「さしあたって君には多くの兵法を学んで貰う必要がある」
キャトリンの屋敷に招かれたジンは、親元を離れて一時、キャトリンの屋敷で基礎学習を学ぶことになる。
年齢にしてまだ10歳のジンだが、父親が元帝国の軍師と言うことも有り、一般的な読み書きなどは教わっているらしく、キャトリンの持っている蔵書などを与えても一人で読み進めることができた。
(ボードゲームでは天才的であっても、実際の戦場では大きく状況が異なる。もしも使いものにならなければ……)
ジンの学習の様子を見て、いざとなれば彼を斬り捨てることもキャトリンの頭の中に無かったと言えば嘘になる。
しかし彼女の心配は杞憂に終わる。
ジンは一度読んだ兵法書についてはあっさりと理解し、一月もすればキャトリンと基礎的な軍の作戦行動について話ができるまでになっていた。唯一問題があるとすれば、それは学力以外の面だ。
「行きます!」
ジンが模造刀を片手に訓練場でキャトリンの雇ってくれた家庭教師に向かって斬りかかる。しかし、家庭教師はあっさりと彼の剣戟を受け止めると、逆に弾いてしまう。
「ジンさん、あなたは小柄ですから、力を使って斬りかかっても簡単に弾かれてしまいます。剣の振りの速度を速めて、相手の隙を突くように動いて見てください」
「は、はい……っ!」
家庭教師の言葉に従ってジンが剣の速さを意識して振るう。しかし、その速度はやはり手で模造刀が握れてしまう程に遅かった。
「遅いっ!」
剣をいなすように叩かれて、ジンは逆に家庭教師によって打ちつけられる。その様子を見て、キャトリンはこれ以上は時間の無駄だと判断する程にジンには剣の才能が無かった。
だが、まだ魔法については剣よりはマシなレベルで才能があった。と言っても、10歳にしてはと言うレベルでの話だ。
水を出すことや、炎を出すことは可能だが、それを攻撃魔法として昇華させるには、まだまだ時間が掛かるだろう。だからこそキャトリンはジンの魔法についての時間も削り、彼にはより多くの兵法や軍事行動についての知識を与えていく。
「天の利……、地の利……、人の和……」
「ああ、天候などの条件や地形などの条件。それよりも人の和、つまりは人脈を含めた良好な人間関係が重要だという話だ。統率の取れていない部隊では、どれ程地の利があっても惨敗する可能性があるとうことだ」
特にキャトリンが力を入れたのは、人に対する運用方法だ。地形戦や機会を伺う才能はジンの中では既に一線級のモノになっている。
仮に躓くとすればジンにとっては『人を使うことだろう』とキャトリンは判断していた。
そして半年の期間をキャトリンの屋敷で過ごしたジンは、帝国第三皇女の推薦と言うこともあって、問題無く帝国の士官学校に入学することが許される。
第三皇女の後ろ盾というとも有り、入学早々にジンとの人脈を築こうと多くの生徒がやって来たのは当然だろう
しかし半月もすればジンの剣の才能の無さや、魔法についてのレベルの低さが露見して、彼に近付く者はいなくなる。だがその報告を受けてもキャトリンは当然だろうと思っていた。
彼の強みはそんなところには無いのだから。
そしてキャトリンの想像は現実のものとなる。それは、20人規模の部隊に別れての演習戦だったらしい。
ジンは自分の所属するチームの作戦行動の指揮を執り、部隊を全勝に導いて見せたと報告を受けたのだ。
そしてジンも演習での成功をきっかけに、掛け替えのない友を得ることになる。
「ったく、剣も魔法も苦手なのに、演習とか作戦行動なら他よりも頭が回るとか……、かなり特殊な才能だよなぁ」
「えっと……そうかなぁ……」
学校の食堂でジンと言葉を交わしてくれたのは、演習で同じ部隊だったカロルとハネットの二人。カロルは大柄な大剣使いで、逆にハネットは金髪碧眼の痩身の槍使いだ。
