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第16話:令嬢と指揮官の交渉

 帝国軍の中隊長・カロルは絶望を感じていた。


 中隊を引き連れてフォルン領に来た時、彼は例え教国との戦争になっても、国境線の砦にいる軍など簡単にひねり潰せると思っていた。フォルン領の領軍との共同戦線となれば戦力は比較にならず、一方的に蹂躙することさえ可能だっただろう。


 もっとも、カロルに与えられている役割はあくまでも牽制。教国側からの宣戦布告など行われない為の抑止力でしかなかった。


 それが何の因果か、彼は今、敵地の砦にまで連れてこられている。


 そして今、彼の周囲に頼りにしていた帝国軍の兵士達はおらず、彼の隣には、かつて帝国軍で寝食を供にした旧友であるジンとミラ=フォルンという貴族令嬢がいるだけ。


 彼自身は武勇に自信があり、一対一や複数人を相手どったとしても、並の兵士には遅れを取らない自信がある。


 だが、かつて軍においては軍師として活躍していたジンや、一般的な貴族令嬢であるミラに戦闘力は殆ど無く、カロルがいくら腕に自信があろうと、たった一人では砦の教国軍を相手取ることなど不可能だ。


 これではまるで自殺の為に連れてこられたようなものだ。


 今からでも遅くはない、すぐに引き返して街に戻るべきだと主張するが、ジンもミラも彼の忠告など聞く耳を持たない。


 そうこうしているうちに教国軍の兵士によって囲まれて逃げ場を失い、砦の門扉の前で馬車を止められて三人は既に馬車から降ろされた。


 周囲には槍を持った兵士に取り囲まれ、カロルやジン、ミラの一挙手一投足に注意を払っている。もうどう足掻いても活路など見いだせない。


 この状況で絶望を感じるなと言うのは無理な話だ。


「面会の希望だって言ってるのに、物騒なものを向けないで欲しいわ」

「わざわざ挑発するな……」


 不満そうに呟くミラをカロルが諫めるが、彼女はそれでも臆することなく、むしろカロルを睨みつけ、武器を持つ教国兵士に対して邪魔そうに悪態までつく始末。


(くそっ……、この令嬢……本当に状況が分かっているのか?)


 一度はジンが使えるに値する胆力のある令嬢だとは認めたが、敵地においての態度を見れば、カロルの心中が穏やかではいられない。


 ミラとジンは丸腰であり、攫われてきたカロルもそもそも武装などしていない。この異常な状況に、カロルがここで死ぬのだと考えてしまうのも仕方が無いことだった。


「クロト指揮官がお前達との面会を了承した。付いてこい」


 おそらくはクロトの元に向かっていたのだろう。一人の兵士が戻り三人に告げると、武器を突きつけられながら三人は砦の中を歩く。


 木材で作られた砦は火を付ければあっさりと燃えそうだが、周囲を兵士に囲まれれば脱出などはできそうに無い。


 三人は武器などを隠し持っていないことを確認されて応接室へと通されると、程なくして応接室に現れたのは壮年の男性。


 彼は自分を砦の指揮官を任されているクロトだと名乗ると、三人を相手に探るような目で一人一人を見ていく。


「あなた達がフォルンから来たという三人か? 貴族に、軍人に、商人とお見受けするが、どういった用件で訪ねてきたのだ?」


 当然の疑問を口にするクロト。そんな彼に対応したのはミラだった。


「お初にお目に掛かります。フォルン領が領主・セレストの娘、領主代理を務めさせていただいているミラ=フォルンと申します。この度は面会を受けて下さりありがとうございます」


 淑女の礼を行うミラ。そしてジンが彼女に続いて、ミラの従者・ジンだと名乗ると、表情を引きつらせているカロルを紹介する。しかし、ジンの言葉にカロルは戸惑うことになる。


