クロトとミラの商談が終わり、ジンとミラ、そしてカロルの三人は砦から解放された。
クロトはミラの提案を前向きに検討すると応えてくれたが、さすがに教国の国王や貴族達の許可無しに交易を始めるわけにはいかない。急ぎ砦の兵士が首都に確認の使者を送るとの事だった。
そうなれば、ジン達三人が教国内の砦にいつまでも残っている必要は無い。確認が取れ次第、フォルンに使者を送られることを確認して、彼等は帰路についたのだ。
「はぁ~……、もう……勘弁して欲しい。こんな情勢の中での商談なんて、本当にすることになるなんて思わなかったわ……」
馬車に乗るなり、今までの貴族令嬢としての振る舞いを取り払い、素の表情に戻るミラ。そんな彼女の態度に御者台に座るはジンは苦笑して、カロルは目を丸くしていた。
「馬車に乗るなり素に戻るなよ。貴族令嬢としてもう少し振る舞いには気をつけた方が良いんじゃ無いのか?」
「嫌よ。そもそも貴方にはもう素も見せているし、今更取り繕ったところで意味なんて無いでしょ?」
「この馬車には帝国軍の中隊長が乗っているんだが?」
「貴方の知り合いでしょう? だったら同じ事よ」
すっかりいつもの調子を取り戻し、軽口をたたき合う二人。
そんなミラの言葉にカロルは思い出したようにジンに問いかける。
「そうだ……、お前、どうして砦の指揮官に俺の事を小隊長として紹介したんだ? 身分を偽る必要など無かっただろうが。それに、俺を誘拐同然に連れて来て……、こんな事をしたらどうなるのかは分かっているんだろうな?」
「あ~……、それな。一応保険だよ」
カロルの問いかけにジンが肩を竦めてみせる。
「今回の交渉……、商談が公式のものだと証言できる帝国軍の関係者が最低でも一人は必要だった。その上で身分を偽ったのは、お前の身の安全を考えてだよ。砦の指揮官……、クロトはフォルンに中隊が来ていたのは知っていただろ。そんな奴ら相手に、お前を中隊長として紹介すれば、三つの勢力のほぼトップがそろい踏みっていう状況になる。それは俺としては避けたかった」
面会の場で話をしたのは、教国軍に砦の指揮官として任命されたクロト。そして、あくまでも領主の娘で、領主代理でしかないミラ。そして帝国軍の小隊長としてのカロルだ。
「あの場でお前が中隊の隊長だとバラせば、それぞれの立ち位置としての均衡が崩れる可能性があった。最悪、お前だけ砦に軟禁されて、帝国軍との交渉材料に使われるかもしれないだろ?」
仮にカロルが中隊長と身分がバレれば、彼はこの馬車に乗っていなかった可能性もある。しかし小隊長として身分を偽れば、小隊長を軟禁するリスクをクロトは考えただろう。
それは領主ではないミラについても同じ事。
交易がすぐに始められないことを見越して、既にジンは手をうっていたのだった。
「帝国が一枚岩じゃないように、教国内でも色んな思惑が出てくるだろう。その時に帝国の中隊長が捕虜になっている、なんていう状態になれば、戦争の火種になりかねない」
「なら……、別に俺じゃなくても良いだろう。最初からお前の発案だと聞けば、俺が信用のできる兵士をお前達につけていた。誘拐など行う必要なんて無かったんだ」
「でもお前が街に残ると、帝国軍は自由になる」
ジンはカロルの言葉にニヤリと笑って答えてみせる。
「実は、街ではフォルン軍や帝国軍が進軍できないように、クロに危険が及ばないレベルで妨害を頼んでいる。そこに自由な帝国軍が加われば、妨害が上手くいかない可能性があった。だからこそ、危険を冒してでも帝国軍の頭を離しておく必要があったんだ」
ジンの言葉にカロルが思案を巡らせる。
彼自身は街で何が起こっているのかを知る由も無い。しかし、ジンが行った妨害について、カロルが不在で兵士達が機能するかと問われれば、彼は自信を持って答えることができない。
帝国軍においては命令系統の遵守は絶対。
中隊において小隊長達がカロルの不在で行動を起すことは考えらない。かつ、進軍の際に中隊長がいないとなれば、小隊長達は何よりも捜索を優先することはわかりきっていた。
「お前達のやりたかったことはわかった。しかし、わかっているのか? 領主のセレストは軍を私的に動かしたことによって処罰され、ジンとミラさんは中隊長誘拐の主犯だ。絞首台に送られても仕方ない」