ここ最近は一人で食事をすることが多かったのだが、二人は演習の結果を復習するとして、ジンと食事を供にしてくれた。
「兵法については皇女様のお屋敷で習ったんです。軍の参謀として、部隊を勝利に導くのが僕の仕事だって……」
「なるほどな。まぁ、そう言うことなら、今回の演習の結果についても俺は納得だよ。ったく、そういうことなら最初から言っておけよ」
「無茶を言うな。俺も人のことは言えないが、ジンを侮っていた奴は多かっただろう? その中で成果を示したから、そのことを俺は賞賛したいと思う」
「……あ、ありがとうございます」
カロルの文句に苦笑しつつ、ハネットの評価に恥ずかしくなって頬を染めるジン。しかし、そんな彼を見て、カロルは髪を搔いて言った。
「いや、そもそも軍の参謀になるって言うなら、もう少し口調にも気を使うべきだな。お前の丁寧な口調は公の場では良いが、軍の中では舐められる要因になるぞ?」
「そ、そうかなぁ……、でも僕は――」
「いや、だからそう言うのが駄目なんだって。僕じゃ無くて、俺。軍の参謀になるなら俺について来いってくらいの覇気は欲しいな」
「そ、そうかな?」
「あぁ、一度言って見ろよ。俺について来い、ってな」
「う、うん……わかった」
カロルの言葉に一つ頷くと、ジンは少し息を吸い込んで声を出した。
「お、おれについて来い!」
しかし、何処か辿々しい口調に周囲に広がったのはカロルとハネットの笑い声。そんな二人の反応に、ジンは困った様子でオロオロとしてしてしまっていた。
「え? あれ? どこか変だった?」
「い、いや、最初だからな。そんなところだろ」
「まったく……。ジン。カロルの言うことを真に受けなくても構わないんだぞ? ジンにはジンの指揮の取り方があると思うからな」
「そ、そうかなぁ?」
「ジン君っ♡」
二人の反応に困っている中――、不意にジンが感じたのは後ろから抱き締められる感触。ふと見れば、演習では精霊魔法でジンのサポートをしてくれていたアリシナが彼を後ろから抱き締めていた。
「アリシナさん? どうしたんです? これは……その……」
背後から抱きつかれたことでジンの背中に当たる柔らかな膨らみ。これまで異性と言えば、母親かキャトリンくらいとしか関わりの無かったジンにとっては初めての経験だった。
「あははっ♡ ジン君はかわいいなぁ。ねぇ、三人で何を話していたの?」
「えっと、カロルさんが僕じゃ無くて俺って言った方がいいって……」
「はぁっ!?」
ジンの説明に対してアリシナが表情を険しくする。
「ちょっとカロル、本気で言ってるの? あなたのバカがジン君に移ったらどうするつもりなのよ! ジン君もね、友達は選んだ方が良いよ? ハネットはともかく、カロルなんて筋肉しか取り柄の無いバカなんだから」
「バカバカって、俺はお前にそこまで言われる程バカじゃねえよ!」
「いや、バカでしょ。今日だってジン君が何回君の行動を止めたか……。幸い、全部ジン君がカバーしてくれていたけど……」
「い、いえ……、それはカロル君の部隊はいつも直線的で読みやすいからで……。その分、こっちとしても他に気を回せるというか……」
ジンに悪気は無いのだろう。
あくまでも彼はカロルをフォローしているつもりで声を掛ける。しかし。その言葉にカロルは肩を落としていた。
「ジン君って、天然で容赦ないね。今のってフォローになってないよ?」
「まぁ、何も間違ったことは言っていない」
ニヤニヤと口元を弛めるアリシナと、嘆息してみせるハネット。
そんな三人とジンは士官学校でその後も多くの時間を過ごすことになる。しかし一方で、ジンが演習で見せた士気の結果などは、逐一キャトリンに報告されていく。
そして士官学校に入学して、たった半年でジンは第三皇女・キャトリンの名において実践へと連れて行かれることになったのだった。