「それで、話って言うのは?」
二人っきりになったアリシナとミラ。アリシナに折角ならお茶でもと連れて行かれたのは屋敷の一室。先日も世話になった女中が二人の為に紅茶を用意してくれていた。
「言わなくても分かっていることだと思うけど、ジン君についてよ。貴方が今の雇用主なんでしょう?」
アリシナは微笑みを絶やさない。しかし、ミラに向ける眼差しは真剣そのもの。そんな彼女もミラも青い瞳で見返すが、アリシナは気にした様子も無かった。
「率直に言いましょう。ジン君との旅は、ここで終わりにしてくれないかしら? フォルン家の流通路を確保すると言うことなら、この町、もしくはこの先の街で問題は無いんじゃない?」
やっぱりか、というのがアリシナの言葉を聞いたミラの感想だ。しかし、その答えはもう決まっていた。
「残念だけど、ここでジンとの旅を終わりにするつもりは無いわ。ジンにはフォルンの街での作った多額の負債を返済して貰う必要がある。今回の旅の途中でそれなりに商品を手に入れたり稼ぐことはできたけれど、負債額には足りていないの」
「そう。だったら、負債額を教えてくれる? 帝国の金庫から不足分を立て替えさせて貰う。それでジン君に関わるのを止めて欲しいの」
「お金の問題じゃないでしょ!」
「あら? 最初にお金を理由にしたのは貴方だと思うけど?」
ミラに対しても余裕の微笑みを崩さないアリシナ。
その態度が、自分の知らないジンの一面を知っていると、ミラよりもジンのことを理解していると物語っているようで、ミラには何故かそれが腹立たしい。
「どうして帝国はジンにこだわるのよ。ジンが帝国軍で軍師をしていたのは知っているけど、軍師なら他に何人もいるでしょ? それなのにどうして軍を離れたジンを……」
「それは貴方だって分かってるんじゃ無い? ジン君の商人としての適性は知らないけれど、軍師としての有能さであればジン君は帝国でも有数の能力を持っている。それこそ、何人の軍師を束にしても届かない程にね」
「それでも軍を離れたってことは、ジンはもう帝国の戦争には関わりたくないって事でしょ! それを無理矢理、能力があるからって戦争に連れて行くつもり?」
アリシナの言葉に激昂するミラ。しかし平淡な口調でアリシナはそんなミラに語り掛ける。
「ええ、無理矢理にでも連れて行く。それが最後にはジン君の為になるし、帝国のためになるって信じているから」
「なっ……、そんなの……わからないでしょ。ジンのためになるかなんて、そんなこと……」
ミラの言葉が尻すぼみに小さくなっていく。反対にアリシナは自分の信念を曲げるつもりは無い。最初から二人の間には明確な差があった。それは今までくぐり抜けてきた死線の差。経験の差とも言うべきものだ。
「帝国の情勢は未だに不安定だわ。西と南方を平定できては居るけれど、東の教国との小競り合いは未だに続いているし、北方の王国との戦いも未だに続いている。かと思えば、このイメダ領のように帝都の貴族が利益を得る為に横暴な振る舞いをしている領地もまだまだ多いのが実情」
「それはジンには関係が無いわ! 帝都の貴族家の手綱を皇帝が握っていれば良い事じゃ無い!」
「そうね。でも、すぐには対処できない。ならば対抗手段を私達は用意する必要がある。その為にジン君が必要なの。軍を正しく導いて、内部の問題と外部の問題を解決する為にも、有能な人材を腐らせておくなんて事はできないわ」
ミラにも分かっている。
ジンはハッキリ言って商人としてはまだまだだ。このまま商人にしておくよりは、きっと軍にいた方が彼の能力を活かせるのだろう。だがそんな理性的な思いよりも、ミラは別の感情を覚えていた。
「ジンは利用させない。貴方に何を言われたって、ジンを渡したりはしないから!」
その感情にミラはまだ名前をつけていない。
しかしその思いは確かにある。いつの間にかミラは彼との関係を掛け替えのない大切なものだと思っていたのだろう。そして、同じ女性だからこそアリシナもミラの思いに気が付いた。
「そっか、貴方もなのね……」
だからこそ、アリシナも譲る訳にはいかなかった。
「私も個人的に、ジン君を貴方には預けていたくない。ジン君には相応しい場所がある。その隣に立ちたいと思っているのはの私も同じよ。雇用主と従業員じゃ無くて、彼のパートナーとしてね」
