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第5話:ヒヒイロモスの巣へ

 宿場町で一晩を過ごした翌日――、手早く朝食を食べたジン達三人は、揃ってヒヒイロモスに襲われた森にまでやって来ていた。


 万一のことを考えて竜車は森の入り口につなぎ止め、クロを留守番として残して、鞄を背負ったミラとジンが揃って森の中へと入っていく。


 森の中は先日の騒ぎが嘘のようにシンと静まりかえっていて、あれだけいたヒヒイロモスの姿は無く、どこにでもいるような小動物や小さなモンスターの影すら無い。


「ヒヒイロモスがあれだけいたんだから、火の粉を降らされて森の奥まで逃げたのかもね。ヒヒイロモスは街道沿いを縄張りにしているみたいだし……」


 先導するようにジンの前を歩いていたミラが言う。そして道沿いに歩くこと数時間、やがて二人が見つけたのは、ヒヒイロモスが何羽も木々に泊まっている、緋色に彩られた森だった。


「これは……壮観ね。ヒヒイロモスの群がここまで大きくなるなんて言うのは、私でも滅多に見たことが無いわ」


 炎の魔石の採掘をしていたフォルン領では、ヒヒイロモスが小さな巣を作ることは少なくなかったらしい。しかし、この森ではヒヒイロモスが森の一部を完全に緋色に染める程に大量に繁殖しているらしかった。


「ここは普通の森の筈だろ? それがどうしてこんなに……」

「さぁ? 森の奥に行けばわかることよ。それよりもジン、魔力の感知をしてくれない? 私、感知は苦手なのよ」

「わかったよ」


 ミラの指示に従ってジンが周囲の魔力を探る。


 瞼を閉じればそこかしこから小さな炎の魔力を感じることができるが、その中でも一際大きな存在が森の奥にある事に気が付いた。


「たぶんこっちだ。そこらのヒヒイロモスとは比べようも無い程に大きい何かがあるのがわかる」

「……そう」


 ジンの言葉にミラが頷くと、二人は森の中へと入っていく。そして程なくして二人の前に現れたのは大きな洞穴だった。


「どうやらここがヒヒイロモスの巣みたいね。魔力の元は?」

「この巣の中で間違いない。ただ……この一帯、何だか変だ……」


 ヒヒイロモスの縄張りとなっている巣の周辺。先ほどと同じように小型の小動物やモンスターの気配は無く、ひっそりと静まりかえっている。


 ただその静けさが不気味で、キンと耳鳴りを感じる程だった。


「そういう勘は大事にしないとね。用心しましょう」


 言いながらミラが手に持った杖に光りを宿し、二人は洞窟の中へと入っていく。そして二人が洞窟の奥へと入っていくと、炎の魔力を供給していたそれは、その場に静かに鎮座していた。


「なるほど……。これがヒヒイロモスの大量発生の原因ね」

「これは……竜なのか?」


 薄暗い洞窟の中、ジンの目の前に現れたのは緋色の竜。それ程大型の種族では無いが、クロの引いている竜車の倍ほどもある竜が、洞穴の奥で岩場を背に座るようにもたれ掛かっている。


 そして、竜の全身を覆う赤黒い鱗にはビッシリとヒヒイロモスが群がっていて、その巨体を赤く染めている。。


 目立った外傷は無いが、既に事切れているようだった。


「竜種は長命だけどね、大方寿命を迎えたからこの洞窟にまでやって来たんでしょう。竜種が死ねば、周囲の環境に影響を与えることは少なくない。ヒヒイロモスの大量発生くらいですんだのは奇跡ね」


 ミラの言う通り、竜種が人里近い森の中に現れたことで様々な災害の原因になる事は稀にある。


 大型の魔物の多い森の中に現れて、森を追われた魔物達が町に向ってスタンピードを起した例も知っているジンとミラにしてみれば、街道沿いにヒヒイロモスが大量発生したことなどはまだ許容できる影響だった。


「まぁ、これもそのままにはしておけないわね」

「……だな」


 言いながらジンは懐からナイフを取り出すと、フードを目深に被ってドラゴンの亡骸へと近付いていく。

 ジンが近寄ってきたことにヒヒイロモスの何羽かが飛び立って火の粉が僅かに降るが、それでもジンはドラゴンに近寄ると、その口に近付き、一本の牙を削ぎ落とした。


「とりあえず、これを宿場街の商会ギルドにでも届けておけば、数日で冒険者が回収に来てくれるだろう。このドラゴンが回収されれば、ヒヒイロモスの異常発生も収束するはずだ」

「せっかくのヒヒイロモスのコロニーを潰すのは惜しいけどね。今はまだ大丈夫そうだけど、腐敗とかが進んで毒なんかを垂れ流すことを考えれば、今のうちに対処するしかないか……」


