ジンとアヤの報告を聞いたミラの取り乱しようは尋常では無かった。それはそうだろう。つい数日前まで平穏だった領地が、いきなり戦争状態になれば、取り乱すなと言う方が難しい。
「お父様……何でこんな事を……」
爪を噛みながらミラが呟く。ジンはその答えを知っていた。
「これはたぶん、お前の為だ」
「私の為? 領地を戦場にするのが、どうして私の為になるのよ!」
「フォルン家の汚名をすすぐことになるからだよ。フォルン家は昔、帝国軍と戦うことを避けて、売国領主なんていう汚名を被ることになった。だが今回は違う。帝国軍を利用しながら、教国と戦うことになれば、少なくても領民のフォルン家への見方は変わる」
「そ、それは……そうかも知れ無いけど……」
「セレストさんは帝国軍を招いたことも、戦争状態になることも全部自分の判断にするって言ったんだ。本当はミラが決めたことも、その負債も全部自分が背負うつもりなんだ。その結果がどうなろうともな……」
「ちょっと待って。結果がどうなってもってどう言う意味?」
ジンの言葉にミラが彼の腕を掴んで問いただす。ジンはかつて帝国軍の軍人だった。だからこそ、軍を利用したセレストが戦後どうなるのか理解していた。
「理由はどうあれ、軍を利用したことには変わりない。戦争が始まれば、教国を退かせることができても、良くて禁固刑。最悪は絞首台に上がることになる。フォルン家にも相応の罰が与えられるだろう。それが帝国軍のやり方だ。例外は無い」
「そ、そんなことって……」
愕然とするミラ。そんな彼女を見ながらジンが思い出すのは、セレストが彼に言っていた言葉だ。
「セレストさんが言っていたんだ。もしも戦争が始まれば、ミラを連れて領地の外へ出てくれるかって……。今ならまだ間に合う。戦争が始まる前にセーネや他の宿場町、領外のどこかに避難をさせることもできる。今後の事を考えれば、俺たちと一緒に街を離れることがお前にとっての最善だ」
黒竜のクロの引く馬車に乗れば、数日と掛からずに荒野を抜けてフォルン領外に出ることもできる。ここで逃げることを選べば、少なくともミラに危険が及ぶことは無い。
セレストの末路を想像できるジンとしては、彼の最後の願いとしてミラにだけは害が及ばないようにフォルン家から一切の関係を断って、平穏な生活のできる町へと連れて行くことが最善に思えた。
それがジンがミラに出来る唯一のことだと思っていたからだ。だが、ジンもセレストも、まだまだ考えが足りない。ミラは大人しく与えられた状況をただ受け入れるような女では無かった。
「あの糞親父~! こっちが気を使って色々しているのに、好き勝手やりやがって! もういいっ! もうキレた! 戦争なんか止めてやる!」
ジンやアヤを前に令嬢としての体裁を取り繕うことも無く叫ぶミラ。
髪を掻きむしるかのように金色の髪をくしゃくしゃにすると、ミラは半ば脅すかのようにジンの胸ぐらを掴んだ。
「ジン、戦争を止めるわよ! あなた言ったわよね? 戦争が始まればあの糞親父が処罰されるって! つまり、戦争が起こらなければ処罰されることは無いのよね?」
彼女の無茶苦茶な理屈に目を丸くするジン。確かにミラの言う通り、絞首刑などは避けることができるだろうし、交渉次第では内々に処理することができるかもしれない。だが――、
「ちょっと待て! 戦争を止めるってどうやって? もうフォルン領軍も帝国軍も準備を進めている。たぶん教国側だって今頃は帝国軍との戦争になることを判断して、軍備を進めるはずだ」
「そうね。でも戦争を始めるにはどちらも進軍の準備とかでまだ数日の準備期間が必要になるわ。それまでに教国がこっちに攻めてくる理由を無くすのよ!」
「そんな事どうやって?」
「クロに荒野にやって来た軍を蹴散らして貰えば良いでしょ! 教国の軍や帝国軍にも地獄を見せてやれば良いわ!」
「馬鹿! いくらクロでも不可能だ。それに、俺はあいつを戦争の為の道具にするつもりは無い!」
「だったら他の方法を考えてよ! それを考えるのがアンタの役目でしょ!」
「なっ……」
ミラの言葉に絶句するジン。
戦争を止める為の何かを考えろという、あまりにも無茶な要求に、ジンは開いた口が塞がらない。
「お前……、自分が無茶苦茶なことを言ってるのを理解しているのか?」
「無茶だってことはわかってる。でも、あなたなら何かいい方法を考えられるかもしれないでしょ? あの日、牢屋で自分の運命を変えたみたいに、何かいい手を考えてよ……。お願いだから……、戦争を止めて。助けてよ……ジン……」
しかし、最後には瞳を涙で潤ませて懇願するように縋り付くミラを見れば、もうジンは黙っていることなどできなかった。
(考えろ。まだ何か手はあるはずだ。ここから盤上をひっくり返すような逆転の一手がまだある筈……)
ジンの目の前に並んだ幾つもの駒。それぞれの思惑。
戦争を起こしたセレストは自らの身を顧みず、現在のフォルン家からミラを解放する為に動いているとしか思えない。
帝国軍はセレストの演説によって背中を押されただけで、自分たちの名誉を守る為に戦争に出ようとしているに過ぎない。
そして教国はおそらくは、ふりかかってくる火の粉を振り払う為にフォルン領軍や帝国軍に対抗する為の軍備を勧めているのだろう。その先にはフォルンの街での交易による利益が考えの中にあるかもしれないが、それはあくまでも戦後の事だ。
(待て……ということは……)
ジンが思い出すのはこのフォルンの街の背景。そしてミラがこの交易の街を成立させる為に尽力をしてきたということ。
「ミラ……、お前に一つ提案があるんだが……」
「この状況で何よ? 戦争を止められるなら何でもするから、何か言ってみなさい!」
「その言葉、取り消すなよ?」
そう言ってジンが不敵に笑うと、彼はミラにある人物を攫ってでも連れてくるように手配を依頼し、同時にクロにも指示を出す。
彼の言葉にその場にいた誰もが驚きを隠せなかったが。ジンの指示に対して反論するものは誰もいない。そして、彼らにとって最も忙しい数日が始まる。