私が十五歳になって教会で働いていた時、町は戦火に見舞われた。
金色に光る小麦畑が今でも戦争の火によって焼き払われる光景を今も鮮明に覚えている。
帝国が西方に向けての侵攻を開始したのは話には聞いていた。しかし、まさか自分たちの住んでいる町が戦地になるとは思っていなかった。
私の両親も町の領主も、よく知る町の人々も、多くの人が進行する帝国軍に立ち向かったが、戦争は一週間と経たずに終わりを迎え、町は帝国軍の管理下に置かれた。
今でも進行する帝国軍の軍人や、彼らの将として軍を引き連れていた帝国第三皇女の姿を覚えている。自分の大切な人々を奪った彼らを恨んだこともあった。
けれども私はそれ以上に街に残った人々を大切にしたいと思った。両親が戦争で亡くなった大勢の子供達。最年長のオリバーやレインでさえまだ七歳。まだ歩き始めたばかりの子供もいる。
教会は彼らの生活する家となり、町に残った人々と共に私達は新しい生活を始めることになる。
街を元の姿に戻そうと残された人々は懸命に働き、一度は廃墟のようになってしまった町を立て直していった。貧しい暮らしが続いたが、残された子供達も泣いてばかりはいられないと新しい生活の為に努力を惜しまなかった。
だから私は期待をしたこともあった。
町が通常の生活を送れるようになり、帝国から新しい領主が赴任すると聞いた時は、きっと以前のように生活ができると思っていたのだ。
――だが、現実はそうならなかった。
新しく赴任した領主は町の人々が考える中で、最低の人物だった。
帝国首都で承認として成り上がり、賄賂や後ろ暗い商売で財を成した商人――、それも貴族の後ろ盾を得た商人だったのだ。
彼は赴任するなり荒れ果てた農地を利用して農業を始めたのだ。
「新領主様は商人上がりだって聞いていたけど、畑の有効活用をしてくれるらしい」
「食材に困ることが無くなれば、町での生活も随分と楽になる」
最初はそんな風に町の人々も領主が農業を始めたことを歓迎していた。しかし、彼が農地を利用して作ったのは、燃えるような緋色の花だった。
「領主様は何を考えていらっしゃるんだ?」
「まぁ待てって、あの花は染料や油がとれるらしい。他の町とのやり取りに使えるんじゃないのか?」
「なるほど。その利益を復興に還元しようとしてくれているに違いない」
それでも町の人々は領主にまだ期待をしていた。しかし、領主の作った花の利益が街に還元されることなど無い。
「あの農地で栽培した花の所有権は私にある。ならば、その利益は私が受け取るのが筋というものだろう?」
そう言って領主は花の利益を還元しようとはしなかった。
勿論、町の人々は反発した。農地を耕し、水撒きや収穫などは私達だって協力していたからだ。いつか、その労力が町の為になるのだと信じていたのだ。それを領主は裏切った。
当然、それからは私達は領主の畑にはもう手を入れなかった。すると領主はいきなり町の税率を引き上げ始めたのだ。
そして領主は理不尽な二択を私たちに迫った。
「税率を安くしてほしいのなら、私の畑の花を育てるんだな。それができないのなら、税の滞納として牢に送るか、町を追放する」と――。
領主の設定した税金は、貧しい私達にはとても払える金額ではなかった。そして、私たちは町を出ていけば、新しく暮らすすべも何もない。
実際に領主に反発した人もいた。武器を持って立ちあがたた男の人たちもいたのだ。
しかし領主は屈強な男性たちを私兵として雇い、自分には向かうものは私兵によって抑えつけ、実際に見せしめとして牢に入れ、拷問まがいの事までして見せた。
私たちはあまりに無力だった。
自分達には絶対に利益にならないと知りながら、領主の畑に労力を割き続ける日々。そして私たちが完全に逆らえなくなると、領主は更に私たちに理不尽を敷いたのだ。
「最近は紅花の需要が高まっている。お前たちの畑でも紅花の栽培に励んでもらおうか」
彼のその判断に私達は許しを求めた。ようやく復興した金色の小麦畑が無くなってしまってはとても生活できない。野菜の畑まで無くなってしまえば、町で食料が作れなくなることが目に見えていた。
すると領主はまた私たちに対する税率を上げた。反抗的だという理由だけで私たちを抑えつける為に税率を上げたのだ。
そして一年もたてば、金色の小麦畑はまたやがてオレンジ色に染まる黄色に包まれていた。
オレンジ色に染まった紅花の花弁はまるで炎の様で、私の脳裏によぎったのは戦火に燃える町の光景。
そう。未だに町は戦争に苛まれていたのだ。
町の人々は自分たちが食べるものにも困っているのに、領主の言いなりになって紅花を栽培するしかなくなっていた。
そして領主の横暴は更に酷くなる。あまりにも過酷な生活に、税金を払えない家が出始めたのだ。すると、その家で育った一人の女性が領主の家に使用人として働くことが命じられた。
そして翌年には彼女は身ごもった状態で実家へと帰された。
もう領主が彼女に何を強いたのかは明らかだった。
町の人々は自分の家族を守る為に必死になって働いた。重い税金を払う為に、特に女性のいる家は必死だった。
しかし、それでも毎年のように領主の屋敷に使用人として連れて行かれる女性は後を絶たない。男性ならば労働力として寝る間も惜しむように酷使され、女性であれば領主の慰みものになる。
そして今、私もその道に足を踏み入れてしまっていた。
「シスター、こんな時間にどうしたんですか?」
夕食の片づけを終えた頃、不意に私は声を掛けられる。振り返るとそこにはレインが立っていた。
「なんでもありませんよ。少し用事があって教会を留守にします。もしかしたら帰るのは明日になるかもしれません」
「いや……、でもシスター何で……修道服ではないんですか?」
「あの服は神様に使える身分として、純潔を守る服ですからね。今の私には身に着ける資格はありませんから。……大丈夫ですよ。オリバーや他の子たちをお願いします」
「ま、待って! シスター! シスター!」
何も持たずに教会を後にする。そして私が向かうのは領主の暮らす屋敷。これまでは教会に送られる僅かばかりの寄付で私たちはどうにか生活を送ることができていた。
だけど、つい数か月前から教会に掛けられた税率が上がったのだ。
教会には働けそうな子供たちが増えてきた、というのが領主の主張だ。そして領主は私に選択を求めたのだ。
私が彼の伽の相手をするか、孤児院の子供達を見捨てるか、そんな理不尽な選択を。
(私がしなくては……。あの子達をまもらないと……)
もしも教会の畑までもが紅花の栽培に利用されれば、もう子供達が美味しいと言ってくれる野菜や山菜だけのスープさえ作ることもできなくなってしまうだろう。
そうなれば、何人が冬を越えられるだろうか?
あの子達を守ることができるのが私だけなのならば、もう私に選択肢はない。自分に明るい笑顔を向けてくれる彼女たちの為にも、私は最低の条件を受け入れる。
「領主様にお目通りをお願いできますか?」
月明かりだけが頼りの夜の中、門を守る彼の私兵に声を掛ける。そして私が屋敷の敷地内へと足を踏み入れれば、私の背後で鉄の扉が重い音を立てて閉まる。
もう私に後戻りすることはできなくなっていた。