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第2話:三人の旅路

「あ~……、もう! またこうなった! ジン、クロも起きなさい!」


 朝靄の広がる森の中、響き渡るミラの怒声。何事かとジンが目を覚まして寝ぼけ眼を擦れば、そこに立っていたのは腰に手を当てて怒りの表情を浮かべたミラだった。


「なんだよ、ミラ。朝っぱらから大声出して」

「なんだじゃないわよ。このロリコン! またクロを連れ込んで……」


 頬を赤く染めながらジンの腰のあたりを指さすミラ。すると彼女の指さした先には、ミラの怒声など聞こえていなかったと言わんばかりの安らかな寝息をたてているクロが眠っていた。


 幸せそうに頬を緩ませ、涎を垂らしながら眠っているクロ。人化している彼女の小さな手はしっかりと竜車の中で眠っていたジンの服を掴んでいて、ジンの腕を枕代わりにしていた。


「ちょっ、ちょっと待て! 俺は何のことか知らないんだが?」

「問答無用! クロに手を出すなんて……」

「なっ……、ちょ、ちょっと待て!」

「天誅!」


 乾いた音が森の中に鳴り響く。その音をきっかけにクロが目を覚ました時、ミラに平手をくらったジンが竜車の荷台から落ちていた。




 フォルンの領地を離れてから数日が経ち、ジンとクロ、そして貴族令嬢のミラは荒野を抜けた森の中にいた。


 途中、廃村寸前の村で人身売買を目的にしていた盗賊達から子供達の救出などをしていたが、子供達の無事を確認すると彼等は再び竜車に積んでいた炎の魔石の販売ルートを開拓する為に、西の街へと向っていたのだ。


 と言っても、ジンの勧めもあって三人は一直線に西の大きな街には向っていない。南西の森林地帯へと向い、フォルンと西方の間にある街を避けて、帝国の西部へと向おうとしていた。


 勿論、ミラはこの遠回りには反対した。しかし、ジンが「たぶん帝国軍の誰かが街に向うだろう」と言えば、ミラはそれ以上強く反対をすることは無かった。だが――、


「ったく……、本気で叩くことは無いだろうに……」


 朝食の用意をしながらジンが嘆息する。


 彼の目の前には置かれている鍋の中には昨夜作ったスープが鍋の中で温められている。そしてクロはそんな彼の手伝いをするように木製の皿を用意すると、ジンが取り分けた朝食をミラへと配っていた。


「……悪かったわよ」

「それが悪いと思っている奴の顔か?」


 憮然とした表情でスープを口にするミラ。ジンを見れば、彼の右頬は真っ赤に腫れてしまっていた。


「兄様痛そう……」

「あぁ……、ちょっと口の中も切ったからな。まあ、心配してくれてありがとう。スープのお代わりもあるけど、いるか?」


 ジンを見て心配そうにするクロ。そんな彼女の髪をクシャリと撫でると、クロは少し恥ずかしそうに、けれども嬉しそうに表情を緩めていた。


「クロに対する態度と私への態度に差があると思うんだけど?」

「俺はお前に顔を叩かれているんだが?」

「それはジンが悪いからでしょ? もう少し私にも気を使ったら?」

「叩かれた上にお前に気を使うって、俺はマゾか何かか?」

「……ふん」


 ジンの言葉にそっぽを向くミラ。


 そんな二人のやり取りを心配そうにするクロ。それもその筈、こんな衝突がここ数日の間は日常茶飯事だったからだ。


 そもそも、元軍人とは言え元は農村の村出身の商人であるジンに対して、同行するのは産まれたときから貴族令嬢として育ったミラ。


 特殊な家庭環境であった為、商品販売のルート開拓や商談などの経験のあるミラだが、行商人としての旅など初めてであり、ジンにとっての旅の当たり前はミラにとっては殆どが未知の世界。


 ジンが一般的な村人のような衣服を着ているのに対して、ミラが着ている衣服は明らかに貴族だと分かる上質な衣服。衣食住の全てが屋敷とは異なる旅生活に、ミラは明らかにストレスを溜めているようだった。


「だいたいテントが一つしか無いのが問題なのよ。ジンとクロが旅をしていたのに、どうしてテントが一つなの? 普通は男女別でしょ?」

「あのなぁ……、クロはまだ子供だぞ?」

「それでも女の子と同衾なんて良くないでしょ! クロも悪いのよ。ジンが眠っている竜車の荷台に行くなんて非常識。昨日の夜は私とテントで一緒だったわよね?」

「だって、いつもは兄様が一緒に寝てくれていたから……」


 まだ竜種としては子供のクロ。


 ミラが同行すると言っても、クロは今までの生活と態度を変えること無くジンと基本的には行動を供にしており、夜寝る時も気が付けばジンの隣で丸くなるように眠っていたのだ。


