。
冷静になって考える。
クラスメイトで青木集の後ろの席にいる子だと。
「集?何、居眠りをしているのよ起きなさい?」
「ん、ああ有珠、すまん今起きる…よ?」
「さっさと起きてよね」
午後の授業が終わり起こされ顔を上げた先にいたのは黒江有珠では無かった。
そこにいたのは有珠に似てはいたが別の存在であった。
有珠と瓜二つの立ち姿でありながら決して間違えられる事は無い人物が集の前にいる。
「…お、遅かったな?いやそれ以前に何故お前がここにいる?」
「あら、クラスメイトなのよ?私がいてもおかしい事なんて何一つないわ」
制服だって着ているし。スカートの先をチョンとつまんで見せる。
だがそれは嘘だ。
とっさに出そうになる集の言葉は目の前の女生徒から伸ばされた手によって塞がれ集の口から漏れる事は無かった。
真っ黒な髪の色以外有珠と見分けがつかないほどに似通った目の前の女生徒。
それは集をこの過去の世界へと送り返した存在であり人の形こそしているものの、
「人間」では決してない超常的な自然の摂理を離れた存在である。
彼女は初めてあった時「アリス・ミノロワール」と名乗り集をこの時間軸に送り込んだ存在であった。
だが…それ以上集は思い出す事が出来なかった。
何かに押さえつけられているかのように覚えているはずなのに思い出す事を、
頭が拒んでいるかのよう。
「お前…何かしたのか?」
「何を?って言うのはちょっと反則ね。
世界を私に適合させたわ。私アリス・ミノロワールが存在する世界にね」
それの意味する所を集は直ぐに見せつけられる事になったのである。
他の生徒達も昨日までいなかったはずのアリスに対して何も違和感を感じていない。
窓際の席の一番後ろ。
そこが集の席であったはずなのだが。
その席の後ろがアリスの席と言う事になっている。
不自然に端数となり揃えられていた列から飛び出る形で設置されていた。
「ミノロワール?わざわざ青木君起こしてあげたの?やさしー」
「まぁね。流石に夜まで放置は可哀そうでしょう?」
幻でも何でもなく他のクラスメイトもアリスを認識していた。
帰り際自然に他の生徒から声をかけられている。
アリスに対して違和感を覚えているのは集だけであり気付けば教室に残っているのは集とアリスだけであった。
「気分はどう?この世界にも馴染めた?」
「それなりに違和感なく生活できていると思っている」
アリスはその返答を聞いただけではぁと大きなため息をつく。
集本人はこの世界に馴染んでいるつもりであったのかもしれない。
アリスから見ればそれは何の冗談なのかと突っ込まずにはいられない。
「まずは言葉遣いを直した方がいいわよ?」
「十分に直しているつもりだが?」
「「だが」なんて言い方をあなたは昔していたの?」
「…していたとも」
「年相応にするなら「つもりだよ」辺りだと思うわ」
「そうな、の…か」
思い起こしてみればもう少し柔らかい口調だったような気もしないでもない。
地位が上がる事に出来るだけ固い言葉を使う様になっていた。
それでも周囲に何も言われなかったのは高校に入学したばかりだったから。
集の口癖がそういった奴なのだと思われていた。
「出来るだけ違和感なくしておいた方がいいわよ」
「この口調の方が今は楽なんだが…」
「今のあなたの姿からすると無理に大人びようとしている子供に見えるのよ」
「実際中身は歳をとっているから間違いではないだろう?」
「そうなのだけれどね…有珠が違和感を覚えるのでは無いかしら?」
「…それはよくないな。よくない」
有珠の為と言われれば集の気持ちは直ぐに切り替わる。
それを見てアリスは頭を抱え項垂れる事になるがそれ以上口にはしなかった。
もっと重要な事がアリスには控えていたからである。
「さぁ集。約束通り私と契約をなさい。
ここまで報酬を前払いさせて契約破棄するなんて事はしないでしょう?」
「…契約?」
「とぼけるのは良くないわ。私は
だから集は私と契約を結ばなければいけないのよ?」
「あー?そのなんだ。説明を求める」
その返答にアリスは頬をひくつかせるしかない。
だが集も別に誤魔化している訳ではなかった。
世界を飛び越えた結果なのか記憶の一部があやふやな部分がある。
記憶の欠落を起こしているようなのだ。
重要な事であるやり直す事こそ覚えているもののアリスとの約束は覚えていない。
目の前の「アリス」と名乗った存在とは前世?の世界で会っている。
そして彼女と何かの約束をしたから世界に戻って来たはずなのだ。
彼女には感謝しなければいけない。
けれど感謝の気持ちよりも先にアリスが言った「契約」内容の話を全く聞いていない様な気がしている。
「わ、私と未来を変える為に世界を越える約束をしたでしょう?」
「それは確かにした…のかな?うーん記憶があやふやだ」
「誤魔化せると思っている?」
「そんなつもりはない。が、やはり何をすれば良いのか聞いていない」
「…へ?」
過去に戻り失敗した原因を取り除きより良い未来にたどり着く。
その為に集は戻って来た。
アリスに言われるがまま世界を飛び越えた。
しかし飛び越えさせたアリスはその行きついた先でどんな協力をすれば良いのか。
その事をまったく教えていなかったのである。
あの時の状況を考えれば、すぐにでも承諾させて過去へと集を送り出す事がアリスの目的だったのだから仕方がない。
「確か…時間が無いと急かされた記憶しかないのだが?」
集はこの短時間に最後に出会った時の事を思い出しながら。
やはりアリスは答えていなかった。
「あ、あれぇ?」
流石にアリス側もそうだったかもしれないと考え直したのか。
微妙な空気が二人の間を漂う事になる。
しかしその事をアリスは振り払い話を強引にでも進める。
むしろ彼女にとって集が忘れていてくれることは好都合である。
「私は報酬を先払いで支払ったの。だから集は私に従う義務が出来たの」
「それは暴論ではないか?」
「暴論ではないわ!私と契約してパートナーとならなければ集は契約不履行で捕まる事になるのよ!」
誰が捕まえるんだと聞けば当然「私に」と切り返される事になる。
それはつまり契約する事になる訳で結末は変らない。
「…うん?クーリングオフを希望するぞ。訪問販売だっだからな」
「提案に乗った場所は家で無かったから無効ね!」
「…そうだったか?」
「そうなのよ」
良く解からない攻防を繰り広げていればスピーカーから校内に帰宅を促す鐘が鳴り響く。
見回りの教師が来る前に集もアリスも校内から急いで退去する事になったのだ。
アリスはさっさと契約してと集に言い寄る。
集はアリスとのやり取りに懐かしい気持ちを思い出しつつ帰路に就いた。