「兄様、ミラ姉様と領主さん、残してきて良かったの?」
「ん~……、まぁ大丈夫じゃないか」
門での作業を終えた帰り道、クロとジンの二人は手を繋いで帰路についていた。クロはミラのことを心配していたようだった。
(まあ……、ミラが父親相手に怯むような所も想像できない。むしろ俺としてはセレストさんが心配だ)
ミラの説教を受けて小さくなっている領主を想像するジン。ただこれ以上二人の関係に深入りはできないだろうとも、彼は考える。
これ以上踏み込むに相応しい関係をまだ築けていないことを、ジンも理解していたからだ。
「そろそろお腹すいたね」
「そうだな。とりあえず屋敷に戻って……、アヤさんと賄いの準備でもしようか……。岩トカゲの肉があれば、串焼きでも作ろうか」
「うぅ~……♪ 涎でちゃう。兄様、早く帰ろぉ」
ジンの手を取って今にも走り出しそうなクロ。
「待ってくれ、ジン!」
そんな二人を引き留めるように、街中で声を掛けてきたのはさっきまで帝国兵の指揮を執っていたカロルだった。
「カロルか……。帝国軍の指揮はもう良いのか?」
「問題無い。俺が各小隊長達に任せるとだけ言っておけば、あいつらもまともに機能する。まだ数日はフォルンに滞在する必要があるだろうが、交易の話が本格的に進めば、我々が駐留する理由もなくなるだろう」
「まぁ、そうだよな。牽制する必要が無くなるんだから」
ジンの言葉にカロルが頷きを返す。そして彼はジンに問いかけた。
「何故今回の件、お前はあの貴族令嬢に肩入れした? 商人として雇われていると言ったが、お前の提案した策は明らかに一商人の行うべき事の範疇を超えている。危険を冒して戦争を止めるよりも、その子竜をつれて街を出ていれば、より安全だった筈だ」
「まぁ……、それに関してはお前の言う通りだよ」
「それが分かっていたなら、どうしてあの令嬢に賭けたんだ。もしも交渉が上手く言っていなければ、今頃俺達はこの場所にいなかった」
「上手くいくって確信していたからだよ。実際にミラと過ごした時間は短かったが、あいつは俺が知っているよりもずっと色々な経験をしているだろう。でなきゃ、何も無かった荒野の街が、交易の街として発展なんてする筈も無い」
ミラはジンに自分の経験を語ることは無いだろう。だが、只の令嬢が何の努力も無しに成し得たこととは思えなかった。
「全てはお前の思い描いた通りか。ならばやはり……、ジン、俺と共に帝国軍に戻ってこい。お前は一商人として、こんなところで埋もれていて良い人材ではない」
「……本気か? 俺は軍を退いた身だ」
「姫もお前の帰還を願っている筈だ。フォルンに貸しがあるのなら、軍部から予算を引っ張って立て替えてやる。俺が間に入れば、一兵士としてではなく、以前のように軍師としてのポストも用立ててやる。だから、軍に戻ってこい」
カロルの誘いはジンにとっては、この上ない条件だっただろう。
根無し草の行商人としての生活はいつか限界が来るかもしれない。今回のように危険な橋を渡ることになるかもしれない。だが――、
「兄様……?」
手を繋いだクロの手を強く握り、彼は自分の周りを見る。
彼等の周囲にいるのはさっきまで復興作業に勤しんでいた兵士達。自分達の街を守ろうと働いている組合の商人達、そして彼等を労うために集まったフォルンの人々。
兵士達の中には戦争準備が無駄になった為に肩すかしを食らったようになったものもいたが、大多数の兵士や住民は、戦争がなくなったことを歓迎しているように見えた。
「カロルはこの街が何色に見える?」
そんな中でジンは自分が戻ってくると信じて疑っていない級友に問いかける。
「何だ、その質問は。街の色? それは何かを表わす抽象的な表現か?」
ジンが思い出すのは彼の才能を見いだした、とある姫の存在。
「姫様は言っていたよ。いずれこの大陸の全ての地を帝国の色に染め上げると。地図の上に白い旗を立てて、まだ黒い土地を白く染めていく。帝国の侵攻のイメージがまさにそれだ」
フォルンへの侵攻は南の海岸都市に対してのつなぎをつくる為。西の教国やその先にいる国々に対してはまだ強くは出ていないが、東の地では帝国領に併合された国が多くあり、北方では帝国と並ぶ大国と今も戦争状態だ。
「実際、俺が帝国軍で軍師として働いていた時、俺は言われるがままに地図を白く染めるために黒かった土地への進軍計画を立てていた。けどな……、実際の世界は黒から白に塗り替えられるほどに単純じゃなかったんだ」
何かを思い出すようにジンは黒の髪をクシャリと撫でる。二人の話を聞いていた黒はどこか心配そうにジンを見つめていた。
「カルロ、俺にはこの街がまだ灰色に見える。姫様が望んだのは真っ白な帝国が治める大陸だ。だけど俺は、そんな姫様の理想通りには行かなかった現実を見てきたんだ」
思えば、全ては帝国がこの街に侵攻したことがきっかけだった。
帝国がこのフォルンの荒野に攻め込まなければ、今も荒野には多くの貴族家が残っていただろう。ミラの母親も亡くなることなく、ミラは平凡な貴族令嬢として生活をしていたかもしれない。今回のようにセレストが娘のために命を賭けることもなかっただろう。
「今回の件は、始まりは帝国の侵攻だよ。帝国領ではなかったフォルンを無理に白に染めようとして、染まりきらずに戦災として傷痕を残し、灰色の街にしてしまったんだ」
「そ、それは……、そんなことはお前が気にすることじゃないだろう!」
ジンの言葉にカロルは語気を荒げる。
「まさかジン、お前はこれから先も帝国の侵攻で占領された国々をまわって同じようなことをするつもりか? 帝国の侵攻が原因で起こる諍いを全て平和裏に解決する。そんなことできるわけが無いだろう!」
「ああ、そんなつもりは無いよ」
「だったら軍に戻れるはずだ。戦後の住民への支援がしたいのなら、軍部にいた方が好都合だ。人員も金銭面でも、お前のできることは多くなるはずだ!」
「でも、俺が連れているクロを幸せの中に戻してやることはできる」
クロを実の妹のように庇うジン。
カロルが語気を荒げたことによって、クロは少し警戒をするように赤い双眸を光らせていた。
「クロも帝国の侵攻が作り出した被害者だ。帝国の……、俺のたてた軍事行動の作戦なんか無ければ、クロは今も親元で暮らしていたはずだ」
ジンはそれだけ言うと一息をつく。そしてカロルに対してきっぱりと言い切った。
「俺は軍には戻らない。俺が行商人として生活をするのはクロを幸せにする為だ。全てを元に戻してやることはできないが、クロが独り立ちするまでは俺がクロの面倒を見る。それが俺を支えてくれたクロに対してできるせめてもの償いだ」
クロの手を引いてカロルから離れていくジン。カロルはそんなジンの背中に向かって声を上げる。
「ジン、お前は間違っている! その子竜の為に自分を犠牲にする必要は無い! お前は自分自身の幸福を考えるべきだ」と――。
しかしついにジンがカロルの声に応えることはなかったのだった。