アンゴラの屋敷に到着してすぐ、ライカが通されたのは彼が囲っている使用人や情婦が使うための浴室だった。これからの情事のために身を清めるようにと、使用人の女性に伝えられた為だ。
(確かあの人も……)
その女性はつい数ヶ月前までは町の農地の一角で、夫婦で農業を営んでいた女性だ。二人の間にも子供が一人居た筈だが、重い税を支払うことが出来ずに、領主の屋敷に身売りをしたのだろう。
(やはり領主様は……)
ライカに対して悲壮な表情を向ける屋敷の使用人達の表情を思い出す。
彼女達もきっとライカと殆ど同じ理由で、最初はこの浴室に通されたのだろう。浴室は見た目にはきれいに整えられている。
その場でライカが身に着けていた衣服に手を掛けると、次第に露わになるのは普段は黒を基調とした修道服で隠されていた彼女のボディラインだ。
真っ白な肌に艶には乏しいが長いプラチナブロンドの髪。
食事に困っているので手足は痩せていて、お世辞にも肉付きが良いとは言えなかったが、それでも女性らしい丸みを帯びた身体つきはアンゴラの情欲をかき立てるには充分だろう。
用意した物を手に浴室に入ると手桶に湯をすくい、手拭いで肌を洗い、身を清めていく。
ややあってライカが浴室を出れば、彼女の為の衣服が用意した一人の女性が待っていた。
「こちらを着て領主様の部屋へ」
ライカを見て視線を逸らせる女性に差し出されたのは、殆ど肌の色が透けて見えるような白い薄衣。
乳房を隠すものは用意されておらず、アンゴラの趣味なのか秘所を隠す程度の布地のショーツだけが用意されている。
「わかりました。ここからはどうか一人で……」
「……ええ、わかりました」
ライカの言葉に静かに頷く女性。
彼女が退室したことを確認すると、ライカは用意された衣服を身に着けていく。
(こんな悪趣味な物を……。私達の税を使って……)
沈痛な面持ちを浮かべるライカの表情が屈辱と悔しさに歪む。ライカが身に着けた衣服は、街の娼館などで春を売っている女性達が身に着ける衣服にも劣るような、彼の性欲を満たす為だけの衣服だ。
そんな衣服を身に着けながら彼女は更衣室を出る。
更衣室の外には、先程ライカを浴室まで案内してくれた女性が待っている。そして彼女はライカを見て息を呑んでいた。
「……どうか見なかったことにはしてくれませんか」
彼女に見られてしまったと思いながら、ライカが彼女に語りかける。そんなライカの姿に彼女の決意を感じ取ったのだろう。
女性は無言のままライカの言葉に頷くと、燭台を手にライカの前を歩いて廊下を進む。蠟燭に照らされた彼女の顔が青く見えるのは気のせいではないだろう。
程なくして辿り着いたのは領主・アンゴラの部屋だ。
「ライカ様をお連れしました」
ノックと共に彼女が部屋の扉を開けると、重苦しい木製の扉が軋むような音をたてて開く。そしてライカが部屋に入ると、甘い匂いがライカの鼻腔をくすぐった。
「ははっ、ライカさん。よく来てくれた」
室内に入ったライカを見て、口元を緩めるアンゴラ。彼の舐めるような視線が、透けるような薄衣を身に着けたライカへと注がれる。まるで視姦をするかのようにライカのボディラインを見て眦を下げている。
彼の視線を感じてライカは羞恥を覚えて顔が赤くなっているが、それでも領主の視線から身体を隠すこともなく、手を後ろ手にしたまま彼の前に立つ。
「従順な態度だ。よく身の程が分かっているようだな」
彼の手がライカの手に伸びる。無骨な指先が薄衣の上からライカの乳房に触れて、ゾクッとライカの背筋に怖気が走るが、しかし彼の愛撫もライカは拒むことは無い。
「ふひひっ、そうそう、いつもこうしてやりたいと思っていたよ。あんなボロい教会や、孤児達にお前は勿体ない。私の情婦として、これからは私の種を注いでやろう」
醜悪な顔付きでライカをみるアンゴラ。
そして彼はライカをベッドへと誘おうとする。しかしアンゴラは後ろ手に手を組んでいるライカの覚悟に気が付いていない。彼女の手にはアンゴラの命を奪うための銀色のナイフが握られていた。
案内をしてくれた女性に見られた時には取り上げられるかもしれないと思ったが、彼女の気持ちも同じだったのだろう。今も冷たく感じるナイフは彼女の手の中にあった。
「ささっ、こちらのベッドへ……」
ライカを先導するようにベッドへと導いていくアンゴラ。身に着けていた衣服を脱いでいき、アンゴラ自身も下着姿になる。
そうなれば、もう彼が身を守る為の物は何も無い。
(今、この瞬間に彼の命を絶てば……)
修道女であるライカ。人として決して許されてはいけない行為。
