ミラがアンゴラの屋敷から戻ってきたのは、夕日が太陽の向こうに沈むころ。シスターが善意でジンやクロにも手料理を振舞ってくれた後の事だった。
「ジン、この町の秘密がわかったわ。やっぱり私の考えは正しかった」
言いながらミラが持って帰って来てくれたのは町の土地の利用書。それは戦争が終わる前のものだった。
「私は最初からこの町の広大すぎる紅花畑がおかしいと思っていた。帝国西部では穀倉地帯となっている場所も多いし、町の人々が協力して小麦を作ったりしているのが普通なのよ」
言いながらミラが見せてくれた戦争前の土地の利用書は、たしかに町の広大な畑は殆どが小麦畑になっており、同時にごく小規模ではあるが野菜などを栽培していたようだった。
「これがどうしたんだ?」
「いいから、話しを聞いていなさい。それで、こっちがアンゴラが赴任してからの土地の利用書」
書式こそ異なるがアンゴラが赴任した時には、一度は失った小麦畑がまた復活していた。おそらくは町に暮らす人々が復興の為に努力をしたのだろう。
だが、そんな土地の利用書の中に、まるで飛び石のようにいくつかの赤い印が書き込まれている。それはまるで小麦の畑の中に赤い何かが浮かび上がっているかのようだった。
「これってもしかして……」
「ええ、紅花の栽培を始めた初期よ」
ミラの説明を受けてジンがそれから土地の利用書を捲っていく。最初は小規模だった赤い印が徐々に伸びていき、代わりに小麦畑は野菜畑が消えていく。
そして去年の土地の利用書を見れば、もう小麦畑などは消えていて、残っているのはごく少数の野菜畑だけ。そして、残った野菜畑の分布の中には、ジンたちがいる教会までもが含まれていた。
「紅花の栽培が急速に広まったのはわかったけど、だからどうだって言うんだ? これは領主が進めたことだろ?」
「まだピンと来てないの? 確かに紅花の栽培は進んでいる。問題なのは土地の名義よ」
「名義……」
ミラの言葉に利用書の土地ごとの名義を見ていく。すると栽培を行っている殆どの土地の名義は、その農地を栽培している住人の名前が記されていたのだ。
「何でだ? 農地の名義は領主の名前になっているはずじゃ……」
「もう忘れたの? 前領主の政策の賜物よ。どうも、前任の領主は農民の自主性を重んじていたようで、土地の名義を町の人々に与えて、そこでの栽培を自由にさせていたみたいなの。所謂、競争意識を持たせて、より良質な野菜なんかを栽培させる為だったと思う。
元々、広大すぎる畑を一領主だけで管理するのは大変だし、農家も良質な野菜の販売ができれば利益の上がる上策だと思うわ」
言われてジンが戦争前の領地の名義を見れば、完全に領主の名義で土地が納められているのは領主の屋敷と幾つかの土地のみ。それ以外の土地の大半が町の人々の名前が書き連ねてあった。
「ここで腑に落ちない点が一つある。領主の土地は最初は殆どなかった。それなのに、どうして領主アンゴラは花の栽培を始められたの?」
「……まさか」
ミラの言葉に戦後の利用書と戦前の利用書を見比べる。すると点在していた紅花の畑の位置には、戦前では他の人の名前が書かれている。
それが戦後にはアンゴラの名義に書き換えられていたのだ。
「どういうことだ? この人達は土地を奪われたってことか?」
「それなら他の土地も奪われて、アンゴラの名前で統一されているわよ。名前を変えられたのは、おそらくはその名義の人達が戦争で亡くなったからでしょうね」
「……それなら、ちょっと待て! だとしても、領主の土地の利用には正当性はない。帝国法では、土地の所有者が無くなれば、その権利は残された家族や、その所有者の子供に移るはずだ」
ジンの言葉に頷きを返すミラ。
そして二人が思い出したのは、両親を失って貧しい生活をしている子供たちの事。
そう。領主は本来なら子供たちに相続される筈の土地を名義だけ奪い取り、子供たちにそのことを知らせることなく、紅花の栽培を強行したのだ。
「このこと……、町の人は知っているのか?」
