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第3話:火の粉

 ジンは混乱していた。


 人魂が出ることは商人達から聞いていたし、それ自体は驚くべき事では無い。夜になれば野営地にモンスターが出現したことは今までにもある。しかし、今回はその数が尋常では無い。


 ジンが目視できるだけでも飛んでいる赤い人魂の数は十や二十ではおさまらず、無数の火の玉が彼等の眼前に広がるように飛んでいるのだ。


 まるで緋色のカーテンを広げているかのように、夜の闇を煌々と照らしている。


 そして、その火を恐れるかのように今まで寝ていた商人達が走り回り、冒険者ですら冷静さを欠き、宙を斬るように剣を振るっていたのだ。


「に、逃げろ! 燃やされるぞ!」


 混乱をしているのだろう。


 一人がそのように叫べば、同じように何人もの商人達が、馬車や荷もそのままにして散り散りに逃げようと走り出す。


 恐怖が人々に伝播して、既に正常な判断ができなくなっていた。


(一度落ち着けないと……)


 ジンは懐から木の杖を取り出すと闇の中でその切っ先を宙へと向ける。


 その瞬間、彼の足下にあった土塊が鋭利な刃となって人魂を迎撃するように闇夜を切り裂く。人魂を全て迎撃することなどジンには不可能だが、その光景に商人達が希望を見る。


 そしてジンはこの機を逃してはならないと彼等に叫んだ。


「落ち着いてくれ! 相手がアンデッドなら、炎の魔法を使う個体は殆どいない! 効果は少ないかもしれないが、大人数でこちらから魔法で撃退をするしか無い!」


 逃げ惑う商人達の先頭に立ち、ジンが土の魔法を唱えて人魂に向って撃ち込んでいく、僅かに人魂の群が揺らめいて進行が遅くなる。


 しかしジンの判断は間違っていた。


「ほ、炎が上がったぞ!」


 街道沿いに止めてあった一台の馬車。その荷台に人魂の一つが近付くと人魂から漏れ出た火の粉が馬車に張ってあった幌を燃やして、火の手が上がったのだ。


「アンデッドは炎を使わないんじゃ無かったのか!」

「あぁ……、その筈だった。だが、炎を扱う以上、今まで以上に迅速に対処しないと、このままでは本当に火達磨にされるぞ」


 商人の一人がジンを糾弾する。しかし、彼に対処する暇も無いとジンは更に杖を振るう。


 その男もそれ以上はジンに何かを言うことも無く、ジンにならって魔法を空に向って撃ち始めていた。


(炎の魔法? 相手は……アンデッドの筈だろ?)


 目の前の異常事態に混乱に拍車が掛かる。


 しかし、次の瞬間には黒い竜の手が燃えた馬車の幌をなぎ払い、ついで人魂の群を切り裂くように猛威を振るったのだ。


「兄様……、クロに任せて!」


 ジンが振り返れば、そこには右手を竜に変化させたクロが立っていて、黒竜の手で人魂を切り裂こうと爪を立てる。


 クロの爪であれば大型の魔獣ですら切り裂き、大きな岩を穿つことも容易にやってのける。しかし、今回は相性が最悪だった。


「クロ、止めろ! 被害が大きくなる!」


 クロが人魂を切り裂こうと腕を振るうと、人魂の幾つかが爪に切り裂かれたかのように爆ぜて、人魂の群の中から幾つもの火の粉が舞い上がり、周囲の馬車に向って飛び始めたのだ。


「このまま火の粉が振り続ければ、馬車どころか森の木々に引火する。もしも森の中に火の手が上がったら、被害がどこまで広がるか分からない!」

「で、でも兄様。どうすれば……」


 クロが人魂を前に動きを止める。しかし、ジンには彼女に対する答えが出せない。もしも自分に戦闘でも使えるような水魔法の素養があれば、クロと協力して火の手を防げたかもしれない。


 しかし、その場にいる人々の大多数はただの商人であり、同行していた数人の冒険者は人魂に魔法を使っているが、効果的な水の魔法を使える者はいなかった。


「ジン、これは何事?」


 この騒ぎに目を覚ましたのだろう。クロよりも僅かに遅れてテントから出てきたミラ。そして人魂を見た彼女は目を丸くした。


「見ての通りだ。危ないから下がってろ!」

「まさか戦うつもり?」

「でないと竜車と荷を失いかねない!」


 もしもここで竜車や積んでいる商品を失えば、この先旅を続けることは難しくなる。他の商人達も状況は同じなのだろう。馬車に向って降り注ぐ火の粉を彼等も懸命に払っていた。


