「これは……ちょっとやり過ぎたんじゃない?」
「あぁ……、ここまでの騒ぎになるとは正直思っていなかった」
フォルンの街に戻り、その入り口を前にして絶句するジンとミラ。
街は城塞都市のように周囲を高い壁と深い堀によって囲まれており、街の出入りはそこまで続く橋のような道とたった一つの門によって管理されている。
しかし今、彼等の乗った馬車の前には人一人が簡単に入れるような大きな穴が幾つも空いた道が砦に向かって伸びていて、その上門を塞ぐように大量の土砂が積み重ねられていた。
「ヨイッショ♪」
ふと声が聞こえて見れば、そこには見慣れた黒竜が一頭。両手に大量の土砂を抱えて、更に門を塞ぐように土砂の山を作っている。
どうやら道に穴を開けただけでは土砂が足りなかったようで、堀の中にまで降りて、堀を深くしながら土砂を集めてきていたようだ。
「こ、これ以上はやめてくれ!」
「お前、楽しんでるんじゃないか!」
「俺達に何の恨みがあるんだ!」
クロが門を塞ぐ土砂の山を更に高くしようとすると、門の向こうから微かに聞こえてきたのは悲痛な兵士達の叫び。しかし、クロはそんな事はお構いなしに土砂の山を高くしていた。
「これは……止めた方が良さそうだな」
「当たり前よ! このまま放っておいたら、あの子、門が埋まるまで土砂を積み続けるわよ! ジン、何とかしなさい!」
ミラに背中を押されて、馬車を降りると空いている大穴を避けながらクロの元に向かう。するとクロもジンが帰ってきたことに気付いたのだろう。彼の前で人の姿へと戻っていった。
「兄様、お帰りなさい! 見て見て、ちゃんと誰も門から出られないように妨害できたよ」
褒めて欲しいとばかりに胸を張って満面の笑みを浮かべるクロ。クロとしては今度こそジンの役に立てたと信じて疑っていないのだろう。
けれど明らかにやり過ぎだった。
「確かにこれなら誰にも門を通ることはできないな。ただな、クロ……これじゃあ俺達も中に入れないんじゃ? フォルン軍が進むのに苦労する程度に穴や土砂の山を作ってくれたらそれで良かったんだが……」
「……あれ?」
ジンの言葉にキョトンとするクロ。
そして彼女は後ろの土砂の山を見上げて「あはは」と笑うとジンから視線をサッと逸らした。
「ごめんなさい、やり過ぎちゃった……」
そしてポツリと彼女呟いた言葉にジンは盛大な溜息を吐くしかなかったのだった。
………………。
その日、土砂の山の撤去は再び竜化したクロとフォルン領軍の兵士、そして帝国軍の兵士によって急ピッチで進められた。
ミラの言葉を借りるのなら――、
「フォルンは交易で成り立っている街なのよ? 門を何日も閉ざしたら、一週間と持たずに物資が枯渇して干上がるわ!」とのこと。
クロとジンは交易路を塞いでしまった罪悪感で。フォルン兵は自分達の街を守る為に仕方なく。そして帝国兵は戻ったカルロによって指示されて、復旧作業に当たっていた。
ある程度作業が一段落すると、ジンは現場を離れ、以前にアヤと話をした兵士達の駐屯する一室へと向かう。
そこでは木製のテーブルを挟んで、セレストとミラの親子が向かい合っていた。
ミラの前に座るセレストは明らかに疲れている。終わりの見えない土砂の撤去作業に貴族の身でありながら、彼も兵士達と共に撤去作業を行っていたのだろう。
彼の着ている服は泥や砂で汚れてしまっていて、とても貴族の当主には見えない。明らかに疲れ切っていて、彼の表情は優れない。
そして彼の前に座るミラもまた、教国との往復や商談で疲れているのだろうが、怒りの方が上回っているのだろう。
目の前でバツの悪そうな顔で座っているセレストに鋭い眼差しを向けていた。
「ミラ……、わかってくれ。確かにフォルンは教国の領土であった時よりはずっと発展した。だが、今の針のむしろのような生活はお前にとっても耐えがたいものだった筈。貴族としての地位を捨ててでも、私はお前を守りたかった。一人の女性としての幸せを掴むことを、私は願ったんだ」
