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第9話:霧の森

 西方に続く宿場町を離れて数日後――、クロの引く竜車に乗ったジン一行は鬱蒼と茂る森の中を走っていた。森の至る所に今まで人の住んでいた形跡はあったのだが、暫く使われていないのだろう。


 朽ちた小屋やさび付いた斧などがあるだけで、人の住んでいる気配は無い。西に向かう道は舗装された街道が主流になり、今はこの道は使われていないのだろう。


 帝国の関係者から逃れているジンとしては、人の通った気配が無いことは喜ばしいことだ。その上、ここ数日は天気にも恵まれていて、雨風に悩むことも無く順調に帝国領西部の町へと近付いている。


 しかし、地図上で森の中程まで辿り着いたある日、ジンは竜車を引くクロに繋がれた手綱を引き、クロに竜車を止めるように指示をした。


「これ以上進むのは危険だな。気は進まないが、今夜はここで野宿するしか無さそうだ」


 ジンがそう判断したのも無理は無い。彼等の行く先に全く先が見えない程の濃い霧が立ちこめてしまっていたからだ。


「クロナラ、コノ程度ノ霧ハ大丈夫ダヨ」


 ジンの指示に対してクロが辿々しい口調で答える。しかし、そんな玄の言葉にジンは首を横に振った。


「クロなら大丈夫だとは俺も思う。けどな、無理は禁物だよ。そろそろ日も暮れる。今日はこれ以上進む必要は無いよ」


 言いながら霧の立ちこめる空を見る。空の色を窺い知ることは難しいが、少しずつ森の中が暗くなっていることが、夜が近いことを教えてくれていた。


 夜――、そして殆ど道に見えない森の中に引かれた荒い道。いつどこでモンスターが出てきても不思議は無いが、それでも濃霧の中で無理に竜車を進めては森中で道を見失う可能性もある。


 無理に進んだ場合のリスクを考えれば、霧がはれるまで、或いは太陽が昇るまでは竜車を停めるのは致し方ないことだった。


「仕方ないわね。とりあえず火でもおこす? モンスターには効果が無いかも知れ無いけど、獣除けにはなるでしょう」


 ジンに賛同するように竜車から降りてきたのは、積んであった薪を持ったミラだ。緋色のマントを羽織った彼女は竜車から降りると、火の魔法で早くも野営の準備をする。


 そんな彼女を見てジンは意外そうな顔をしていた。


「何よ。言いたいことがあるなら言いなさい」

「お前ならこのくらいの霧なら無理してでも進めって言うと思ったんだ。町か村にでも早く行けって言いそうだったからな」

「いくら私でもそんな無茶をさせないわよ。宿のある町にでも辿り着ければ最高だけど、この霧じゃ無理でしょ」


 ジンの言葉に心外だと渋い表情をするミラ。


 手際よく携帯鍋を用意する彼女も幾らか旅には慣れたのだろう。以前の貴族令嬢としての衣服を着ていた時よりも、村娘のような装いになった彼女は、以前よりも幾らか雰囲気が丸くなったように思えた。


「それよりもジン、貴方も手伝いなさいよ。夕食の準備を私一人に任せるつもり? クロにも人型になるように言ってきて」

「……あぁ、そうだな」


 ミラの指示に従って竜車の前に回るとジン。


「クロ、とりあえず飯にしないか?」


 そう彼女に声を掛ける。しかし、一向に人型に戻ろうとはしない。それどころか濃い霧の一点を見つめて、何やらボンヤリとしていた。


「どうかしたのか?」

「ア……、兄様、霧ノ向コウニ何カアッタ気ガシテ……」


 クロの言葉にジンも霧の先を見ようとする。しかし、濃霧のせいで殆ど何も見えない。まさかモンスターか獣がこちらを狙っているのでは無いかと、否が応でも警戒してしまう。


 しかし、そんな時だ。生温い風が森の中を吹き抜けて、一瞬だけ霧がゆらりと薄くなる。そして視界が僅かに晴れてジンが見たのは、明るく光るランプの光と、薄暗い森の中でたたずむ館のシルエットだった。