「無駄よ。これはただ群がっているだけだから」

「じゃあどうするってんだ?」

「決まってるじゃ無い。することは一つでしょ」

「お、おい!」


 ジンの制止も聞かずに竜車の御者台に立つミラ。ミラがそこから両手を振るうと、何も無かった野営地の中央に氷の矢が降り注いだ。


「氷の魔法! それが有るなら……」

「無駄よ。確かにあなたの土の魔法よりはマシだけど、怯ませる程度の威力しか出せないわ。何も無いよりはマシ程度の威力しかないからね」


 魔法を放ちながら、ミラは未だ混乱している商人達に向って叫んだ。


「今すぐに馬車を走らせて、この場から逃げなさい! 魔法を使える人は可能な限りの炎以外の魔法を打ち込んで動きを遅くして! 元々の動きは遅いから、魔法で遅延ができれば、馬車の速度でもすぐに振り切れるはずよ!」


 彼女の指示に商人達が僅かに冷静さを取り戻す商人と冒険者達。そして商人達は自分の持ち馬車に戻ると、手早く出立の準備を始め、冒険者達は一塊になって人魂の群へと魔法を打ち始める。


「ジン、クロ、私達も行くわよ。クロは竜車をすぐに走らせるようにして! ジンは魔法も手を貸して、弱くても良いから私に合わせなさい!」

「あ、あぁ……」

「うん、ミラ姉様」


 クロが全身を黒竜に変化させて竜車へと向う。


 ミラの指示にジンも従って人魂の前に立つ。そしてミラが氷の魔法を、ジンが土の魔法を使えば、人魂の群が揺らいで進行が更に遅くなる。


「これなら逃げられそうだが……。商人達は?」

「何台かもう動き出している。それよりも今は集中して。あの人達も私達も、ここで何もかも投げ出して逃げるわけにはいかないでしょ?」


 たいして威力の無い二人の魔法。それでも何人かが協力して魔法を撃ち続ければ、人魂の群の動きは遅くなっていく。


 その隙に乗じて竜車の前に立つクロに、ジンが竜車を引くための縄を掛ければ、竜車の荷台にミラが、御者台にはジンが殆ど同時に乗り込んだ。


「兄様、ドッチニ行クノ?」

「来た道を引き返すしか……」


 ジンが手綱を握ってクロに道を示そうとする。しかし、そんな彼に待ったをかけたのは荷台に乗り込んだミラだった。


「馬鹿! ここで私達が戻ることを選んだら、商人達を逃した意味が無いでしょ? 森の中に向って走らせて!」

「なっ……。正気か? あの人魂の群を突っ切るのか?」

「人魂? あぁ……、そう見えるわよね。大丈夫よ。あれは本来、そんなに危険なものじゃないから。私を信じて進みなさい。他の商人達を巻き込みたくないならね!」


 ジンの言葉にミラが答える。そうしているうちにも人魂は三人の竜車に向って近付いてくる。動かずにいれば、三人の竜車が燃やされるのは明白だった。


「……くそっ! クロ、突っ切るぞ!」

「ワカッタ!」


 何か知っているらしいミラの言葉を信じて、ジンはフードを目深に被ると、クロに掛けた手綱を握る。そして竜車が森の奥に向って走り出せば、彼等の動きに誘導されたように人魂の群が竜車の後をついてきた。


「な……、マジでこっちが……、俺達が狙いなのか?」

「いいから前を見なさい! 切り開かれた野営地であんなにいたのよ。森の中なんか、どれだけいるか分からないんだから」


 ミラの言葉に竜車の進む方向を見れば、森の中に敷かれた道に沿うように幾つもの人魂が舞うように漂っており、それぞれが火の粉の雨を降らしながらジンの乗る竜車へと向っていく。


「撃ち落とすわよ! 私に合わせなさい!」

「わかってる!」


 竜車に乗る二人がそれぞれ人魂に向って魔法を打ち込んでいく。その度に火の粉が森の中に舞い、その火の粉に僅かにクロの引く竜車のスピードが落ちてしまう。


 竜車を追う人魂の数は一向に減らず、森中の至る所から湧いて出た人魂が火の粉の雨を降らしながら向ってくる。このままでは追いつかれるのは時間の問題だった。


「これでも追いかけてなさい!」


 そんな中、荷台に乗っていたミラが何かを人魂の群に向って放り投げる。それは緋色に光る炎の魔石だった。


 その瞬間、人魂の群が大きく揺らぎ、ミラの放り投げた魔石に向って群がり始め、ジン達を囲んでた群が揺らいで道が開けた。


「ミラ、今のは何を……?」

「いいから、今のうちに突っ切って! こんな損切り、一回で充分なんだから!」


 ミラの言った言葉の意味はジンにはわからない。だが、それでも確かにミラの放り投げた魔石が囮になっている。


「クロ、最高速で!」

「ウン、ワカッタ!」


 火の粉の障害もなくなれば、もうクロも竜車の速度を落とすことも無い。人魂達を振り切るように猛スピードで走り抜けた竜車は数時間もすれば森を走り抜け、昨夜泊まるはずだった宿場街へと辿り着く。


 その頃には既に夜は白み始めていて、僅かな焦げ臭さを感じながら走り抜けた竜車の上で、ミラやジンはへたり込んでいたのだった。

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