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第7話

 ホームルームが終わると、部活に行く生徒と帰宅する生徒も教室から出ていく。

 今までその中に入っていた私は、今日はその中には入らず、人が少なくなるまで待っていた。

 神乃さんと二人になれる場所。学校以外で二人になれる場所。私か神乃さんの……家?

 いやいや、ここは無難に教室から他の人が出ていくのを待つしかないよね。

「やっと放課後になったわね」

 初めはクラスの人たちの会話かと思ったけど、それにしては私の方に声が飛んでくるなあと思って顔を向けると、前の席にいつの間にか神乃さんが座っていた。

「え、あ、うん」

 私はなんとか言葉を返したけど、その後になんと言えばいいのか分からない。

「帰りましょうか」

「え⁉」

 帰るの⁉

「どうしたの?」

「え、いや。帰るんだなあと……」

 私の戸惑いが神乃さんに伝わってしまったのだろうか、神乃さんは困った子を見るように微笑む。そして、声を潜めて言う。

「大丈夫よ。二人になれる場所、知っているから」

「え、あ、そ、そうなんだ」

 周囲に視線を彷徨わせる。教室には自習かな? をしている人が数人いるだけ、だから誰も私たちの事を見ていないと思う。

「帰りましょう」

「あ、う、うん」

 私は神乃さんに手を引かれて教室を出ていく。周囲の音がやけに遠い、これからどこへ行くのだろうか。

 靴を履いた私達は手を繋いで帰路へつく。少し時間を遅らせたから正門周りに生徒はほとんどおらず、人目を気にせず歩ける。

「ね、ねえ、どこ行くの?」

「どこに行きたい?」

 私は進みかけた足を止めてしまう。どこに行きたい? どこなら二人になれるの? 他の人を気にせず、二人だけの時間を過ごせる場所。そんな都合のいい場所はほとんど思いつかない。唯一思いつく場所は、多分もう少し経たないとダメな気がする。

「えぁ……う……」

花灯かとうさんが行きたい場所ならどこでもいいわよ」

「でも……どこでもって……」

 煮え切らない態度の私を見かねたのか、神乃さんは背伸びをして、私の耳元で囁く、内緒話をするように。

「わたしが思いつく場所はね、家……しかないのよ」

 その瞬間私は弾かれたように身を引くと神乃さんの目を見つめる。

「で、でも! 家なんてっ……い、嫌じゃないの⁉️」

「嫌ではないわよ。花灯さんなら、大丈夫」

「――⁉️」

 大丈夫? 本当に? 私が大丈夫なの? また最低なことを考えている。神乃さんに、私が大丈夫な人だと思ってもらえるようにしたのに、いざそう言われると尻込みしてしまう。言った時はそんなこと思っていなかったのに、時間が経つと、その理由を私の中の醜くいものが染めてしまう。神乃さんに私が大丈夫な人だと思ってもらって、その優しさにつけ込んで、私の中の黒い、醜い感情を満たす都合のいい道具にしようとしている。

 私はそんな人間なのに、それでも本当に大丈夫なのか。

 ――それを確かめるためにいいのかもしれない。

 自分でも打算的だと思う。でも、神乃さんなら大丈夫だよね?

「……うん」

 私が頷くと、神乃さんは安心したのか深く息を吐いた。

「良かったわ、それなら行きましょうか」

 神乃さんに連れられてやってきたのは、少し大きな家が間隔を開けて並んでいる住宅街だった。

 その一角。神乃の表札が掲げられている家の前。もし一人で来たのなら、その前で右往左往していたと思う、人の家行くの緊張するし。だけど今日は隣に神乃さんがいるから、緊張はするけど、躊躇わずにお邪魔しますと中に入る。

「両親は共働きだから、いつもこの時間は一人なの」

「そ、そうなんだ」

 沸き上がる感情を抑えながら、私は靴を揃える。

 その後、家の鍵を閉めた神乃さんに案内されて二階へ上がって神乃さんの部屋に足を踏み入れる。

 そしてドアを閉めた瞬間、私は沸き上がる感情をすくい上げる。

 心臓が飛び出ないように神乃さんで押さえつけながら、すぐ横のベッドに移動して、そのまま横になる。

 神乃さんの息が、体温が、血液のように私の身体を駆け巡る。神乃さんも、私の背に回していた手に力を込めてくれている。

 これは大丈夫。でもまだ足りない。

 私は神乃さんを抱く力を少し弱める。恍惚の表情を浮かべた神乃さんが私を見上げる。

「もっと……」

「もっと?」

 甘ったるさを感じさせるその声音に、私の頭はとろける寸前だった。

「あなたが欲しいの」

 身体を起こした私に縋りつくように、体重をかけて私を捕まえようとする。

 神乃さんが私を求めてくれている。その事実があるから、私は湧き上がる感情をまたすくい上げる。

 私に跨る神乃さんの手を取って、私の首を掴ませて押さえつける。神乃さんは咄嗟に手を上げようとするけど、私が押さえているから手が上がらない。息が止まって苦しいけど、今だけは神乃さんの全てが私に向いている。

 焦っている神乃さんの叫び声が私を震わす。止めないよ、私が欲しいって言ったよね?