領主の殺害などが行われれば、ライカと関係する肉親にも危害が及んでいただろう。しかし、ライカにはもう家族と呼べる存在は孤児院の子供達しかいない。
血のつながらない子供達に何かの罰が与えられることなど無いだろう。
それに、自分の事を「お姉ちゃん」と慕ってくれるオリバーやレインの事を想像し、彼らの未来を守る為ならば手を汚すことに躊躇いなどある筈も無い。
「領主様……、どうかこちらに……」
ベッドの上に上がり、ライカが作り物めいた笑みを浮かべる。
その姿にアンゴラはおそらくは減税のために彼女が媚びているのだと推測する。しかし、次の瞬間にライカが銀色のナイフを取り出して彼へと突き立てれば、アンゴラの表情が恐怖に歪んだ。
「ひぃいぃっ!」
アンゴラの悲鳴が室内に響く。間一髪でライカの振ったナイフは彼を掠めたが、その刃を彼へと突き立てることは敵わなかった。
ライカのナイフがそれたのは、彼女に刃物を扱う心得が無かったことだけが原因ではないだろう。血の気の引いた顔で、ライカはその手を震わせていた。
「お、おま……、お前! 自分が何をしているのかわかっているのか!」
ライカの振ったナイフが彼の腕を掠めたのだろう。アンゴラの腕にはライカのつけた切り傷から血が滴っていた。
「何をしているか? この町に住みついた害虫を駆除しているに過ぎません。領主様、どうかここで死んでください。私も私自身の罪から逃れるつもりはありません。あなたの命を奪った後、すぐにあの世へとお供を致します」
「ひっ……、ひいぃ……、だ、誰か!」
ライカの言葉に彼女が本気なのだと悟ったのだろう。
アンゴラがベッド上から転がり落ちるように逃げていく。ライカがそんな彼を追うようにベッドから降りていく。
すぐにでも彼の悲鳴に誰かが駆けつけてくるかもしれない。もう残された時間は殆ど無い。これが最後のチャンスだ。しかし――、
「ちょ、調子に乗るなぁ!」
「……っ」
武器を持っていたとしてもライカは力の無い女性だ。
ベッドから降りた瞬間にアンゴラが怒りの形相を浮かべ、室内の調度品の一つを投げつける。重く硬い花瓶がライカにぶつかり、彼女が怯んだ隙をアンゴラは見逃さなかった。
「このっ!」
怒りのままにライカをその場に突き飛ばす。
彼女の手に握られていたナイフが手を離れ、そのナイフをアンゴラが蹴り飛ばすと、部屋の隅へと転がっていく。
「修道女風情が……領主である俺に逆らうなど……」
「くっ……」
唯一の武器を取り上げられたライカにもう勝ち目はなかった。アンゴラは彼女をその場に組み敷くと馬乗りになり、彼女に向かって拳を振り下ろす。
「くっ……、あっ、いっ……! あああぁっ!」
室内に響く鈍い音とライカの悲鳴。
ややあって勝ち誇ったかのような笑みを浮かべたアンゴラの目の前には、頬を赤く腫らした彼女の姿があった。
「この俺に傷をつけたんだ。覚悟はしているだろうな? お前は普通の情婦のようには扱わないぞ。この俺が楽しんだ後は、地下牢にでも幽閉して、俺の私兵の男達に無償で貸し出す性奴隷にしてやる。女として生まれた事を後悔させてやる!」
顔を赤くしながら醜悪な笑みを浮かべたアンゴラの手がライカの着ていた薄衣にかかる。そして服を引き裂いて肌を露わにしようとしたその時だった。
「ガアァアァアァアァアアアアアアアアアアアアッ!」
響き渡ったのは怒りに燃える竜の咆哮。屋敷内のアンゴラの耳にも届いたその咆哮に生物としての本能が反応する。
「な、何だ……今の咆哮は……」
既に反抗する力も失っていたライカに馬乗りになりながら戸惑いの表情を浮かべるアンゴラ。その直後にアンゴラの部屋に訪れたのは、枯れた雇っている数人の私兵の内の一人だった。
「申し上げます! 本日、領主様に反抗をした黒竜の襲撃です!」
「何っ……!」
アンゴラが窓に走りより、屋敷の門へと視線を向ける。
するとその場では漆黒の黒竜となったクロが屋敷に向かって咆哮していた。そして、その黒竜の背に乗っていた数人の子供達――、それぞれが木剣を手に屋敷の敷地内へと入り込んでいた。
「この女……、またコイツの……」
怒りで言葉を失うアンゴラ。そして彼は私兵を怒鳴りつける。
「今すぐに私兵全員で対処に当たれ! 子供だろうと容赦はするな! 一人残らず捕まえて、俺に反抗したことを後悔させてやれ! ガキの死体を町に晒してくれる!」
アンゴラの指示に走り去っていく私兵。
そして彼の部屋に倒れているライカは、遠ざかっていく意識の中で子供達のことを思っていた。