「おい今のって……」

「オッキイ家ダッタネ」

「屋敷? だとしても何でこんな森の中に?」


 竜化しているクロと顔を見合わせるジン。


「何してるのよ、二人して」


 ジンが中々戻ってこない為に様子を見に来たのか、ミラもその場にやって来る。


「実は……」


 ジンが今見たものを説明しようと口を開く。すると再び強い風が吹いて、今度は先程よりもハッキリと屋敷が三人の視線の先に現れる。


 日が落ち始めた夕暮れの霧の森。


 佇む屋敷はレンガ造りの橙色で、黒いレンガで作られた屋根が広がっている。ミラの住んでいたフォルンの屋敷よりも更に大きく、周囲には石造りの壁に守られていた。


 どうやら空き家では無いのだろう。煙突から白煙が立ちのぼっていた。


「何よ。こんな所に住んでいる人がいるなんて、ついているわね。交渉して、あの石壁の中に竜車を停めさせて貰いましょう」

「いやいや、こんな場所に人が住んでるとか怪しいだろうが」

「何で? 見たところ貴族のお屋敷みたいだし、このあたりの森林を治めている領主が住んでいるに違いないわ」

「こんな人里離れた森の中にか?」

「人嫌いの領主様が住んでいるんでしょ。そういう貴族家だって有るわ」


 屋敷そのものに警戒するジンに対して、楽観的に考えるミラ。


 しかし、どれだけ疑わしいとしても、せっかく近くに石造りの壁に守られた屋敷が有るというのに、訪れないという選択肢は無い。


 もしも屋敷に向かわずに野営をするのであれば、今夜は交代で見張りをしながら森の中で夜を過ごすことになるだろう。武力を持たない行商人であるジン達には、大型の魔物に襲われた際は、ジンとミラの使う威力の弱い魔法と、黒竜となったクロが戦うしか対処のしようが無い。


 けれど、屋敷の敷地内に竜車を入れることを許されれば、せめて敷地内での野営を許されれば、大型の魔物もおいそれとは手を出しにくくなるだろう。安心して夜はぐっすりと眠ることができる。


「幸い、竜車にはこの前の町で仕入れたヒヒイロモスの絹とか炎の魔石もあるし、資金としても幾らか余裕があるわ。そういう物を対価に用意すれば、少なくても邪険にはされないでしょ」

「それは……まぁ、そうだな」


 結局はミラに押し切られて、野営の準備を片付ける。三人はクロの引く竜車に乗って屋敷へと向かう。


 石造りの壁に建てられた門に到着してノッカーを打ちつける。程なくして屋敷の門が開き、現れたのは一人のメイドだった。


「いらっしゃいませ。本日はどのような御用向きでしょうか?」


 見目麗しいメイドだった。


 蝋色の短く切り揃えられた髪に、すんだアメジストの瞳。歳はミラとそれ程変わらないだろう。物腰の柔らかそうでありながら、表情の乏しいメイドだった。


「ちょっと、何見とれているの」

「……っ」


 メイドを見ていると、突然左足の甲に走る痛み。見れば、ミラがジンの足を踏みつけている。


 文句を言ってやろうとジンがミラに顔を向ければ、ジトッとした瞳でミラが

「文句でもあるの?」と睨み返していた。


「あの……、御用向きは……」

「あ、あぁ、申し訳ありません。私は旅の行商人をしております、ジン=アースと申します。こちらは私の雇用主であるフォルン領・領主代理のミラ=フォルンさんです。交易路開拓の為にこの先の町を目指しているのですが、この霧に見舞われまして……。もしよろしければ、しばらくの間、屋敷の敷地内に竜車を止める許可をいただけないでしょうか? この霧の中で野営となると、魔物の襲撃などが予想されますので……」

「滞在の依頼ですね。ええ、問題はありません。どうぞ、敷地内にお入りください」


 ジンの言葉にメイドが頷くと、彼女は門を開く。そして彼女はジンとミラ、そしてクロの引く竜車に敷地内に入るように促した。


「お願いをしておいて何ですが、屋敷の主人の許可をとる必要は無かったのですか?」


 彼女の対応にジンが訊ねる。しかし、メイドは何でも無いことのように答えた。


「当家、ソーラム家は王家より伯爵の地位を賜っております。この森は霧も多く、皆様のように訪れる方も多いです。その為、ご主人様からは訪れた旅の方は客人としてもてなすようにと仰せつかっております」


 所謂、ノブレス・オブリージュの精神なのだろう。


 屋敷とこの周囲の領地を治めているソーラム家に関心をしつつジンがチラリとミラを伺い見ると、ミラは不機嫌そうに鼻を鳴らしていた。


「フォルンにはそういう財政的な余裕は無いわ」


 ジンが何を言いたいのかを察したのだろう。メイドの彼女に聞こえないように小声で言うと、ジンよりも先に竜車へと向かう。そうしているうちに竜車は敷地内に停まり、今まで竜車を引いていたクロが竜の姿から少女の姿へと戻った。


「その子は……竜人ですか?」

「いや、人化することができる黒竜種でして……」

「はじめまして。クロです、よろしくお願いします」


 クロが人になったことに驚いている彼女にジンが紹介をすれば、クロは舌っ足らずな声で挨拶をして、行儀良く頭を下げる。


「そうですか。いえ、問題はありません。どうぞ貴方もお入りください」


 何かを言いたそうにはしていたが、彼女は一つ頷くと、ジン達三人に屋敷に入るように促す。ミラは屋敷の主への返礼に使うのだろう。緋色の絹の巻物を手に屋敷へと入っていく。


 続いてジンとクロがミラに続いて屋敷に入れば、三人が通されたのは玄関ホールの広間。そこには、ジン達と同じようにこの屋敷に滞在の願いに来たのだろう。


 数人の人々が先に案内されていて、彼等の視線が三人に集まった。


「申し遅れました。私はソーラム家に使えるメイド、ダイアナでございます。ジン様、ミラ様、クロ様。当家を代表して歓迎させていただきます」


 恭しくお辞儀をするダイアナ。そんな彼女に礼を返しながら、ジンはうっすらと嫌な予感を感じていた。

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