西方の交易の要所、コロシオの街は東西の街を中央に流れる運河が左右に分ける街だ。西方の各地で生産された食品や商品が集まり、市でやり取りされた賞品は陸路で、または運河によって各地へと運ばれている商業と交易で成り立っている。
街は円環状の外壁で守られ、領地を治めている領主によって屈強な軍隊が組織されている。
だからこそギシアやキャトリンは今回の戦争が長丁場になることを想像していた。しかし、実際に蓋を開けてみればコロシオの街は帝国の連合軍を迎え撃つことも無く、彼等との、特に第三皇女キャトリンとの対話を試みたのだ。
「領主は何を考えている? これでは無条件での降伏を宣言したようなものだが……」
軍を連れたギシアは領主の本意に思いを巡らせることができない。しかし一方で、キャトリンは領主の判断を評価もしていた。
「東方の荒野でも、帝国軍との正面でのぶつかり合いを避けて、多くの民を守った街があった。おそらくは戦争状態となった場合の被害の大きさと、街に暮らす人々の生活を秤に掛けて、帝国に併合されることを選んだのだろう」
抵抗なく帝国の支配を受け入れれば、その貴族は周辺から売国奴の汚名を被ることは避けられない。それでも貴族としての誇りよりも、領地に暮らす民のことを優先した領主をキャトリンは評価していた。
そしておそらくは領主も交渉相手に第三皇女のキャトリンを選べば、必要以上の被害を出すことは無いと予想していたのだろう。
事実として。キャトリンの統制された軍は、戦争が終わっても必要以上に街に暮らす人々の生活への介入はせずに、大きな自治権を許しながらも帝国領の領地として、街を接収することが多い。
「蹂躙や破壊を進めたところで、街の残るのは恨みだけ。再建の手間を考えても、できるだけ穏便に管理下に置いた方が良いだろう」というのがキャトリンの弁だ。
そしてジンもまた、街に暮らす人々のことを考えれば、それがもっとも適した選択だと思っていた。
「それではキャトリン様、領主殿が謁見をお求めです。今後の事もありますので、領主様との会談を御願いいたします」
コロシオの街を管理下に置き、領主との直接の会談の場を持ったキャトリン。交渉次第で領主との会談が決裂をすれば、再び戦争への引き金となるが、逆に和平を結ぶことが出来れば、これはキャトリンの戦果となり、皇位継承権の争いにおいて、彼女が一歩リードすることは確定的だった。
「それではジン、行こうか」
ジンを連れて領主との会談に向かおうとするキャトリン。しかし、そんな二人に待ったを掛けたのは、二人を呼びに来た帝国兵だった。
「ジン様、貴方様には第一皇子から招集が掛かっております。この度の戦果における報償の授与となりますので、至急第一皇子の陣へとお越し下さい」
「……なに?」
兵士の言葉にキャトリンが訝しげな表情を浮かべる。それもその筈、今回の戦争における報償など本来は発生がする筈が無いからだ。
「もしも行かなければ……」
「第一皇子の逆鱗に触れることになるだろうな。人の嫌がることを考えさせたら、アレの右に出るモノはいないだろう」
第一皇子からの招集について、軍の参謀であるジンが拒むことは許されることでは無い。報償の授与としての呼び出しであれ、もしもそれを拒めば報償が一転、厳罰のような扱いになる事は考えられた。
「キャトリン様、どうしましょう?」
「仕方が無いだろう。ここは兄の顔をたててやれ、講和についての会談ならば他の将もいるが、兄上はお前をご指名のようだしな」
キャトリンの言葉に納得をしかねるものの、ジンとしては第一皇子の求めに応じる以外の選択肢は無い。仕方が無く、ジンはコロシオの街の中に既に陣を広げている第一皇子の元を訪れたのだった。
………………。
第一皇子の陣を訪れたジンは驚きで目を丸くしていた。街を左右に分ける運河の中州。その一角に拠点として陣地を広げていたギシア軍。街に続く橋にこそ兵士が配置されていたことまではジンにも理解できる。
だが、未だキャトリンの軍の兵士が戦後処理として働いているにも関わらず、第一皇子の陣では既に戦勝後の宴が始まっていたからだ。
(第一皇子……、ギシア様は何を考えているんだろう? 戦争はまだ終わっていないというのに……)
講和条約の会談にキャトリンが向かっているが、交渉が決裂する可能性はゼロでは無い。そうなった時は、このコロシオが再び戦地に変わる可能性がある。
それなのに第一皇子の軍はまともな統制などとらず、運河の中州に酒や肉などを必要以上に運び込んで、自由に振る舞っていたのだ。
「おお、お前がジンか。この度は私の呼び出しに良く答えてくれた」
そんな宴が催される中、宴席の中央に向かうジン。公的な儀礼として彼の前に膝をつき頭を垂れれば、ギシアは満足げに笑みを浮かべていた。
「この度は私のような者をお呼びいただいたことを光栄に思います」
