コロシオでの事件から二ヶ月、ジンは帝都に戻っていた。
と言っても、以前と彼の生活は今までと同じではない。コロシオでの第三皇女・キャトリンが第一皇子を殺害するという事件は、ジンとジンの周囲にも大きな影響を与えていた。
もっとも、第一皇子の殺害についてはキャトリンも正当性を主張していた。
第一皇子のコロシオや他の戦地で行っていた非人道的な行いについては度々問題視されており、特に今回は講和条約を結んだ直後と言うことも有り、一歩間違えれば再びコロシオの街が戦場となっていた可能性すらあった。
もしもキャトリンが何もしなければ、第一皇子の行いについてコロシオの人々が決起するのは当然の事であり、そうなればキャトリンはコロシオの人々に刃を向けなければならなかっただろう。
しかしキャトリンが非道な行いをした第一皇子を処刑した事によって、コロシオの人々は剣を納めたのだ。
だが、だからと言ってキャトリンの行いが全面的に認められることはない。第三皇女の後ろ盾となっていた幾人かの貴族が彼女の元を離れ、キャトリンについては数ヶ月の帝都での謹慎と皇位の継承についての見送りが言い渡された。
皇位継承の権利が剥奪されなかったのは、継承権を持っているのがキャトリンよりは劣ると言われている第二皇女と幼い第二皇子しか残っていなかったからに他ならない。
第一皇子の後ろ盾となっていた有力貴族の幾つかは第二皇子へと鞍替えをしたらしいが、それでもキャトリンの後ろ盾となっている貴族の総数には遠く及ばなかった。
そんな政争が続く中、ジンは帝都の自室にこもり、一頭の黒竜の子の相手を続けていた。
「クロ、お待たせ」
ジンが自室の扉を開けると、出迎えてくれたのは一頭の子竜。だがその大きさは既にジンよりも一回り大きく成長をしていた。
「クロの大好物を貰ってきたんだ。たくさん食べて」
言いながらジンがクロの足下に置かれたのは大人の男性でも食べきれないような量の大量の焼き肉。
しかしクロは嬉しそうに一鳴きすると、皿の中に頭を突っ込んで嬉しそうに肉を食べ始めていた。
コロシオから連れ帰った黒竜。ジンはその子竜をクロと名付けて世話をしていたのだ。
引き取った時には大型犬程の大きさしか無かったクロ。しかし、たった数ヶ月での生活でクロはジンよりも大きくなってしまっていた。
「クロはどんどん大きくなるね。食べる量も俺よりも多いし、そのうち俺の事を乗せて走れるようになるかもね」
「キュイィッ!」
自室に自分の分の料理を持ってくると、クロと一緒に食事をとるジン。数ヶ月前であれば軍議や今後の作戦について考えながら食事をとっていたジンだが、クロと一緒にいることが最近の彼にとっては当たり前になっていた。
勿論、クロを黒竜の群に返すことを考えなかった訳ではない。
コロシオではまるで賞品のように扱われていたクロだったが、黒竜の群に返すことが出来れば、野性の竜として育つことがまだできたかもしれない。
だがクロの帰る群は既にコロシオの周辺には無かった。
帝国の行っている西方への侵略戦争。その中でクロのような黒竜や地竜の需要は高まっていた。多くの竜が騎竜として集められ、戦場へと送られていたのだ。
コロシオで捕らわれていたクロはその中の一頭にしか過ぎない。クロもまた侵略戦争によって当たり前の生活を失ってしまった被害者だったのだ。
「ジン、ちょっと良いか」
一人と一頭で食事をとっている中、不意に部屋の扉がノックされる。その瞬間、ジンはビクリと肩を震わせて、怯えるように部屋の扉を見る。
そして扉が開いた時、部屋の中にはいってきたのはカロルだった。
「やっぱりここか。ジン、その子竜とまた一緒に食事をしていたのか」
「カロル……。また来たんだね」