「彼の名はカロル。先日フォルンの街に訪れた帝国軍の小隊長です」


 ジンの言葉に疑問符を浮かべたカロル。


 自分は確かに中隊長だとジンに名乗っていた筈。しかし、ジンはカロルと小隊長として紹介したのだ。


 木製のテーブルを挟んで対面するようにソファーが置かれている中、ミラは当然のように腰を下ろす。しかし、ジンは彼女の従者として振る舞う為彼女の後ろに控え、カロルもまた丸腰とは言え、敵地で腰を下ろす気にはなれなかったのだろう。警戒の為にたっていることを選んだ。


「挨拶など不要だ。それで、この度はどういった用件でこちらに? 現在の教国と帝国の情勢を考えれば、来るべきでないのは分かっているだろう」

「そうですね。確かに仰るとおりだと思います」


 クロトの言葉に頷きを返すミラ。


 敵地にありながらも堂々たる振る舞いをする姿は驚嘆に値するが、カロルは彼女の姿に相手を刺激するなと願うしかない。


「しかし、この不安定な情勢だからこそ、チャンスがあると思って私は商談に参りました」

「商談? 戦争を前に、今更商売について話すことがあるとでも?」

「ええ、この砦にいらっしゃる皆さんにとっても有益な話だと自負しています」


 クロトがまっすぐにミラを見つめるが、彼女は臆した様子をおくびにも出さない。それどころか、どこか余裕を持った態度で向かっていた。


「単刀直入に。この度、私が教国のこの砦に訪れたのは、我がフォルン領と、この砦との交易を開く為に参りました」

「「なっ……」」


 ミラの言葉に驚いたのはカロルとクロトの二人。今まさに戦争をしようとしている中、交易を始めることなどあり得ないことだ。


「何を言っているのかわかっているのか?」


 ミラを値踏みするようにクロトが彼女に視線を向ける。しかし、ミラはその視線をまっすぐに受け止めると、余裕の笑みさえ浮かべてみせる。


「ええ、十分に理解をしています。私が求めるのはフォルン領とこの砦との対等な交易。そしてフォルンと砦における不可侵条約の締結です」

「戦争を目前にしたこのタイミングで?」

「ええ。戦争を目前にしているからこそです」


 動揺をしているクロトの内面を見透かしたかのようにミラは言葉を続ける。


「そもそも、ここ数年の間にこの国境付近で小競り合いが続いたのは、元々は教国領であったフォルンが帝国の領地として、あの荒野一帯を治め、各地と交易をしていることが理由では?」

「否定はしない。事実、フォルンが寝返るとは思っていなかった」

「私達はただ、領内に暮らす人々の安全を優先したまでです。交易もあくまでも領内の自治を目的に始めたこと。もっとも、あなた方はフォルンが経済的に力をつけ、いずれこの砦にも攻め込んでくる思われていたようですが……」

「それが本当の目的なのだろう! 現に今、領主セレストの宣戦布告によって、それが現実になろうとしている」


 ミラの言葉にクロトが語気を荒げたのは当然のコトだ。


「私達が何も把握していないと思っているのか。我々はは領主・セレストの演説の内容を正確に把握している。そして彼の演説の結果、駐留中の帝国軍中隊が進軍の準備が進めている。もはや戦争が避けれないことは貴殿らも分かっているだろう!」

「あの演説はあくまでも領主・セレストの決意表明に過ぎません。中隊が動き出したのは事実ですが、この砦に宣戦布告の使者はまだ来ていない筈。彼等は戦争を始めるつもりでは無いのでは? フォルン領は帝国首都と南方の海への中間地点にもなりますので」


 彼の言葉を否定するようにミラが淡々と言葉を続ける。彼女が語っているのは半分以上は本当のことだ。しかし、その中に織り交ぜられた嘘によって、真実がねじ曲げられている。