「……っ」
二人の間に走る火花。ミラとアリシナの主張は平行線のまま。そしてもう話は終わったとミラは肩を怒らせて出て行く。
しかしアリシナの言葉がいつまでもミラの中では渦巻いていた。
………………。
ミラがアリシナとの話をしていた頃――、ジンは町の土地の名義を記した資料を手に、シスター・ライカの相談に応じていた。
新しく作成された資料には今までアンゴラが不正に利用していた土地に対してオリバーやレインと言った孤児達がそれぞれ相続するはずだった土地について書かれていた。
「ふわぁ……、オリバーもレインも、すごくいっぱいの土地を持っていたんだね」
資料を見てもクロには内容は理解できない。それでも町の農地にそれぞれの子供達の名前を書いていけば、それなりにまとまった土地がある事が分かった。
「ただ問題は、これらの土地は既に紅花畑になっていることで……。とてもオリバー達だけでは管理できる量ではありませんし……」
「まぁ、確かに……。言っても子供ばっかりだもんな」
子供達に農業のノウハウなどある筈も無い。教会の敷地内に作られている家庭菜園程度なら問題も無いだろうが、本格的な農家として活動する事などできないのは明白だった。
(そう言う意味ではアンゴラが有効利用していたんだろうが……)
胸の内で呟くジン。
そんな彼に対して、オリバーやレインはやる気を見せていた。
「今は紅花畑だけど、父さんや母さんが本当は麦を作っていた土地なんだろ? だったら俺達がちゃんと立派な麦畑にしてやるよ」
「うん。麦だけじゃ無くて野菜も作れば、皆お腹いっぱい食べられるようになるでしょ?」
二人の言葉は頼もしく思える一方で、さすがに二人や年少の子供達だけではどうしようも無いだろうと想像はつく。
「この手の話はミラの方が得意なんだが……。とりあえずはあの畑に生えている紅花をどうにかした方が良いよなぁ?」
「そうですね。とりあえずは刈りとるしかありませんか?」
町中の農地をオレンジ色に染めあげている紅花畑。
紅花事態に問題がある訳では無いが、町の人々は紅花に対して良い感情を持っていない。
刈りとったところでアンゴラのように染料や生薬として販売する伝手もないので、有効利用できるとも思えなかった。
「紅花は食べられないの?」
クロが訊ねるが、ミラに訊いていた利用法では直接充分な食料になるとは思えない。少なくても、教会の子供達を満足させる程、腹は膨れなさそうだった。
「何を難しい顔をしているのよ」
ジンとライカが悩んでいると、そこに帰ってきたのはアリシナと話を終えたミラ。土地の資料を見て悩んでいる二人を見て、呆れたように溜息を吐いていた。
「ミラか、もうアリシナとの話は終わったのか?」
「そっちは話したくない。それよりも今の問題を教えなさい」
「あ、ああ」
ミラのイライラとした様子に気圧されながら、ジンは今の問題について説明する。しかし、その話を聞いたミラは、なんだそんなことかとばかりに言ってみせた。
「あのね、農業についてたった一人でできる訳が無いでしょ? そう言うのは本来は町ぐるみで協力するのが普通なのよ」
「というと?」
「町の人達がバラバラに動いていると思う? 紅花だって麦だって、町の人達が総合に協力し合って作っているのが普通。その上で得た利益を平等に分配しているのよ」
広大な町の農地。それらを取りまとめる集まりがある筈。
そう言ったミラの言葉をヒントにオリバーやレインが聞き込みを始めれば、あっさりとその集まりが判明して、その集まりも今後の方策について話をしている最中だった。
しかし、やはり町の意見の大半は紅花について早急に刈りとろうという意見が大勢を占めているらしい。
有効な利用法など無いが、やはり紅花についての忌々しいという感情が先立っているのが実情のようだった。
「何か有効な利用方法はないか?」
「生産については詳しくないけど……。まぁ、有るには有るわよ」
そんな中でミラがあるものを提案する。それは現在のイメダ領でも使われているものであり、無理なく生産ができるのであれば、今後の農地の運営にも利用できるものだった。