時を遡ること開戦の数時間前――、初めての軍議を終えたジンはキャトリンに呼び止められていた。
「ジン、何か思うところはあるようだな」
「それは……。はい、その通りです」
ジンは悔しさとも怒りとも言えない、もどかしさを覚えていた。
「どうして、あの人達はこれからの戦争に向かうというのに、戦力差だけを見て楽観的に物事を考えられるんですか? これから実際に戦うのは最前線に置かれる人達なのに……。あの人達のたてた作戦は、まるでその事を度外視しているように見えます」
彼等の提案した騎竜による突貫は、例え成功したとしてもキャトリンの率いる軍に決して少なくは無い損害を与えるだろう。
ジンからしてみれば、彼等は損害が出ても構わないと言っているように見えたのだ。そして、その答えはキャトリンが既に持っていた。
「それはな、ジン。彼等にとってはこの戦争の勝利は最低条件で、可能ならば私に損害を出させることが目的だからだよ」
「……どういうことですか?」
口元に薄い笑みすら浮かべながら応えるキャトリン。ジンには彼女の言っている言葉の意味がわからない。
全ては彼女の置かれている特殊な状態が原因だった。
「知っての通り、私は現在帝国の皇位継承権の第三位を持っている。これは私が皇位を継ぐ可能性もあるということだ。だがな、私が皇位を継ぐ可能性があることを潰したいと思っている層も一定数いるんだ」
順当に行けば、次期皇帝は皇位継承権の第一位を持つ第一皇子が手にするだろう。だが、そんな彼にとって自分以外の皇子や皇女が皇帝になるかもしれないという話はリスク以外の何ものでもない。
その為、キャトリンは失脚の機会を狙われていた。
「帝国として、今回の戦争に勝つことは最低条件だ。相手の倍以上の戦力。そして鍛えられた帝国軍の部隊。それらを駆使して戦争で勝ってこいと言うのが、今回の私に与えられた役目だ。だがもし、この戦で大きな損害を出すことになれば? まかり間違って、戦争に敗北するようなことになれば?」
「キャトリン様の失脚に繋がる……」
ジンの言葉に頷きを返すキャトリン。
「おそらくは今回の作戦全てが敵兵に筒抜けになっているのだろう。伏兵などに気を使っていないのが良い証拠だ。このまま戦になれば、まず間違いなく少なくない損害を出すことになり、私は皇位継承戦から失脚するだろう。そうなれば、第一皇子に皇位を継がせようという声が更に高まり、私が皇位を継ぐ可能性は万に一つもなくなる」
彼女の言葉に言葉が出てこないジン。
そう。最初からキャトリンは詰んでいたのだ。勝たせる気のない将達。彼女の失脚を狙っての作戦。地の利でも人の和でも、既にキャトリンに勝ちの目は無かった。
「だがな、私には私で切り札を用意していた」
「え……?」
キャトリンの赤い瞳がジンに向けられる。
「確かにこのまま開戦をすれば、奴らの目論見通りに私は失脚をする事になるだろう。だがな、こちらにはお前がいる。どうだ? この状態から盤面をひっくり返すことはできるか?」
彼女の言葉に背筋に走る悪寒。ここに来て、ジンはどうして自分が軍議に呼ばれたのかを悟る。そう、彼女は期待していたのだ。この状況をジンという切り札によって書き換えられる可能性を。
(考えないと……。僕の今持っているカードで……)
なだらかな丘陵の上方に陣取った敵兵。最初から突撃しか指示の与えられていない騎竜兵達。そして数の上での敵兵に対しての有利。
求められるのは可能な限り少ない損害と、戦争での勝利。
「一つだけ……」
そしてジンはある策へと辿り着いた。
「もしも騎竜に乗っている人達がキャトリン様の失脚を願っていないのならば、彼等の損害を減らす方法があります」
そう言ったジンにキャトリンは口の端を緩めていたのだった。
………………。
そして翌日、騎竜による突貫が始まり、彼女の失脚を狙っていた将はほくそ笑んでいた。
既に竜による突貫は敵兵にリークされている。後はどうやってキャトリンの無能さを際立たせるか、それが彼に残されていた役目だ。
雄々しく竜が吼えて、帝国陣地から何頭もの竜が丘を駆け上がり始める。本来ならば、敵兵には竜に対抗する手段などなかっただろう。だが、直後に起こったのは竜の進行方向で起こった爆発だった。
