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第8話:アンゴラの屋敷

 ミラを連れ帰ったことでアンゴラは上機嫌だった。


「どうぞ、ミラ様。すぐにお茶を用意いたしますので、しばらくこちらでお待ちください」


 屋敷に帰るや否や、使用人として雇っている女性に給仕を命じて、ミラを応接室へと案内する。その上で商談として必要なものを纏めていく。


(まさか、フォルン家の令嬢がこの地まで来てくれるとはなぁ)


 言いながら考えるのは今後の利益の事。元々は商家の家に生まれたアンゴラは、地位や名声、富への執着に並々ならないものがあった。


 帝国首都で伝手のあった貴族に取り入り、後ろ暗いことにも手を染めながら、このイメダ領を手に入れたことも、全ては彼がなり上がる為。


 アンゴラは地方の一領主でありながら、それ以上の富や地位を手に入れるための足掛かりを探していたのだ。

 そこに現れたミラ=フォルンは格好の相手だった。


(町の女どもは、その気になれば重税でいくらでも抱くことができる。だが、貴族令嬢となるとそういう訳にもいかないからな……)


 思い出すのは金髪碧眼の彼女体つき。


 まだ些か幼いところはあるものの、数年もたてば必ずや誰もが羨むような美女へと育つことだろう。ここでつながりを持ち、いずれは政略結婚をすることになれば、ミラでさえ手に入れられるとアンゴラはほくそ笑む。


「おい! さっさと着替えの準備をしないか、この愚図が!」


 自室に戻るや否や、彼は人のよさそうな商人として取り繕うことをやめて、屋敷で働かせている女性の使用人に命令をする。


 彼のそんな態度に怯えるように彼女が衣装を用意すれば、本物の貴族になったかのように更に数人に着替えを手伝わせる。女性達は表情を殺して無言のままに彼の命令に従っていいたが、アンゴラが彼女のことなど顧みることはない。


 少しでもミラの気を引くことを意識して用意させた服は、帝国貴族が身に着けている礼服なみに装飾の施された服装だ。


 ミラ=フォルンはどうしてか町娘のような衣装を着ているが、領主としての格を誇示する為に、彼は衣装を変えると応接間へと戻る。


 自分を見てミラは僅かに驚いていたものの、その後の商談についても彼の目論見通りに、イメダ領に莫大な利益を手に入れられる材料がそろっていた。


 炎の魔石に加え、彼女が竜車に積んでいると言っていたヒヒイロモスの絹なども、貴族には人気のある商品だ。


 ミラから仕入れて、後ろ盾となる貴族家へと一部を献上すれば、今まで以上に彼は貴族家に重用されることになるだろう。


 フォルンや南方との取引の拠点ともなれば、イメダ領は帝国首都から西方の街々への流通の要にもなるのではないかと、輝かしい未来への想像が止まらない。


「ははっ、今後ともフォルン家とはより良い関係を築いていきたいものですな。貴方はまさに理想的なビジネスパートナーです」


 言いながらテーブルを挟んで対面するミラの手を取るアンゴラ。


 滑るような柔らかな指先に、傷一つない白い肌。その手に触れているだけで、彼女がイメダ領で暮らしている一般的な民とは一線を画していることがよくわかる。


「ええ、私もそう思います」


 彼の言葉に微笑みさえ浮かべて応えながら、そっと離れていくミラの手。それでもアンゴラは表面上はにこやかな笑みを崩そうとはしない。


(いつかこの女も私に傅かせてやる。この女を娶れば、晴れて私も帝国貴族の仲間入りだ。私は一商人や一両種で終わる器ではない)


 ミラに対して舐めるような視線を向ける彼の胸には暗い欲望が渦巻いていた。


………………。


 本当にこんなところに来るものではない。商談を終えるころには、ミラはアンゴラの屋敷に訪れたことを後悔していた。


 屋敷の中には成金趣味の趣味の悪い調度品に溢れていて、金で縁取られた壺や下手な絵画などが、所せましと飾られている。


 ミラにはそう言った美術品に対する興味は無いが、貴族令嬢として育った為、それなりの教養は身に着けている。


 だからこそ、それらの中にかなりの数の贋作が混じっていることが分かったし、元々商人上がりだったアンゴラが領主として背伸びをしているのが見て取れた。


 だが、何よりも彼女をげんなりさせたのは屋敷で働かされている使用人の女性達だ。おそらくは税金の滞納を理由に屋敷で働くことを強要されているのだろう。


 屋敷に彼が帰れば、頭を下げて彼を迎えることを強要され、廊下などですれ違う先でも彼に対しては首を垂れて恭順を強いられている。


 明らかに彼に対して怯えの表情を浮かべている者もいれば、彼に隠れて嫌悪の表情を浮かべている者もいる。


 そんな人々の中で生活している彼は、きっと彼女たちの事を装飾品か何かのように扱っているのだろう。それだけでもミラが彼を嫌うには十分すぎる理由になる。


(たくっ……、もう少しでぶん殴りそうだったわ……)