 そんなミラの言葉を聞きながら、ジンは竜の牙を持ってクロを残してきたことは正解だったと息を吐く。


 目の前の竜の亡骸は黒竜のクロとはまた違う種類の竜なのは間違いない。それでも、まだ幼いクロに同族の竜種の亡骸を見せることは躊躇われた。


「何しているの? それよりも当初の目的を果たすわよ。ヒヒイロモスの大量発生した栄養元がこの竜なら、目的の物はすぐ近くにあるのは確実なんだから」

「あ、あぁ……、そうだな」


 竜の牙とナイフを懐に戻すと、杖の光りを頼りに森の中へと入っていくジン。


 やがて二人が辿り着いたのは、洞穴の中にある開けた空間。本来ならひんやりと肌寒くも感じる洞穴の中、その部屋だけは温かくすら感じるくらいには温められていた。


「はぁ~……、ここまでの規模になっているとは思わなかったわ」


 ミラが感嘆の声を上げたのも無理は無い。


 ジンとミラが辿り着いた開けた空間には縦横無尽に緋色の糸が張り巡らされている。その上、その糸には幾つもの繭が連なるように並んで板のだ。


「これがヒヒイロモスの繭なのか?」

「ええ、そうよ」


 言いながらミラが手近な壁に張り巡らされていた糸を手に取る。ミラの手にした糸はほんのりと赤く色づき、光さえ放っているかのようだ。


「ヒヒイロモスは炎の魔力や、炎自体をを栄養に成長するわ。そのヒヒイロモスの幼虫はサナギになる前に糸を吐いて繭を作る。その際に出る糸は炎の魔力を糸にしたような物で、優れた耐火の素材になるのよ」


 ミラのいたフォルン領では、ヒヒイロモスは害虫として駆除される対象になる。だが同時にフォルン領では耐火素材の布地を作り出す為の素材としても用いられていることをミラは知っていた。


「繭がこれだけあるなら、相応の資金にはなるわよね。宿場町から人を派遣して貰わないと……。竜の素材にヒヒイロモスの繭。群がられた時に投げ込んだ魔石の出費と、竜車の幌を張り直す為の資金を利益から差し引いても充分過ぎるわ」

「相変わらず商魂逞しいな」


 キラキラと瞳を輝かせて糸の採取を始めるミラ。


 ジンもミラにならって緋色の糸の回収を始めれば、数時間後には二人の背負っていた鞄は、繭と巣に張り巡らされていた糸で満たされていた。


「これだけあれば充分でしょ。さぁ、帰るわよ」


 繭の入った鞄を背負い、ミラが洞窟の外へと向って歩き始める。しかし、その洞穴から出た瞬間、二人に向って火の粉が降り注いだ。


「ミラ、こっちに!」


 咄嗟にミラの腕を引いて自分の羽織っていたマントの内側にジンが引き込む。ジンが上を向けば、巣を脅かされていたことに気が付いたのか、ヒヒイロモスの群が羽ばたきながら二人に向って火の粉を振りまいていた。


「ジ、ジン……、何を……」

「馬鹿。顔を出すな。髪が燃えるぞ」


 ジンに抱き寄せられたことに動揺しているミラを抱きながら洞穴から抜け出ると森の中を駆けていく。

 ごく少数のヒヒイロモスが二人の後を追うように飛んでいたが、巣のある洞穴から離れながらジンが土の魔法を撃てば、やがてそれも見えなくなった。


「ちょっ……ちょっと、いつまでこのままのつもりなの」


 森の中でジンが立ち止まると、ミラがジンの身体を押して不満を口にする。マントから出たミラは顔を真っ赤にしていて、バツが悪そうに視線を逸らしていた。


「すまん。あのままだとミラが火傷をしそうだっただろ」

「そ、それはわかるけど、もうちょっとスマートな方法があったんじゃ無い?」

「咄嗟のことだったからつい……」


 ミラの言葉に苦笑を返しながらジンが髪を搔く。

 そんな彼を前にミラもジンに悪気が無い事はわかっているのだろう。


「本当に馬鹿なんだから」


 そう呟くと彼女は来た時と同じようにジンの前を歩き始める。そんな彼女の後をついて行くようにジンが歩き始めたとき、木々の葉が擦れ合う音と一緒に「ありがとう」と小さくミラの言葉が聞こえた気がしたのは、ジンの聞き間違いだったのだろうか?


 森を抜け出てもミラはジンに顔を向けることもせず、留守番をしていたクロが不思議そうに二人を見て「兄様と姉様、喧嘩でもしたの?」と心配そうにジンに訊ねたのだった。

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