「はははっ! これで……キャトリンはお終いだ!」
敵兵へと続く自陣との直線上で起こった爆発。竜の突貫を見越したかのように幾つもの火炎の魔石を使った地雷が仕掛けられていたのだ。
足下からの爆発を受ければ、いかに強靱な肉体を持っている竜であっても無傷では居られない。
先頭の竜の足が止まれば後続の竜達の足が止まり、その隙を突くように更に敵兵が弓を引き、更に何人もの兵士が損害の出た騎竜達にとどめをさそうと陣から出てくる。
ここまでは彼の思い描いていた筋書き通りだった。
「既に我が軍には多大なる被害が出ています。ここは前線を下げて後退するべきです」
「騎竜隊に後退の指示を出しましょう」
キャトリンに対して撤退を進言する将達。後はこのまま逃げ惑う竜騎に幾らかの損害が出れば、彼等の作戦は成功したも同然だった。
「騎兵隊、前進せよ。間も無く敵は総崩れとなる機を逃すな!」
予想外だったのはキャトリンの指示。既に前線は敵兵が制圧したも同然。それなのにキャトリンは追加の戦力を投じようとしたのだ。
(何をこの女……。本物の無能なのか? 戦闘の勝敗はもう決している)
キャトリンの指示に兵士達は困惑を浮かべる。しかし、次の瞬間彼等は目を疑った。
「申し上げます。敵陣と本陣を繋ぐ一直線上に氷が広がりました!」
伝令の言葉を聞くまでも無い。敗走する竜騎に乗った兵士達が追撃をする敵兵の足下に向かって幾つもの氷の魔石を投げ込み始めたのだ。
その結果、氷の魔石が反応して丘陵には氷が広がっていく。
その氷が罠となり、追撃をしようとしていた敵兵の足下をすくい、竜騎達はそんな兵士達を尻目に自陣へと後退を始める。
「下がれ! 本陣へ下がれ!」
敵兵の中で響き渡る怒号。しかし、ジンの策はまだ終わっていない。
「敵本陣にて火の手が上がりました! キャトリン様の策が成功した模様です!」
見れば、氷に足を取られていた兵士達が戻るはずの、敵本陣から幾つもの煙が立ち上っている。そして、敵陣に伏兵として強襲した一部の兵士が、氷の張り巡らされた丘陵から戻ろうとしていた兵士達に向かって矢の雨を降らせていた。
キャトリンの言った通り、敵兵の布陣は総崩れとなっていく。そして、その中を鉄の蹄をつけた騎兵達が駆け上がり、氷を踏み砕きながら駆け上がっていく。
「こ、これは……、いったいどいう策を……」
その光景に表情を青ざめさせる将の一人。自軍の被害は殆ど無い。それどころか、帝国軍は敵兵を壊滅させた上で戦闘を収めてしまったのだ。
「早い話、お前の作戦はこちらにも筒抜けだったんだ。だから、あの子供に……ジンに逆に利用されてしまったんだよ」
「ジン……? それはあの子供の……」
「ああ、ジンはこう言っていたよ。おそらく騎竜に乗る兵士達は、自分達に損害が出ることを伝えられていない。それならば、彼等を助ける為の策と、状況を打破する為の策を併せましょう、とな」
キャトリンの言葉に絶句する将の一人。そしてキャトリンは彼へと剣を向けた。
「敵兵の本陣から、こちらの作戦が漏れていた証拠が見つかるだろう。速やかに敵本陣の対象を捕らえよ!」
彼女の言った通りに敵本陣を強襲した騎兵部隊がキャトリンの指揮に従って動き、ついに帝国軍の作戦が漏れていた証拠が見つかる。
将はそれを自分とは無関係だと叫ぶが、無謀な突貫作戦を提案した彼に耳を貸す者はいない。
本来なら彼を擁護する立場の者達も、もう取り返しが付かないことを察したのだろう。誰一人として彼を顧みる者はいない。
一方で敗走した竜騎兵や敵陣になだれ込んだ騎兵を中心に、今回の作戦をたてたのが一人の少年軍師の策だったと言うことが広まる。
「本来ならもっと損害が出ていたはずだった」
「騎竜兵達に氷の魔石を持たせたのは、子供の軍師の進言らしい」
「敗色濃厚な戦況を一変させた敵陣の炎も子供の策だったんだろ?」
兵士達の間で広まっていくジンの功績。
そして誰が言ったのか、この日よりジンはその髪色と、敗北確定だった戦況を一変させたとして、『灰色の軍師』と呼ばれるようになったのだった。