「……うるさい」
疲れきった表情のまま、今回の件についての釈明をしようとするセレスト。しかし、対面するミラは彼の言葉を冷たく突き放す。
「ミラ……、セレストさんはお前のことを思って、俺にまで根回しをしていたんだ。話くらい聞いてヤっても良いんじゃ無いのか?」
「ジンは黙ってなさい。これは私達親子の問題なの」
ジンが間に入ろうとしても、ミラは仲裁など必要が無いときっぱりと言い切る。その上で二人きりにして欲しいと言われれば、これ以上ジンには深入りすることはできない。
疲れている二人をその場に残して、彼は再び作業へと戻った。
「今日……、教国の砦に行ってきたわ」
「なっ……」
静まりかえった部屋の中、ミラがポツリと呟く。そんな彼女の言葉にセレストは目を丸くして驚いていた。
「な、何故だ? 現在のフォルンと教国の関係を考えれば、そんなことをするのは自殺行為だ。何故そんなことをしたんだ!」
「戦争を止める為よ。私がジンにお願いしたのよ。助けて欲しいって……。そうしたら、彼はこれしかないって方法を提示してくれた」
フォルンが戦争を始めるのは、あくまでもフォルン家としての名誉の回復の為であり、自分を犠牲にしてでもミラに何かを残そうとしたセレストの意志によるところが大きい。
その観点に立てば、帝国軍のカロルも、教国砦の指揮官のクロトも、セレストの作り出した大きな流れに巻き込まれたようなものだ。
だがその流れの行き先をジンはミラの存在を使って変えたのだ。
「放っておけば教国と帝国は戦争になっていた。ジンはたぶん帝国軍が勝つって言っていたわ。その上で、結果がどうあれ、フォルンが処罰を受けることや、お父様が処刑される可能性まで教えてくれた。ねぇ、どうして? どうしてここまでしなくちゃいけなかったの? 私を守る為だって言っていたけど、こんな方法をとる必要なんて無かったじゃない」
部屋に響く悲痛なミラの声。そんな娘を前に、セレストは苦しみの表情を浮かべる。彼が思い出していたのは、セレストの妻の姿だった。
「ミラは母さんのことを覚えているか?」
「何で今更……。覚えているわ。もっとも、病床に伏せっている姿しか思い出せないけどね」
「そうか……。そうだな。ミラ、私は君が彼女のようになることが怖かったんだ」
ミラの母親――、エリナ=フォルンは領内の民から慕われていた。
元々は地方の貴族家令嬢であった彼女は気さくに領内の民と接し、セレストのパートナーとして彼を支え、領民の暮らしを守っていた。
第一子のミラを産み、これからも彼女は家族とともに幸せな生活を送ると思っていたのだ。
だが、そんな折に起こった帝国の南方への侵攻。
フォルンは帝国に抗うことなく降伏し、フォルン領は帝国領として併合されることになる。そしてフォルンの名声は地に堕ち、フォルン家は売国貴族としてのそしりを受ける事になった。
それまで親しくしていた領民からの罵詈雑言。信用を失ったエレナは精神を病み、他界することになった。
「帝国領となったフォルンだが、その後はミラのおかげで経済的にも安定し、交易の街として発展した。だが、たった一度の判断の間違いで彼等は再びフォルンの汚名を思い出し、私達に敵意を向けた。そんな状況に、ミラが傷つくことが何よりも怖かったのだ」
自分が下した判断によって愛した妻を失ったという傷が、呪いのように彼の心を蝕んでいたのだろう。
フォルン家と商品の売買さえ行わない商人が現れたことも、彼はアヤから聞き及んでいた。
貴族家であるにも関わらず、慢性的な人手不足に苦しみ、民の信用を取り戻せないフォルン家。このままではミラも、愛していた妻のように苦しむことになるのではないか。ミラを失うかもしれないことを、彼は恐れていたのだ。
「私の策が上手くいけば、少なくとも……フォルン家が貴族でなくなったとしても、もうミラを売国領主の娘などと言うものはいなくなる。その上で、ジン……、かつて帝国での地位を築いた彼が協力してくれるのであれば、少なくともミラが生活するだけの場所を揃えてくれると信じたんだ」
