第三皇女キャトリン=ヘルテラはヘルテラ帝国の皇位継承権を持つ第三皇女としてヘルテラ帝国に生まれた。
雪のように白い肌は父親譲りだが、銀色に艶めく髪とルビーの輝きを想起させる緋色の瞳は皇帝の側室・母から譲り受けたものだった。
皇帝の娘として産まれたが、だからと言って彼女の人生が順風満帆なものだったという訳では無い。
長兄である第一王子と二人の姉。そんな三人の後に産まれた彼女は、第一皇子のような正妃の娘では無く、あくまでも腹違いの側室の娘でしか無い。
皇位継承権こそ与えられていたが、産まれた当時の継承権としては第四位。もしもこの後男子が産まれることがあれば、更に男子が産まれれば、皇位継承権がズルズルと後退するという位置づけで産まれた、言うなれば予備としてのお飾りの皇女だった。
しかし、そんな彼女の最初の人生の岐路が与えられたのは、彼女が5歳の頃。7歳年上の生妃の娘である第一皇女が無くなったことだ。しかも、その死には不審な点が多く。毒を盛られたという話がまことしやかに囁かれていた。
だがキャトリンがそれで取り乱したのかと言えば、それはまた別の話。そう、これは起こるべくして起こった暗殺なのだと彼女は幼いながらも理解していた。
正妃の娘であり第一皇子の妹である第一皇女は、年齢は二つと変わらないのに、勉学での聡明さや対外的な交渉術は明らかに第一皇子を上回っていたことは、キャトリンの世話をしていた侍女達の噂話からも知っていたこと。
(おそらくは義兄が殺したのは間違いないのだろう。そうで無ければ、継承権の順位が、そう遠くない頃に入れ替わる可能性があった)
姉の死について冷静に、キャトリンは今の帝国内でのパワーバランスについて想像を巡らせるしかない。
果たして第一皇女の死が本当に第一皇子の仕業だったのかと、真実を知る術は無い。しかし、その日を境にキャトリンが爪や牙を隠すきっかけになったのは間違いなかった。
第一皇子よりも身体能力も、頭脳も、何もかもが劣っていると彼女は振る舞えば、少なくても暗殺の危険性は無いだろうと、彼女はその為に愚者のフリをしたのだ。
しかし、そんな彼女のことを帝国内の誰もが見抜けなかったのだろうか?
真の知恵者がいれば、或いは見抜けたかもしれない。だが、まだ5歳だった彼女が愚かに振る舞うこと、物覚えの悪い子供のように振る舞うことはごく自然に周囲に受け入れられた。
それでも彼女に近付く者が完全に居なかった訳では無い。
曲がりなりにも第三位にまで引き上げられた皇位継承権が誘蛾灯のように、何人かの有力貴族を惹きつけたのも事実。しかしキャトリンは自分に近付く貴族に対しても選別を行っていた。
幼い彼女の目から見て、有能かどうかがその篩いだったのだ。
篩いに落とされた者はキャトリンを利用価値のない愚かな姫として見て、勝手に離れていった。だが、彼女が垣間見せる才能の片鱗に気付いた者は、いずれは利用価値がある者とキャトリンは積極的に受け入れていった。
様々な思惑の渦巻く帝国において、本当に信用のおける者などいない。
それでも有能な貴族や相応の地位を持つ者を連れることは、キャトリンには必要不可欠だとは思っていた。全てはこれから先、自分が皇帝の子として生きていく為にだ。
後に灰色の軍師と呼ばれる男。ジン=アースと出会ったのはそんな時だった。
それはほんの戯れのつもりだった。帝都に与えられた屋敷に滞在の折、彼女は自分の役目を侍女に任せて市井に出ていた。あくまでも愚かな姫であろうという無謀な行動。
姫としての身分を偽って出た大会――、ただのボードゲームだとキャトリンは久しぶりに本気でゲームに興じていた。
もしもこれが帝都や屋敷でのゲームであれば、わざと隙を作るような駒運びをしていただろう。だが、彼女が信頼する従者以外の者以外に彼女の素性を知る者がいないのならば、その必要は無かった。
