アンゴラの失脚から数日後、イメダ領の農地では紅花の刈り取りが急ピッチで進んでいた。そして、その中には孤児院の子供達の姿も有り、大人に混じって紅花の刈り取りを進めている。
しかし働いている人々に悲壮感は無く、これから町を立て直していくのだという希望に満ちていた。
「まさか、こんなに利用方法があるなんてなぁ……」
相談料としてミラが譲り受けた紅花の一部を見ながら感嘆の息を漏らすジン。それもその筈、アンゴラは貴族向けの染料や生薬として利用していたのだが、それ以外にも紅花の利用方法はいくつもあったのだ。
これまで殆ど廃棄していた茎や葉は食用にも利用でき、資料として町の一部で育てている家畜の餌ともなる。
観賞用などで利用するつもりは町の人々には無いようだが、干した紅花は染料だけで無く、酒なども作れるらしい。
そして種子からは食用油が採れるのだが、種子は農地の肥料などにも利用ができるらしかった。
「ミラはこの紅花をどうするつもりだ?」
「そうねぇ……。何か作るにしても少量だし、ドライフラワーにでもして観賞用に売ろうかしら。匂いが強いから嫌う人も居るけど、それなりにきれいにできるしね」
「そうか。それなら俺にもできるな」
ミラの言葉にジンは紅花を短く切ると一纏めにして竜車の中へ吊していく。
「ジン、ドライフラワーの作り方なんて知っていたの?」
「いや、俺は知らなかった。でもレインがクロに話していたのを聞いていたんだ。お前が町の人達に紅花の利用方法について話したんだろ? その場に何人か子供も交ざっていたんだよ」
言いながら手早く竜車の中に吊していくジン。
「うまくできたらミラにもやるよ。ミラだってこういう華は嫌いじゃないだろ?」
「それはそうだけど……。あなた、意味がわかって言ってる?」
「意味?」
案の定、分かっていないようだとミラは嘆息する。
(どうしてこんな朴念仁の事を……)
そんな風に考えながら思い出すのは、ジンに好意を持っているのは間違いないと思う一人の女性の事。赤い髪の彼女のことを考えると、胃の中がムカムカとしてきて、やはり良い思いはしなかった。
そんな中、不意に聞こえてきたのは馬の蹄の音。
同時に今まで農作業を続けていた男達が手を止めて、農地の中を進んでいく馬と、その馬に繋がれているアンゴラを見ていた。
「よう、ジン」
その馬に乗っているのはカロルで、彼は面倒な事になったと言わんばかりの表情でジンを見ていた。
「どうしたんだ? アンゴラを連れて……」
「お前の所為だろうが。本当ならこんな事は後回しにするべきなんだろうが、やはりコイツを領地に放っておく事はできない。ちょっと町を歩いただけで領民に斬りかかられるんじゃ無いかとヒヤヒヤしたぞ。置いていけば、間違いなく私刑になる」
余程、領民達からの殺意のこもった視線に晒されるのが恐ろしかったのだろう。馬に繋がれているアンゴラは幾らかやつれ、老けてしまったかのように髪が白くなっていた。
「とりあえずは近隣の町の収容所にでも連れて行こうと思ったんだが、それなら帝都に連れて行くのが一番だとハネットに言われたんだ。コイツの後ろ盾の貴族についての問題もあるしな」
「ハネットは?」
「領主不在の町をそのままにしておくことはできないだろ。アンゴラを引き渡した後に新領主が来るまでは、町の自治についての世話をする必要がある。俺達の中だと、そんな役割をこなせるのはアイツだけだ」
「そうか。それは何よりだ」
カロルの言葉に口元を緩めるジン。
おそらくはしばらくは、二人はジンを追いかけるどころでは無くなるだろうと安堵さえしていた。もっとも、カロルも手放しでジンを自由にするつもりは無かった。
「ジン君、やっほ♪」
「アリシナ?」