 思っていたよりも貞操観念の強いミラには、それが信じられないことだったらしい。ここ数日は毎朝のようにジンが小言を言われていた。


「とりあえず、朝食を食べ終わったらもう少し進むぞ。今日中にはどこかの村で仕入れをしないと、しばらくは干し肉が食事のメインになる」


 朝食を手早く食べ終わったジンが言うと、ミラが眉間に皺を寄せる。


 行商の旅ということもあり、食料を大切にしなければいけないことはミラにも分かっている。それでも、干し肉は三食連続で食べたいものでも無い。


 パンや調理された貴族としての食事をとっていたミラにとっては、ジンの作る料理は食べられないことも無いが、好んで食べたいものでも無かった。


「そうね。先を急ぐわよ」


 ジンの言葉に賛同すると、取り分けられたスープを飲み干し、木製食器を水魔法できれいにする。


 ジンやミラが生活魔法で後始末を終える頃にはクロは黒竜の姿に戻っており、クロの引く竜車で森の中の街道を進んでいった。



 ………………。



 ヘルテラ帝国はここ十数年で軍拡を行い、領土を広げるために方々に進軍を行った国だ。


 その為、各方面に軍が進軍を行った際の道が続いており、その道を使って商人や冒険者達が旅をすることで未知は街道として発展し、様々な宿場町などが発展してきた。


 クロが引く竜車の進路も例に漏れず、一度南方まで延びた街道を通ると、そのまま西方へと続く道を進んでいく。しかし、その道で何人もの商人達が立ち往生しているのを見たのは、あと数時間程で宿場街へと辿り着けるという所だった。


「クロ、ちょっと待っていてくれ」


 ジンも他の多くの商人達と同じように竜車を止める。竜車が進むのを止めたことにミラが竜車の中から顔を覗かせれば、更に深くなった森の中へと進む街道の途中で、商人達が腕を組んで何事か話し合っているところだった。


「どうかなさったんですか?」


 商人達にジンが声を掛ければ、彼等もジンがこの街道を進む行商人だと判断したのだろう。この先の街道で起こっている問題について話してくれた。


「どうしたの? この先で何かトラブル? また盗賊が出たとかだったら勘弁して欲しいと頃なんだけど……」


 商人達と話を終えたジンが戻ってきて事情を訊ねるミラ。ジンはそんな彼女を相手に聞いてきた話を伝える。


「いや、この道の先で人魂が出るとかで、商人達が進めずに立ち往生をしているんだよ。もうすぐ日も暮れ始めるし、明朝から出発した方が良いだろうってな」

「人魂? つまりは何かモンスターが出るって言うこと?」


 通常、街道にモンスターが出ることは多くは無い。


 小型のモンスター達の大半は人によって狩られる事を恐れて、森の中で過ごすことが大半だ。だがジンの聞いた人魂の噂は、通常なら出現する可能性の低い街道に現れたことが問題だった。


「モンスターなら狩れば良いでしょ? ここの商人達だって護衛に冒険者を雇っている人もいるみたいだし……」

「無茶言うなって。モンスターと言っても人魂だぞ? おそらくアンデッド系のモンスターだし、物理攻撃は殆ど効果が無い上にしぶといだろ。戦闘経験のある冒険者ならできるだけ相手をしたくない相手だって思っているはずだ」


 ジンの言う通り、森の中に出現するという人魂は通常の剣や槍を武器にする冒険者が相手取るには相性の悪い相手だ。


 魔法の力で対抗するのが一般的だが、森の中では火の魔法などを使うこともできず、水や土、氷の魔法で戦うしか無い。しかし、それでもアンデッドに対抗するには相性が良いとは言えなかった。


「あの商人達は、仕方が無いから引き返すことにしたそうだ。宿場街までは後数時間だが、アンデッドに襲われるなんて事になれば、損害は免れないしな」

「……そう。それで私達はどうするつもり?」

「今から判断するしか無いが……。せめて明朝まで休んだ方が良いだろう」


 もしもここから引き返して別ルートで進むことになれば、西の町への到着が更に遅れることになる。食料などの備蓄の残量を考慮しても、できる限り早くに宿場街に到着したいというのが本音だった。


「聞けば、このあたりの領主が教会関係者に協力を要請しているらしい。予想以上にアンデッドが多いなら、ここでその人達が来るのを待つのが得策だと思う」


 言いながら周囲を見れば、一定数テントを張って野営をしようとしている冒険者や商人もいる。


「まぁ……、仕方ないわね」


 ジンの説明にミラが納得を示す。


 仕方が無いとクロが人化をすると、三人は野営の準備を始めることにする。しかし、ジンはその判断を激しく後悔することになる。




 野営を初めて数時間後――、夜の闇を切り裂くように、森の中に響いた悲鳴。


 時刻はとっくに日付の変わる時刻を過ぎていたが、その悲鳴に街道沿いで野営をしていた人々が飛び起きる。


 悲鳴に起されたジンが慌てて竜車から降りた時に彼が見たのは、幾つもの夜の闇に浮かんだ赤い人魂。ボウッと光る何かが幾つも商人達の周りを飛んでいる姿だった。


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