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第4話:ヒヒイロモスと宿屋での夜

「結局、あの森の人魂は何だったんだ?」


 森を突っ切った数時間後、ジン達三人の姿は宿場町の入り口にあった。


 多少は睡眠をとったとは言え、夜に森の中を走ったのが答えたのか、クロは竜車の荷台に座るジンのとなりでへばっていて、頭をジンの膝の上に乗せてスヤスヤと安らかな寝息をたてている。


「だから人魂じゃないって……。あれだけ群がられたからね。撃ち落としたのが幌にでも引っ掛かっていそうなモノだけど」


 言いながらミラが馬車の荷台に広げていた幌をはたく。


 竜車の荷台に積んでいた荷物に被害は無かったが、幌は所々焦げていて、この宿場町で買い直す必要がありそうだ。


「あぁ……やっぱり。ほら、引っ掛かっていたわ」


 言いながらミラが幌の布地に引っ掛かっていた何かを手に取ると、それをジンに手渡した。


「これは……蛾なのか?」


 手渡されたのは羽を広げればクロの手程の大きさになる蛾だった。緋色の羽が特徴的な美しい蛾は既に片羽を失って死んでいたが、それでも蛾にしては綺麗な羽だとジンは感じていた。


「ヒヒイロモスって言ってね、荒野近くの森なんかに生息している蛾よ。炎の魔石に宿っている魔力を食べたり、かがり火の炎に纏わり付いたりしてくるから、炎の魔石の採掘をしているフォルン領じゃ、害虫とか言われているわ」

「魔石の魔力を……。ってことは、まさか昨日の夜にコイツらが群がってきたのは……」

「十中八九、私達が荷台に積んでいた炎の魔石の魔力を感じたんでしょうね。魔石はただそこに有るだけで多少は魔力を漏らしているしね。ヒヒイロモスはただでさえ、周囲の魔力に敏感だから」


 憮然とした表情で答えるミラ。それから深々と溜息を吐いた。


「うかつだったわね。森に人魂なんていう話を聞いた時点で、想像できていれば良かったんだけど……」

「いや、あの状況で考えるならアンデッドを警戒するだろ。そっちの方がずっと可能性は高いんだから」

「それはジンの言う通りよ。でも、問題はこのヒヒイロモスを放っておけないってことよ。ジン、しばらくこの町に滞在することになるけど、問題は無いわよね?」

「……は? 正気か」


 ミラの言葉にジンが驚いたのも無理はない。ヒヒイロモスは炎の魔石から漏れ出る魔力に引かれてやって来る。


 それが確かなら、宿場街の入り口近くに止めている竜車に詰んでいる炎の魔石を食べに、今夜にでもまた森から飛んでくる可能性があった。


 もしも宿場街に大量のヒヒイロモスが飛んできたら、その時に起こる混乱は昨夜の比では無いだろう。


 最悪、昨夜のように宙を舞う火の粉が宿場街に広がって、宿場街が火の海になる可能性も考えられた。


「この宿場町を燃やすつもりか? 炎の魔石を持っている俺達が残っていれば、確実に飛んでくるぞ。ヒヒイロモスは炎の魔石が目当てでやって来るんだろ?」

「それは大丈夫よ。昨日の夜、森の中に幾つか炎の魔石を投げ込んだでしょ? あの魔石の魔力が残っている限りは、しばらくは森から出てきたりしない」

「投げ込んだ……。それでか……」


 ミラの言葉にジンが思い出したのは、ヒヒイロモスに群がられた森の中で、ミラが魔石を森の中に放り投げた光景。


 ミラは積んであった炎の魔石のいくつかを、囮にしたのだ。


「例え魔力が尽きたとしても、荷台にある魔石から漏れ出る火の魔力を抑え込むために私の氷の魔法で炎の魔石を覆うように固めても良いし、最悪はジンが竜車の下にでも土魔法で埋めれば良いわ。それだけでヒヒイロモスは魔力を感知できなくなる」

「それなら大丈夫かもしれないが……。だとしても危険だろう? 大量のヒヒイロモスに群がられたら、俺達じゃどうしようも無い」

「ジンの言うことも分かるけどね。商人として、目の前の利益を放ってはおけないわ」

「利益? 炎の魔石を売れば利益は出るかもしれないが……。まさか俺達が他に積んでいる何かを売るとか?」

「馬鹿ね。私達の積んでいる荷物じゃ、たいした利益にはならないわよ。滞在の理由は簡単。ここらにヒヒイロモスがあれだけいたのよ。それだけで充分な理由にはなるでしょ? それともジンはヒヒイロモスを放っておけって言うつもり?」

「だからそう言っているじゃないか。俺もミラも魔法は使えるけど、ヒヒイロモスをまとめて吹き飛ばせるほどの威力は無いだろ? アイツらが群がっているのは確かに危険だけど、駆除はこの辺の領主にでも任せるべきだ」