カロルから遅れて馬を連れて来たのはアリシナ。そんな彼女を見てミラは動揺するが、アリシナは特に気にした様子も無かった。
「ジン、まさか俺達がお前を軍に連れ戻すのを、諦めたとか思っているんじゃ無いだろうな?」
「……まさか」
「さすがに察しが良いみたいね。話が早くて助かるわ」
そう言ってにこやかな笑みを浮かべるアリシナ。続けた言葉にジンはもう開いた口が塞がらなかった。
「ジン君がどこに居るのか、連絡を取ったりするお目付役がいれば追いかける手間がグッと縮まるでしょ?」
「いやいや、まさか竜車についてくるつもりか?」
「そのまさか。しばらくは旅に同行させて貰うからそのつもりで。言っておくけど、逃げられるなんて思わないわよね? クロちゃんに竜車を引かせる以上、精霊使いからは逃げられないと思って貰った方が良いんだけど?」
ニコニコと語るアリシナに、もうジンさえも何も言い返せない。
精霊はどうしたって竜の存在には敏感だし、アリシナの目を盗んで逃げたとしても、すぐに後を追われるのが関の山。そういう意味では一番の適任者がつけられてしまったようだ。
「竜車にスペースは無いぞ?」
「そう。まぁ、馬で併走するから問題は無いわ。一番体力のある子を選んだから、クロちゃんにもついて行けるでしょ」
一歩も引き下がろうとしないアリシナに諦めにも似た表情を浮かべるジン。一方でミラも彼女を睨むように見るが、アリシナはそんな視線さえ気にしていない様子だった。
「兄様ぁ、お手伝い終わったよ!」
そんな中子供達と一緒に紅花の刈り取りをしていたクロが戻ってくる。その後ろにはオリバーやレイン、孤児院の子供達とライカまでもがいた。
「なぁ、クロ。本当に行くのか?」
「もう少しだけこっちにいても……」
オリバーやレインがクロに問いかけるが、クロはそんな二人に対して少し寂しそうに頭を振る。
「ごめんね、クロは兄様のお手伝いをしたいの。本当は皆ともう少し一緒にいたいけど、ここでバイバイする。でもきっと、またこの町に来るから」
「約束だぞ。その時にはおかわりしきれないくらいに食わせてやるから、絶対に来いよ」
「クロちゃんはもう私達の仲間なんだから」
オリバーやレインと抱き締めあう。
クロはやっぱり寂しいのか少し瞳を潤ませていたが、鼻をすすり上げると最後には笑顔を浮かべていた。
「ジンさん、ミラさん、今回は本当にありがとうございました」
そんな中でライカが二人に頭を下げる。一度は死を覚悟していた彼女だが、もう今の生活を手放すつもりは無いらしい。
これからも孤児院を続けて、子供達が独り立ちするまでは後継人のような立ち位置に納まることに決まっていたようだった。
「お二人も必ずまた来てくださいね。特にミラさんには、町の人達もまた来て欲しいと仰っていましたから」
「領主になれって話をしないならね」
ミラの言葉にクスクスと笑うライカ。
未だにアンゴラの屋敷に人々が向かうきっかけになったミラの言葉が人々の間に残っているようで、ハネットが予想したとおりに彼女に領主になって欲しいという声は多いらしい。もっとも、ミラにはそのつもりは無いようだが……。
それぞれに別れを告げると、クロは竜車の陰に隠れて竜化して、ジンが竜車とクロを繋ぐ。そしてミラが荷台に乗り込むと、クロの引く竜車が走り出した。
「クロ! 絶対に来いよ!」
「待ってるからね!」
竜車が走り出すと、その後を追いかけ始める子供達。クロが一声大きな声を上げると、その声は町中に響いていく。
荷台に乗るミラに手を振っている町の人を見ながらジンが振り返れば、後ろに続くように走っているのはアリシナの乗った馬。
(また面倒な事になりそうだ……)
そんなことを考えながら、クロの引く竜車の手綱を握ったジンは、さらに西の町へと向かうのだった。