「どうでしょうね。知っていたとしたら、最初の段階で領主を糾弾していたんじゃない? 土地の利用には正当性なんてないんだから。でも戦争の後で、そういったことを知っている人がいなかったのならどう? 誰も名義なんて確認していないんじゃない? だって、前任の領主は信頼されていて、彼らは確認なんて必要が無かったんだから」
ゾクリと背筋に走った悪寒。
アンゴラは町の人々の無知を利用して、その弱みにつけこんだ。それがジンには到底許せることではなかった。
「これをどうするつもりだ?」
「そうね。帝国法に違反している行為だし、不当な利益を得ているのは確実。農業ギルドなんかを通じて町の人々が結託すれば、町の自治権を領主から取り上げることができるかもしれないわね。土地の名義は子供たちに戻るし、きっと今よりも楽な生活になるでしょうね」
「さすがミラだ!」
「ちょっ……!」
彼女の言葉に、思わずミラを抱きしめてしまうジン。ミラの顔が羞恥で染まり、慌てて彼女はジンの腕の中から離れていく。
「馬鹿ね! とりあえずはこれを公表しないと、今はまだ何も代わっていないのよ」
「まあ、そうなんだけどな。やっぱりこの教会の子たちを放っておくのは気がかりで……。あの領主にもいい印象はなかったし」
「領主については同感だけどね……。あの子たちの生活がいい方に転がるかどうかは、あの子達や、面倒をみているシスターさん次第でしょ。まぁ……、その点に関しては心配いらないでしょうけど。あの人、クロの事も庇おうとまでしてくれていたしね」
言いながら柔らかな微笑みを浮かべるミラ。
後は全ては明日以降にシスターに話をして、必要な手続きを進めればいいだけ。だが、その時だった――。
教会の外で響いた咆哮。そして、何人かの子供たちの声が聞こえて、そして地響きをたてながら何かが教会から遠ざかっていく。
「な、何……今の?」
ミラが動転する中、ジンの脳裏によぎったのはクロの存在。まさかと思って教会の外に出れば、遠ざかっていく竜化したクロの後姿が月光に照らされている。そしてその背には何人もの子供たちが乗っていた。
「何……、あれ? クロ?」
その光景に目を丸くするミラ。
同時に教会の隣の木造家屋に向かう。するとそこにはたった一人の少女を残して子供達の姿はなかった。
「君は……」
部屋の隅で蹲る様に膝を抱えている少女。それは子供たちの中では最年長のレインだった。
「ジンさん……、どうしよう。クロちゃんが……、オリバー達も……」
とめどなく溢れ出る涙。
ジンがその理由を聞こうと声をかけるが、彼女は蹲ったまま。仕方が無いとミラがライカを呼びに行こうとする。しかし、ライカの部屋には既に誰もいなかった。
そしてその意味をジンとミラの二人は知る。
「シスターが、領主の屋敷に行ったの……。税金が払えないから……。それをオリバーに話したら、オリバーが許せないって……! クロちゃんも、皆武器を持って……」
レインの言葉にジンの表情が引きつる。
「お願いジンさん……、皆を助けて……、お姉ちゃんを……守って」
泣きながら縋るようにジンに助けを求めるレイン。
そんな彼女をミラに任せてジンも教会の外に出て既に見えなくなってしまったクロの後を追うように駆けだした。
………………。
一方でアンゴラの屋敷では既に大事になっていた。
「領主をぶん殴れ! シスターを……、ライカ姉ちゃんを守るんだ!」
クロの上に載って子供達の先頭に立つのはオリバー。
そして彼の言葉に応えるようにクロが咆哮を響かせると、屋敷を守っていた鉄の門と石壁をぶち壊し、屋敷の中から出てくる兵士たちをぶん殴っていく。
「悪徳領主! モウ許サナインダカラァァッ!」
夜の屋敷に響き渡るクロの咆哮。そんなクロや子供達の前には、更に何人もの兵士が武器を手に飛び出てくる。それでも子供達の瞳には怒りが宿り、もう引き下がろうとはしていない。
ライカの存在は彼等にとっては家族で有り、優しい姉のように思っていたのだから当然だった。