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回想6:キャトリンの野望

「忌々しい女だ!」


 帝国第一皇子・ギシアは自室に戻り毒づくように吐き捨てる。そして怒りのままにテーブルの上に置かれていた調度品を手で払えば、部屋を彩っていた花瓶が音をたてて割れた。


 金色の髪に金色の瞳、肌は白く長身の彼は年齢にして既に二十代も後半。しかし、まるで自分の思惑通りに行かなかったことに癇癪を起した子供のように、室内の調度品に八つ当たりをしていた。


「ギシア様、どうぞそのくらいで」


 彼を諫めるように声を掛けたのは執事の壮年の男性。しかし、彼の言葉に応じることも無く、ギシアはどこに向けて良いのかも分からぬ怒りのままに振る舞っていた。


「こんな事なら、やはり子供の頃に殺しておけば良かったのだ。もしも死んでいたのなら、こんな屈辱を感じることも無かっただろう」

「それは……」


 執事の男は「第一皇女様のように?」ともう少しで問いかけそうになったが、ギリギリのところでその言葉を飲み込む。


 第三皇女を侮って命までは奪う必要が無い。自分が皇帝の座についた暁には外交の道具、駒として使えば良いと判断したのは、他ならぬギシア本人。


 だがここ数年で彼は徐々に勢力を削られ、逆にキャトリンは着々と勢力を伸ばしていた。


 そして、そんな現状を現在の皇帝も何も感じなかった訳では無い。ついには今日、ギシアとキャトリンは皇帝の御前に呼ばれ、そして皇帝からの勅命を授かったのだ。


「西方の要所・コロシオの制圧。この作戦を俺とキャトリンが協力して行えとはな……。父上もついにどちらが皇位を継ぐに相応しいのかを判断する時が来たと思っているのだろう」


 言いながら奥歯を噛みしめるギシア。皇位継承権こそギシアは第一位となり、キャトリンは第三位の位置で落ち着いてるが、この順位は既にあてにならないと言うことを彼自身も自覚していた。


 齢も50歳を越え、年老いた皇帝。彼には正妃や側室の間に設けた五人の子供が居た。


 その中で皇位を継承するのは自分しかいないとギシアは思っていたのだ。正妃と皇帝の間に産まれた第一皇女は既に亡く、第二皇女は皇帝となる器では無いと思っていた。


 第三皇女も数年前までは第二皇女よりも愚かと揶揄され、彼女よりも後に産まれた第二皇子については、まだ幼く碌な後ろ盾も無い。だからこそ彼は自分が皇位を継ぐことを疑っていなかったのだ。


 しかし、この数年でその立場は危ういモノになっていた。


 原因は彼自身がよくわかっている。キャトリンの領地の獲得が、彼の予想よりもずっと早かったのが原因だ。


 本来なら、一度戦争が起これば短くても一月、長ければ年単位で戦争状態が続くことが殆どだ。それなのにキャトリンの率いる軍は早期に敵兵に大打撃を与え、領地の併合の条約を結ぶか、武力による完全制圧によって多くの地域を勝ち取ってきたのだ。


(原因は分かっている……。あの『灰色の軍師』……、アイツさえいなければ、ここまでキャトリンが勢力を伸ばすことは無かっただろう)


 噂になっている軍師のことを思い返すギシア。


 もちろん、彼の陣営にもジンのように軍師としての仕事を生業にしている者がいる。しかし、その実力は凡庸なもので、何よりもいずれはギシアが権力を手にするだろう、と彼に寄ってきたものばかり。


 器を見るに敏感な一部の貴族は既にギシアの元を離れ、徐々にキャトリンの陣営に取り込まれており、未だにギシアとの関係を続けている貴族達も、情勢を見守っているというのが実情。


 実際の所はギシアの陣営の方がキャトリンの陣営に比べて勢力も大きく、まだまだ有力貴族が付いている。だがその差は日ごとに詰められていて、そのパワーバランスも今回の遠征次第で簡単にひっくり返る可能性のあるもの。


 そして今回の遠征は程なくして15歳になるキャトリンが成人になる事を併せて、どちらがより皇帝に相応しいかの、一つの分水嶺となる戦争でもあった。


「あの『灰色の軍師』さえ我が陣営に取り込むことができれば……」


 ギシアは思案を巡らせる。


 しかしジンには最近になって数人の護衛がついたと噂がされていて、キャトリンに知られずに接触をすることも難しい。


「それではこのような策は如何でしょうか? 有能とは言え、軍師は所詮現実の厳しさを知らぬ子供にすぎません。戦争の負の面を見せれば、案外脆いものです」


 そんなギシアに対して彼に付き従っていた執事が耳打ちをする。その内容にギシアが口の端をつり上げる。


「なるほどな。ならば決行は次の遠征で……」


 喉を鳴らしてニンマリと笑みを浮かべるギシアに、執事も自信の笑みを浮かべる。



 ………………。



 一方でキャトリンは帝国城内に与えられていた自室に戻ると、ジンを呼びつけていた。


「ジン、大戦が決まった。次はいよいよ西の交易の拠点、コロシオの制圧を命じられた」


 テーブルの上に広げられたキャトリンの地図。帝国領を示すその地図には白い帝国の領土と、未だに帝国に併合されていない黒い領土が描かれている。


「事実上、次の遠征でコロシオを落とせば、西の交易の権利を帝国が握ることになる。皇帝もその事をみこしているのだろうな。今回の遠征では私と第一皇子との連合軍での遠征を行えという指示が出た」

「それは……」

「ああ、お前が思っている通り、事実上の次期皇帝の選定も兼ねているのだろう。コロシオでの戦争での武功、帝国にもたらした利益によって次期皇帝が決まると言っても過言では無いだろう」


 キャトリンの言葉に頷きを返すジン。だが、同時にジンは不安も覚えていた。


「第一皇子との連合とのことですが、大丈夫なのですか? 第一皇子には第一皇女の暗殺も含めて後ろ暗い噂も少なくありません。最近になって勢力を伸ばしているキャトリン様に害をなす可能性も……」

「その可能性は否定できない。だがな、ここで私は引く訳にはいかないのは分かっているだろう。この地図を見ろ」


 言いながらキャトリンがジンに示した地図は、ここ数年での帝国の領地の拡大を示している。


「私は言っただろう。この世界を白く染めると。あと少しで西の地は完全に帝国の領土へと変わる。そして、ここに居たるまでの道は私達が築き上げたものだ。兄の功績がゼロだったとは言わないが、軍部には私達の成果だと認める声も大きい。これは千載一遇のチャンスだ」


 帝国領の拡大と大陸の統一。


 キャトリンの語る野心にジンが感じたのは期待感と不安の混じったような感情。数年前にキャトリンの差し出した手を取った時から、確かに彼の人生は大きく様変わりをしていた。


「分かりました。では第一皇子様の動向にも警戒をしつつ、作戦を練ろうと思います。コロシオでの戦争となると、今まで以上に大きな戦争になるのは間違いありませんから」

「ああ。頼りにしているぞ、ジン」


 そしてそれから数週間後――、第一皇子の旗を掲げた部隊と、第三皇女の旗を掲げた部隊の連合軍が帝都を後にする。


 だがジンはこの時思ってもみなかったのだ。


 この戦いが自分の知っていた世界を一変させることになる事を。ジンにとっての運命の出会いは、刻一刻と近付いていた。

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