「お父様が処刑されたとしても?」
セレストの本心の吐露にポツリと呟き問いかけるミラ。そして彼女は立ち上がるとセレストに向けて叫んだ。
「馬鹿じゃないの!」と――。
「あのねぇ……、お父様。私が今更売国領主とか言われて傷つくとか思ってた訳? そんなこと子供の頃から言われてたのよ。フォルンを交易の街にしようと周りの村や商人のところに行っても、何度も断わられ続けたり、私の弱みにつけ込もうとしたりする商人を相手にしてきたのよ。今更、そんな程度で傷ついたりするわけ無いでしょ!」
ミラが思い出すのは交易を行っていたここ数年の記憶。
フォルン家に残ってくれた屋敷の人々の協力を得て、交易ルートを開発し、多くの商人や技術者と交渉を続けた日々。
「フォルンと交易をしようなんて商人、最初は誰もいなかった。水を掛けられたこともあるし、罵声なんて日常だった。それでも根気強く交渉を続けていたら、私達に協力してくれる人もいた。皆、私達を罵りながら、本当は理解していたのよ。降伏するしか、自分達の今の生活を守ることはできなかったんだって!」
もしもセレストが抗う道を選んでいたら……。
そんな当たり前の想像を街の人々がしなかったわけはない。荒野を少し進めば、かつての貴族家の蹂躙された傷痕を見ることができるのだ。
想像することは簡単だっただろう。
だがそれでもやり場のない怒りを収めることは出来ない。だからこそ彼等はフォルン家にその怒りをぶつけるしかなかったのだ。
「お母様が死んじゃったことは私だって悲しんだ。街の人達に恨み言を言ったことだってあった。でも街の人達だって、お母様が亡くなったことを悲しまなかった訳じゃない! 悲しんでくれる人だっていた! だったら、お父様が死んじゃったら、悲しむ人だっているでしょう!」
ミラの碧眼が涙で潤む。その目を袖で擦ると、ミラは言葉を続ける。
「ジンは戦争を止めるのは私しかいないって言っていた。一度不可侵条約を結んで交易を始めてしまえば、もう止めることは出来ないだろうってね。その上で、交易に参加してくれる商人を集めるのは私の仕事だって言ってくれたの」
教国を敵国として立ち上がったセレストとは正反対の方法。ミラは教国を商売相手として、商人を使って砦と街をつなげる事によって戦争の火種を消したのだ。
「フォルンの街から商品を持っていけば、売国領主と揶揄する者が現れるかも知れ無いぞ?」
「だから何? そんな言葉、とっくに言われ慣れてる!」
「交易で赤字を出して、領民から非難されることもあるかもしれない」
「そうならないように頭を回すのが、私達領主の役目でしょ!」
「教国との交易など……帝国の心証を悪くするかもしれない」
「ゴチャゴチャうるさい! 交易して欲しくなかったら、相応の支援でもしろって文句言ってやる!」
ミラの言葉に唖然とするセレスト。その上でミラはセレストに手を差しだした。
「お父様はどうしたいの? 死にたかったの? 違うでしょ! 私を守りたいって言ってくれるなら、あーだこーだ言わずに協力してよ! 私はフォルン領の領主代理でしかないの! 領主として、お父様にして貰うことはたくさん有るんだから!」
いつの間にかポロポロとミラの頬を伝って涙が落ちていた。
「勝手に死んで……満足しようなんてするな糞オヤジ……」
娘の涙を前に、彼女の真意に気付いたセレスト。
自分の協力など無くても、ミラはきっとフォルンをより発展させていただろう。だが、ミラの気持ちは痛いほどに伝わった。
(あぁ……、そうか……ミラは私を守る為に……)
金色に靡く彼女の髪は自分によく似ている。だが今、涙で潤む瞳と、彼女の姿に重なるのは、かつての妻の面影。
セレストはもう、差し出された娘の手を握らずにはいられない。そして一組の親子は互いに抱きしめ合って、涙を流し合ったのだった。