ジンを見て呆れたように溜息を吐くカロル。だが同時にカロルはジンの事を心配していたのだろう。彼もジンと同じように、自分の食事を彼の部屋へと持って来ていた。
「ったく、面倒見が良いと言えばいいのか、それとも付き合いが悪いと言えばいいのか判断に困る」
ブツブツと小言を言いながらもジンの向かいに座るカロル。
帝都に戻っても自室から出てこないジンを心配して、最近ではカロルが良く顔を出すようになっていた。
「それで、そろそろ決心は付いたのか?」
食事をとりながらカロルがジンに訊ねる。それは、今後のクロの世話についての相談だった。
「何度も言ったけど、クロは他の騎竜みたいに扱うつもりはないよ。この子は元々、俺の所為でこんな事になったんだから……」
「お前の言い分はわかるよ。だが、この部屋だけで面倒を見るのはもう限界だろう? 竜の成長は早い。まだ産まれて二年も経っていないだろうが、もう数ヶ月もすれば馬以上に大きくなるんだぞ」
「それはわかってるよ……。わかってるけど、クロを騎竜として扱うなんて俺にはできない」
たった数ヶ月でジンよりも大きくなったクロ。
カロルは部屋にこもりクロと一緒に過ごすジンを心配していた。と同時に、クロをこの部屋に留めておけないことも理解をしていたのだ。
「子竜のことを考えるなら、ちゃんと部屋の外に出してやるべきだ。騎竜としてじゃなくてもいい、戦地に送るか送らないかはお前が決めればいいことだ。だがこの部屋に閉じ込めておくのは間違っているのはお前だってわかっているだろう?」
カロルの言葉にジンの手が止まる。そう、本当はジンだって理解しているのだ。
自分の部屋にクロを閉じ込めておくことは、あの日檻の中に閉じ込められているのと同じ状況だと。檻が形を変え、ジンの部屋になっただけだと言うことを……。
「子竜のことを思うなら、そいつを竜舎に入れてやれ。竜舎なら少なくても他にも竜はいるし、定期的に広い場所で走り回らせてやることもできるんだ」
「そう……だよね……」
嬉しそうにジンの用意した焼き肉を食べるクロ。
結局、ジンはクロを竜舎に預けることにする。それがクロにとっては最善だと思ったからだ。
「大丈夫だよ。明日また会いに来るから」
竜舎までクロを送り届けるジン。しかし、クロはジンの後に続いて彼の部屋へと戻ろうとする。しかし、クロの寝床には外に出られないように柵が設けられている。
また檻の中に入れてしまったことをジンは胸の中で謝りながら、それでもクロの自分を呼ぶ声を振り切って自室へと戻る。
だけど、そのジンの行動がクロのある能力を目覚めさせるきっかけになるとはこの時には思っていなかった。
翌日――、ジンが目を覚ましたのは。自分の上に何かが乗っている感覚を感じたからだった。
(何だろう……。この重いの……柔らかくて……温かくて……)
寝ぼけ眼を擦りながら起き上がるジン。そして、ジンは自分の上に乗っていた何かを理解すると驚きで目を丸くした。
「うぅ~……、ふわぁ~~~っ」
ジンが起きたことによって、その何かも目を覚ましたのだろう。大きな口を開けて欠伸をしていた。
腰のあたりまで伸びた長く黒い髪、頭から生えている二本の角。透き通るような白い肌に幼い肢体。
見た目には五歳くらいだろうか。下着すら身に着けていない状態の女の子が、ジンの上で横になっていて、その少女は起き上がると大きな口を開けて欠伸をしていたのだ。
「なっ……、君……どうしてここに……」
困惑の中、ようやく言葉を発するジン。そんな彼に向かって少女は微笑みを浮かべると言ったのだ。
「パパ、おはよう♪」と――、
その言葉にジンは目眩にも似た何かを感じて、ベッドの上で倒れてしまったのだった。