 そんな事を考えながら、生温い感触の残った手の平をスカートで擦る。

 アンゴラと離れた彼女は今、一人の年配の女中に案内されて、屋敷の書庫へと向かっていた。


 商談が終わると、ミラは今後の交易計画の為にアンゴラにここ数年での土地利用と紅花などでの利益について纏めた詳細な資料を求めた。これにはさすがにアンゴラも渋っていたが、ミラの求めることにはできる限り応えようとはしているのだろう。


 ここ数年の会計書類や土地利用の資料などがまとめられている部屋へとミラを案内し、何かあれば侍女に命じてくれと言い残して、彼は自室へと戻っていったのだ。


「すみません、とりあえずは何か布巾を用意していただけますか?」


 資料室に残されたのは年齢にして四十代を越える女性。ミラに対してまで無表情を貫く女性に、できる限り丁寧に求める。


 用意された布巾でミラは彼に握られた手を拭う。やはりどうにもアンゴラの手の感触が粘ついて気持ち悪かったのだ。


 それだけでミラがあの領主を毛嫌いしていることが伝わったのか、残された侍女も僅かに表情を緩めていた。


(まったく……。愚図もここまでくれば表彰ものよね)


 彼の思惑などミラには手に取るようにわかっている。


 行き過ぎた成金趣味に貴族の真似事のような生活。おそらくはいずれは貴族に取り立てられることを考えているのだろう。だとすれば、彼にとっての一番の近道は自分との婚姻だ。


 そこまで考えてミラは益々不快な気分になる。


 自分と女を装飾品のようにしか考えていない彼が、自分と夫婦になることなどありえない。だが想像しただけで胸の中に吐き気がこみ上げてきてしまう。


「あの……、お聞きしてもよろしいでしょうか?」


 そんな中で不意に声を掛けられた。ミラが振り返れば、僅かに期待を込めた眼差しで侍女がミラを見ていた。


「もしかして、あなたは帝国の監査の方なのでしょうか?」

「監査? どうしてそう思ったの」

「いえ……、各領地には領地の経営状態を確認するための監査が送られますよね? 私がこのお屋敷で働いている間も、数年おきには監査の方がいらっしゃっていました。

 だからもしかしたら、貴方がその監査なのかもしれないと思いまして……。交易の契約を結ぶだけなら、ここ数年分の資料などそれ程必要はありませんよね?」

「なるほどね。それで監査なら、今の領主についての報告をして、助けてもらおうと?」


 ミラの言葉に彼女が頷く。しかし、ミラがこの資料室に訪れたのは別の理由があったからだ。


「残念だけど、私はあなた方が期待している肩書なんかは持っていないわ。ただの貧乏貴族の一人娘」

「で、でしたら……どうして過去の収益を?」

「まぁ、そうよね。普通はこれまでの収入よりは、今後の収入や収益、今後の予算なんかを考える方が大切よね。でも、私にはこっちの資料の方が重要だと思うのよね……」


 言いながらミラが指し示したのは土地の所有権をまとめた資料。しかし、そこにまとめられているのはアンゴラが領主に着任してからのものだけがまとめられていた。


「う~ん……。やっぱりそう都合よくはまとめられていないか……」

「土地の利用証……ですか?」

「ええ。できれば今のポンコツ領主が着任するより前の資料が欲しいんだけど……」

「……それならこちらに」


 ポンコツという表現にクスリと笑みを浮かべて言いながら、彼女は資料室の奥へと向かうと一冊の本を持ってくる。


 そんな彼女に驚いていると、どうやらこの屋敷自体は前領主が住んでいた屋敷だったらしい。


 そして彼女はこの書庫の管理を先代から任されていたらしい。


「今の領主様は前任の領主様に比べれば遥かに劣っています。それなのに地位を利用して私腹を肥やし、町の女性に対してもいかがわしいことを強要して……」


 彼女自身は今の立場もあって、領主を諫めることもできなかったらしいが、多くの女性がアンゴラに弄ばれる様を見てきたのだろう。彼女の語る言葉には怒りや恨み、あるいはアンゴラを蔑むような感情が込められていた。


「そうよね。ごめんなさい、期待をさせてしまって。でも、私の考える通りなら、必要な情報はここにあると思うのよね……」


 言いながら資料に目を通していくミラ。


 その資料はちょうどこの町が戦火に巻き込まれるまでの記録が事細かに記されている。そして、その内容はミラが睨んだ通りのもの。

 公表すればこの町の状態を根底から覆せるだけの情報だった。


「ねぇ、あなた。このことも知っていたの?」


 ミラが資料を手に彼女に訊ねる。すると彼女は無言のままに頷きを返してくれる。だからミラは彼女に願った。


「悪いようにはしないわ。この真実を私に預けてくれる?」

「……わかりました」


 彼女は迷いながらも、しかしミラを信じてもいいと考えたのだろう。最後には資料を譲ってくれる。


 これでミラの考える逆転の為のピースはそろった。だがまだ一人で戦うべきではない。少なくても自分の信頼できる彼の元に戻るまでは……。


 ミラは今後の交易についての詳細については後日とアンゴラと約束すると、屋敷を後にしたのだった。



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