そう――、たかがボードゲーム。
少し強いと思われたところで何の問題も無い。だからこそキャトリンは本気で優勝をするつもりだったのだ。
(まぁ……、やはり市井のボードゲーム大会などこの程度だろう……)
準決勝自体は辛勝といった内容だったが、その他の試合は概ね彼女の圧勝。おそらくは自分と準決勝にあたった男が、このあたりでは一番の実力者だったのだと彼女は思っていた。
「よ、よろしくお願いします」
だからキャトリンは決勝に上がってきた少年を見て、ガッカリしたものだ。余程、トーナメントのくじ運が偏っていたのかと勘ぐってしまうのも当然だろう。
自分の目の前で盤についたのは明らかに自分よりも歳下の子供だったからだ。どこかボサボサとした灰色の髪の、痩せた少年は瞳をキラキラとさせながら自分を見ていた。
「はい、よろしくお願いします」
礼儀として少年と互いに盤に向かう。しかし、キャトリンはたったの数手で彼の実力が、自分が先程自分が辛勝した相手と比肩する、あるいは凌駕している事を理解した。
(何だ……、この子? まるで予知に近い……)
灰色の少年はジッと盤上を見て、キャトリンの駒の配置の意図を、その奥にある真意さえ見透かすように動かしていく。そしてキャトリンはこの日、本当の意味で敗北した。
今まで愚者や弱者を演じて敗北をした事はいくらでもある。だが、この日のキャトリンは本気で目の前の少年を叩き潰すつもりで駒を動かしたのだ。
しかし彼女の手は悉く読まれ、先回りされ潰され、そして周囲には数手差に見える僅かな差で勝利は彼の手におさまった。
だが、キャトリンは胸の高鳴りがおさまらなかった。
(必要だ……。この子が……私には絶対に必要になる)
その少年は明らかに異常だった。本気を出したキャトリンと肩を並べられる者など、誰一人としていないと彼女は思っていたのだ。なのに、事実として彼は凌駕してみせたのだ。
「ふむ……。今回はやられたよ。まさか、こんな子供に負けるなんて」
「は、はい……、今日はたまたまです。次は勝てるかどうか……」
それなのに彼は自分の才能の片鱗にさえ気付いていない。それがキャトリンには酷く勿体なく思えた。
「君……、名前は?」
「僕……、僕はジン……。ジン=アースです」
彼のジンという名前自体にキャトリンは聞き覚えが無い。だが、アース家という政争にまけた軍師の家系があったことをキャトリンは知っていた。
それもその筈。アース家は、今は亡き第一皇女の側近として使えていた一族だったのだから。
「アース……。そうか……アース家の子供なのか」
キャトリンはチラリと準決勝で試合をした壮年の男性を見る。かつての兵士としての面影は残っていなかったが、彼は確かに第一皇女に仕えていた軍師なのだろう。
これで全ての合点がいった。そしてキャトリンは彼に向かって手を差しのばした。
「ジン=アース。私は君が気に入ったよ。どうだ? 私の下で働くつもりは無いか? この世界を白く染めてしまおう」
その言葉にジンの父親は驚きの表情を浮かべていた。おそらくは彼自身も私が普通の市井の女性でないことは気付いているのだろう。だが、もう遅い。
キャトリンは自分が成り上がる為に、彼が必要だったのだ。
「君が私の下で働くなら、今日君が手に入れた賞金よりも莫大な財産を得ることを約束してやろう。私の下で軍師のとして学び、私の右腕になるんだ、ジン」
そして彼は差し出された自分の手を取ってくれた。
「僕が軍師になって……、父さんと母さんの暮らしが楽になるのなら」
少年の小さな世界にとっては、未だに両親が第一位に置かれている。だから彼はキャトリンの手を取る。そして彼女は自分を越える可能性のある頭脳を手に入れた事に歓喜したのだった。