 そして彼女は二人の対話を傍観していたカロルにも水を向ける。


「カロルさんに伺いたいのだけれど、帝国軍は宣戦布告の使者すら送らず、明らかに戦力差のある相手に奇襲を仕掛ける習わしでもあるの?」

「なっ……。帝国軍を愚弄するつもりか! 我々帝国軍は、正々堂々と正面からの戦いを挑む。戦争になるのであれば、宣戦布告の使者を立て、明らかな戦力差のある相手には降伏勧告も行っている」


 挑発するようなミラの言葉にカロルが思わず反応する。それこそ、ミラがこの先の話を進める上で必要な言葉だった。


「そうよね? 帝国は教国相手に宣戦布告の使者すら送らずに奇襲を仕掛けることなどあり得ない。ましてフォルン領軍との共同戦線になるのなら尚さら。未だ宣戦布告が行われていない事実が、帝国が戦争を起すつもりはないという証だと捉えて貰えないかしら?」


 用意されたカードを並べながら、ミラはクロトに再び語り掛ける。


「教国と帝国の情勢は不安定です。ですがまだ両国は戦争状態になっていないというのが私達の見解。その上で、両国の関係改善の為に、フォルンはこの砦との交易を提案します」

「この面会自体が進軍準備のための時間稼ぎの可能性もあるだろう」

「領主の娘と軍の小隊長がわざわざ? 殺される危険までおかして時間稼ぎをする意味はありません。戦争になれば、遠からずこの砦が帝国軍に占領されるのは目に見えています」


 ミラの言葉に表情をしかめるクロト。しかし、彼女の言っている事は本当のことだ。


 砦に残る教国軍と帝国軍がぶつかれば、おそらくは国境を維持することは叶わない。砦の兵士の大半は討ち取られ、運が良くても捕虜として連行されることになるだろう。


 だがクロトの立場ではそれを認めることはできなかった。


「我々は既に首都に増援の派遣を求める使者を立てている。ほんの数日、この砦を死守すれば、数の上での不利はなくなるはずだ」


 自分の言っている事が虚勢だと理解しながら、クロトはミラの言葉に反発する。しかし、その言葉を覆したのは、今まで静観していたジンだった。


「恐れながら、教国の援軍が送られてくることはないでしょう。いえ、たとえ首都から軍が派遣されたとしても、教国郡がくるのは、この草原の先にある森林まで。そこに新たな国境線を引くために、砦を構えるはずです。そういった前例があることは理解されていますね?」


 ジンの言葉に疑問符を浮かべたのはカロルだ。彼だけが、現在のフォルンと教国の関係、そしてかつて教国の下した判断を知らなかった。


「何故だ? この砦の戦力と教国の首都から送られてくる軍が合わされば、今の国境線を維持できるはずだ。それなのに、何故この国境線を見捨てようとする?」

「簡単なことだ、かつて、フォルンが同じ立場になったからだ」


 数年前、かつて教国領だったフォルンの荒野に帝国軍が侵攻した時、教国郡は利益の少ない荒野の地を諦め、荒野に街を築いていた教国の貴族家に帝国軍への迎撃を命じた。


「降伏したフォルンは帝国領に併合されたが、帝国軍に反抗した他の貴族家は街ごと蹂躙されたと聞き及んでいます。この砦と草原となっているこの地に、教国が固執する理由はありますか? もしも今戦争になれば、おそらく帝国軍はこの砦に残るあなた達を一人残らず討ち取ることを選択するはず。それが分かっていて、来ないかもしれない教国の軍が来ることを信じますか?」


 ジンの言葉に言葉を失うクロト。


 フォルンが帝国領になった経緯を知っているだけに、彼は考えてしまう。この砦が見捨てられるかもしれない可能性を……。


 砦の周囲には草原が広がっているが、戦争になれば草木は焼き払われ、この地もフォルン領と同じような荒野になるかもしれない。そんな地を、経済力の弱い教国が守らないことは容易に想像できた。


 だからこそクロトは決断する。


「交易と言ったな……。具体的な話を聞こうか」


 そんな彼の言葉にミラは微笑みをもって「では、商談といきましょう」と言葉を続けたのだった。

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