「それについても問題は無い。事実として、もう戦争はすぐには起こらない。ミラの交易の提案は、教国は喉から手が出る程に魅力的な内容だ。必ず交易を実現させるはずだ」
「それがお前達の処罰と関係があるのか?」
「あるさ。セレストに煽られての軍事行動をとる必要が無くなったんだ。セレストに何らかのペナルティを行う事はできるだろうが、これで死刑にすれば、帝国軍はフォルンと教国の交易に横やりを入れた、と教国側は認識するだろうな。これはミラについても同じ事だ」
ジンが言う通り、この状況では帝国軍とカロルはセレストもミラも処罰することはできない。その上、ジンは教国の交易はあくまでも、貴族家・フォルンと教国の砦との交易として、交渉を進めさせていた。
「なるほどな。だが、お前が処罰をうけない逃げ道は無いようだが?」
「そうだな。まぁ……俺は普通に処罰を受けるさ。できるだけ後に尾を引かない刑罰を期待したい」
ジンの答えにカロルは呆れて物も言えなくなる。
やはりジンは最初から自分を勘定に入れていなかったのだろう。中隊長の誘拐など、もしも軍部に知られれば、必ずジンは死刑になる。
それはカロルにとっては国の損失となる判断だと考えてしまった。だが、ここで今まで二人の話を聞いていたミラがカロルを睨む。
「ジンについても同様よ。こいつはまだ、私の雇っている商人。それに手を出すことは私が許さないわ」
彼女の言葉に意外そうな表情を浮かべるジン。しかし、カロルは処罰の撤回を言うわけにはいかない。
「ジンがした事は犯罪だ。これを見逃せば、帝国軍としての面子が保てなくなる。死刑は大袈裟にしろ、禁固刑や懲罰は必要だ」
「面子? そんなものクソ食らえよ。ジンのおかげでフォルンは損失を受けずにすんだ。お父様も私も処罰を受けること無く、戦争までおさめてみせた。ジンを処罰することは許さないわ」
「あんたの許しを得る必要なんて無いんだ」
「そうかしら? もしもジンを処罰するのなら、私は帝国軍の中隊長が只の商人によって誘拐されたことを公表するわ」
「なっ……」
ミラの脅迫じみた発言に、さすがのカロルも表情を引きつらせた。
「フォルンの街中にそんな話が広まれば、商人のネットワークで帝国中に帝国軍の失態が広まるでしょうね。誘拐されたマヌケな中隊長さんの名前と一緒に……」
実際に、街の宿に宿泊していたカロルを誘拐したのは、ミラが連れて来た私兵だ。だが、軍の責任者が誘拐されたのは事実。その失態が広まれば、間違いなくカロルは立場を失う。
「だ、だが……、だったらどうする? 俺が街の中で行方不明になっていたのは事実。それは隠しようがないだろうが」
「そんなの知らないわよ。トイレにでも籠もっていたことにすれば?」
「まる一日トイレに籠もっていたとか、誰が信じるんだ」
「知らないわよ。恥をかきたくなければ、精一杯知恵を振り絞りなさい」
ミラの言葉にカロルは口をパクパクさせて何も言えない。
(まぁ……落としどころとしては、カロルは帝国軍の責任者として、教国との直接交渉に向かって戦争の火種を消した。貴族家のフォルンの力を借りて、宗教国家との交易の可能性をつくったってとこか……)
そんな二人の様子を見ながら、ジンは適当な言い訳を考える。
さすがに不審に思う者は出てくるだろうが、それでも自分が処罰されることや、カロルが軍での立場を無くすことを考えれば、一番マシな解決方法だろう。
「ありがとうな、ミラ」
頭を抱えているカロルをそのままに、ミラに感謝を伝える。すると彼女は頬を朱に染めながら呟く。
「別に貴方を助けた訳じゃないから。あくまでも雇用主としての判断よ。貴方にはまだまだ返済をして貰うことがあるんだから」
そう言うと窓の外へと視線を送るミラ。
そんな彼女を見て嘆息する。夜更けに街を出たというのに、既に荒野には夜の帳が降り始めている。今頃、街では大騒ぎになっているだろう。
これからが大変だと思いながらも、ジンはカロルに落としどころを伝えない。
うんうん唸る彼を見ながら、街に到着するまでは悩ませておこうと考えていたのだった。