 ジンの言葉に一瞬キョトンとするミラ。


 またジンもミラとの会話に歯車が噛み合っていないような違和感を覚えていた。そう、ジンとミラには商人としての持っている知識に明確な差があったのだ。


「……駆除? あぁ……、なるほどね。ジンは知らなかったのね。それなら、この町から早々に出ようとした理由も分かるわ」


 ジンの言葉にニヤリと口元を弛ませるミラ。ジンがそんなミラの表情に疑問を持つ。するとミラがニヤニヤと笑いながら言ったのだ。


「駆除なんて慈善事業。私がする筈が無いでしょ? ヒヒイロモスがあれだけいるって言うことはチャンスなのよ。利益って言うのは、どこにでも転がっている物なんだから、それをしっかりと教えてあげる」


 ジンはまだまだミラの人となりを理解しているとは言えない。


 そしてジンはその後小一時間にわたって、ミラからヒヒイロモスの生み出す利益について教え込まれたのだった。



 ………………。



 ヒヒイロモスについての話を終えた後、ジンとミラ、クロの三人は町の宿屋にやって来ていた。


 計画の大まかな内容をジンも聞いてミラはすぐにでも動きたそうにしていたが、魔法を何度も使ったジンもミラも魔力切れ寸前で疲れ切っていたし、馬車を修理する必用もあったからだ。


 だが、そこでもまたトラブルが待っていた。


「やだっ! クロは兄様と姉様と一緒の部屋が良い!」

「あ~……、もうっ。ジン、ちょっとクロを説得しなさいよ」


 宿屋の受け付けで、ミラが部屋を借りようとした時のことだ。ミラはジン用の一人部屋とミラとクロ用の二人部屋を借りるつもりだったらしい。しかし、クロがそれに待ったを掛けたのだ。


「あのね……、クロは竜だけど女の子なのよ? 女の子なら、ジンと一緒に寝るって言うのは……ね? 分かるでしょ?」

「知らない。今まで一緒だったもん。兄様、そうでしょ?」

「いや、今まではそうだったかも知れ無いけどね――」


 これが冒険者であれば、一緒の部屋に寝ることの抵抗もなかったのかもしれない。だが令嬢として育ったミラにとって、男であるジンと一緒の部屋に泊まることに問題を感じていたようだった。


「兄様……、お願い。クロと一緒が良いよね?」

「ジン……、分かってるわよね? クロを説得して」


 縋るようにジンにお願いをするクロと、威圧するようにジンを睨むミラ。そうなれば、ジンの判断は一つしか無かった。


「ミラ……、一晩だけなんだから一緒の部屋でも良いだろ? 何も一緒のベッドで寝るって訳じゃないんだからさ」

「なっ……」


 ジンの言葉に絶句するミラ。一方でクロはさすが兄様と言わんばかりに満面の笑みを浮かべていた。


「あり得ないから! ジンと一緒とか……、そんなの……」


 何を想像したのか真っ赤になるミラ。だがジンとしても引き下がるわけにはいかなかった。


「ミラだって分かるだろ? 今回の旅は交易ルートの開拓なんだ。この町に滞在するなら、できるだけ出費は抑えた方が良い。ここらの宿屋はそれ程高いわけじゃ無いけど、俺達三人ならベッドが二つある二人部屋に泊まった方がずっと安上がりだ。


「そ、それはわかってる! でも、その……汗を拭いたりとか、着替えたりとか、色々あるでしょ?」

「そういう時にはちゃんと部屋の外に出るよ。というか、お前は何を考えているんだ」

「だ、だってジン、ロリコンでしょ? クロに手を出すかもだし」

「出す訳が無いだろうが!」


 どうやらジンのロリコン疑惑はまだ払拭できていなかったらしい。ミラの言葉にジンが声を上げる。だが、ジンが意見を変えることは無い。


「兄様……、ありがとう!」


 ジンの判断に満面の笑みでクロがジンの腰に抱きつく。そしてクロが頬ずりをするようにグリグリとジンに擦り寄れば、ジンとしてもそんなクロに今更駄目だとは言えなかった。


「やっぱりロリコンじゃ無い……」

「だから違うって!」


 ジンに対してジトッとした目を向けるミラ。しかし、ミラとしても出費を抑える必要があると言うことは感じていたのだろう。結局はベッドの二つある部屋を借りて、ミラとクロが一緒のベッドを、ジンが一人でベッドを使うことで宿屋の問題は解決できた。




 だがその夜のこと――、ミラとクロの二人が寝静まった夜。


 ベッドに寝ていたジンがむくりと起き上がる。ふと彼が隣を見れば、いつの間にかミラの隣で寝ていたはずのクロが寝息をたてていた。


(まぁ……結局はこうなるよな……)


 クロの寝顔を見て、仕方が無いと嘆息するジン。


 そして彼はクロを起さないようにベッドから立ち上がると、音もなく客室から出て行く。


「……とりあえず。しばらく夜は竜車生活だな」


 言いながら彼が向ったのは竜車を停めている宿の外。竜車の荷台に積んでいた荷物の中からマントをとると、荷台の上で横になりマントを被る。そして、彼はそのまままどろみの中へと落ちていく。


 一方でジンが起きた事に気付いたミラは、彼が部屋を出て行ったことに気が付いていた。


 部屋の外に出た理由を彼女が理解しない訳も無い。


 ほんの少しの罪悪感を胸に抱きながら、彼女は頭から布団を被ると眠りの中へと落ちていったのだった。

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