「堅苦しい挨拶などよい。私は兼ねてから、お前と一度会談の場を設けたいと思っていたのだ。この度の連合軍での戦争はそんな私にとっては渡りに船と言ったところだ」
自身の笑みを浮かべるギシアに対して、ジンはやはり自分が呼ばれたのは報償の為などでは無かった。それ以外の狙いがあったようだ。
「私のような一軍師に皇子様がどのような御用があるのでしょう?」
「謙遜などすることは無い。私は正しくお前の資質を評価している。我が愚妹が行った行いの中で最も評価すべき事だと考えいてる。しかしながら、やはり第三皇女の元ではお前は正統な報酬を貰っていないとも感じていたのだ」
「……」
ギシアの言葉に耳を疑うジン。そして彼は、ジンに対して見れば、醜悪な笑みを浮かべて語り掛けたのだ。
「ジン、お前を我が軍に取り立ててやろう。そうすれば、これからはお前の働きに対して正統な評価と報酬を与えてやろう。どのようなことでも思いのままだ」
自分を見いだしてくれたキャトリンを侮辱され、頭の中が熱くなるジン。しかし、それでもここでキレることはキャトリンにとっては不利益にしかならないと、自分自身を律しようとする。
「嬉しい申し出ですが、私はキャトリン様に取り立てていただいた御恩がありますので……」
「そうか? だが、こういった趣向はどうだ?」
しかし我慢が出来たのも一瞬だった。
趣向として第一皇子が指示を出すと、宴会場となっている陣の中に数名の女性が連れられてくる。その中には亜人の少女や檻に入れられた竜の子もいる。
そして連れられて来た彼女達は一様に悲壮な表情を浮かべ、両手には枷が嵌められ、鉄の首輪がつけられていた。
「こ、これは……」
「昼間の内に何人か見繕っておいたんだ。この街は既に帝国の管理下にある。ならば、その街に住んでいる民をどうするのかも、私達の意志一つで決まるだろう?」
あろうことか、ギシアは街の人々の中から無関係な女性をまるで奴隷のように取り立てたと言い始めたのだ。
彼女達の登場にギシアの兵士達が更に盛り上がりを見せるが、ジンは足下のぐらつきを感じながら、この宴会そのものの意味を理解する。
「ギシア様……、まさか彼等が食べたり飲んだりしているものは……」
「この街の貯蔵品だ。なぁに、この街は既に帝国の管理下にあるのだ。何の問題もあるまい?」
事も無げに行ってみせるギシアに、ジンが感じたのは身を焦がすような激しい怒り。貯蔵している食料は、この街の人々が冬を越すための貴重な食糧に他ならない。
領地の民のことを思い、領土を開け渡すことを決断した領主の思いを踏みにじっていることが許せなかった。
怒りのままに自分の感情を吐き出してしまいたいという衝動に駆られるジン。しかし、ここで自分がギシアに対して無礼な行いをすれば、その咎はキャトリンにまで及ぶかもしれない。
「さぁ、ジン。好きな奴隷を選ぶが良い。その後は好きなように使うことも許可してやろう。なぁに、お前に反抗的な奴隷がいるのなら、好きなように躾ければ良い。必要なら鞭でも何でも用意してやろう。お前が暴力を振るえば、従わない奴隷はいないだろう」
「……っ」
ギシアは笑みを浮かべてジンに選べと迫る。しかし、ジンに選べるはずも無い。
「お、俺には必要ありませんから……」
やっとの思いでその言葉を口にする。しかし、それは奴隷として連れてこられた彼女達には最悪の選択だった。
「そうか。それじゃあ。連れて来た女達は我が軍の慰安婦として迎え入れよう。おい、お前ら! 好きに使って良いそうだ」
ギシアの言葉に宴会を開いてい彼の兵士から喝采があがる。そして、一人また一人と兵士達によって鎖を引かれて連れて行かれる女性達。
「彼女達を解放してください。こんな事は……」
その光景にジンが慌ててギシアに懇願する。だが、ギシアはジンに囁いたのだ。
「許されないとでもいうつもりか? これまで散々、帝国の領土を広げる為の戦争を指揮していた癖に……。ここと同じ事が各地で行われていたことも知らなかったのか?」
その言葉に地面が揺れていると感じる程の目眩を覚えるジン。その場にへたり込んだジンを見下ろして、愉悦の笑みを浮かべるギシア。
「さて……、この子竜は兵士達には無用だろう。『灰色の軍師』殿にはお似合いな子供竜だ。今回の戦争の立役者として、この竜を連れていくが良い。この光景はジン……お前が招いた事なのだからな」
宴会場に響く女性達の悲鳴。その声を背中に感じながら、気が付けばジンは逃げ出すように第一皇子の陣から駆け出してた。
そして彼は気が付く。街の人々が第一皇子の陣から出てきた自分に対して憎しみの視線を向けていることを……。
(こんなつもりじゃ無かったのに……。僕が……全部僕が……)
そしてジンはキャトリンの陣に戻ると、彼の為にあてがわれた部屋に籠もり、膝を抱えて涙を流す。
嗚咽する彼の頭の中では、ギシアによって掛けられた言葉と、街の人々が自分に対して向けていた憎悪の視線だけがいつまでもグルグル巡っていたのだった。