 だけどふと視界が上に向いた瞬間、神乃さんの手が離れる。

 咳き込みながら、離れた神乃さんに目を向ける。神乃さんは荒い息を吐きながら、おびえた目で私を見ていた。

「……なんでそんな目で見るの? 私が欲しいって言ったよね? 嘘ついたの?」

 不安定な身体を揺らしながら、神乃さんに迫りながら、私から目を離さないように。

「私をだけを見て、私を捨てないで、私を一人にしないで、助けてよ!」

 震える手で、神乃さんの腕を掴んで、再び首にかけようとする。

「止めて!」

 その瞬間、今まで動かなかった神乃さんが、私の腕を払いながら、可愛らしい顔を歪ませながら、瀑布の如く涙を流しながら叫んだ声が私の胸を穿つ。

 やっぱり、神乃さんも大丈夫じゃなかった。私は湧き上がる感情に蓋をする。

「うん、ごめんね」

 途端に今日の出来事全てが無駄になった気がする、神乃さんの優しさにつけ込んで、都合よく使おうとしたけどすべて無駄に終わった。

 もう、この人には用はない。

 そう思いたいけど。私の手を握りしめる神乃さんがそう思わせてくれない。

 ベッドから降りて立った神乃さんの胸が丁度ベッドに座る私頭の位置になっている。そして優しく私を抱きとめると、頭を優しく撫でてくれる。

 少ししおらしい態度をしたから同情してもらえたのかな?

「ごめんなさい。もう、大丈夫だから」

 神乃さんの鼓動が大きい。安心するけど、抱きしめられる謂れは無い。だから私は神乃さんを押しのける。

「もういいよ、私はそんなことをしてもらう人間じゃないから」

 だけど、神乃さんは私の言うこと聞かずに抱きしめる。

「嫌よ、花灯さんを一人にはしないわ」

「ははっ、もしかしてさっき言ったことを真に受けたの?」

 バカじゃないの? その言葉を続けることが躊躇われた。でも、傷つけたい。確かめたい。

「……バカじゃないの?」

「ええ、そうね」

 なんで怒らないの?

「私なんかにかまっても仕方ないわよ、都合よく私に使われているだけなのに」

「花灯さんになら、都合よく使われてもいいわ」

 なんで私に優しくするの?

「気持ち悪い、偽善者。昔から人の気持ちを踏みにじるのが得意なのに」

「傷つけないで」

 傷つけたい、お前は必要ないんだ。

「自分を傷つけないで。あなたは、そんな人ではないから」

「私のなにを知っているの? 知った気にならないで」

 いつも人を試して、自分にとって都合のいい人を選んで、それ以上に醜いところがいつも心の奥底で蠢いている。人を試して、信じきれなくて、更に試して傷つけて、それでも信じきれない欠陥品。

 ――だから今もこうして……。

「帰る」

「嫌よ、あなたのことを知るまで帰さないわ」

 ――本当に?

「うるさい、二度とかかわらないで」

「嫌」

 ――もっと。

「迷惑、本当に嫌い」

「わたしはあなたが好きよ」

 ――だったら。

 私は観念した風に、神乃さんをやんわりと押す。そして、自由に腕が動く距離になると。

「死ね」

 神乃さんの首を締め上げる。

 だけど、苦しいはずなのに、神乃さんは暴れるでも、呻くわけでもなく。ただ微笑んで、優しく私の頭を撫でる。

「なんで……」

 なんで、嫌いになってくれないの。

 神乃さんの首を絞める手を緩めて、私は震えることしかできない。嘘だ、殺そうとしたのに、なんで、そんな表情ができるの? 嫌いになってくれないの? 怖い、触れないで、嫌、来ないで。

 なんで……優しくするの。

「寂しかったのよね」

 違う、寂しくなんてない。でも否定する言葉を発することができない。ただ駄々をこねるように首を振ることしかできない。

「今まで一人で、周りに怯えて、誰にも守ってもらえず頑張っていたのよね」

 やめて、私の心を見ないで。

「でも大丈夫よ、わたしはあなたを一人にしない。もう大丈夫」

 今まで必死に理屈をこねて守ってきた私の核心が、欲しい言葉が、神乃さんなら。

「だから、自分で自分を傷つけないで」

 私は力なく頷くと身体を神乃さんに委ねる。

 頭が追い付かない。本当の私はどれなんだろう。

 重たい頭を神乃さんに包まれながら私は横になる。

「疲れたでしょう、少しの間だけおやすみなさい」

 私の額になにか柔らかいもの触れたと思うと、意識が朦朧としてきて、そのまま――。

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