商店の並ぶ通りを離れて三人が向ったのは、少し前にジンがクロと一緒に取り押さえられた検問だった。
検問自体はフォルン家の衛士が管理しているのだろう。働いている衛士達とアヤは顔馴染みらしく、アヤが衛士と言葉を交わすと二人は衛士達の駐屯する一室へと連れて行かれる。ここでなら街の人々の目を気にすること無く話をすることができそうだった。
「わざわざ門にまで来るなんて、屋敷や街中では話せないことなのか」
「街中でフォルン家の関係者でバレたら、石は投げられないとしてもいい顔はされないでしょう。私はとっくに顔が知られていますが、ジンさんはまだ知られていませんしね、当面はこうしておいた方が良いと判断しました」
言いながらやれやれと嘆息するアヤ。
「ってことは想像通り、フォルン家は街の奴らから嫌われているみたいだな。商品の売買まで断わられるとか……。フォルン家をしたんだ? 領地の運営で問題があるとか……」
貴族が自分の領地に暮らしている領民に反感を買う理由として最たる例は重すぎる税の徴収だ。
貴族としても領地の開拓や整備には資金が必要になり、かつ帝国に上納する金銭も考えれば、領民から税を徴収する必要が出てくる。しかし、そんなことで『売国領主』と言われる状態になるとは考えられなかった。
アヤもまたジンの推測に一つ頷きを返すと、ポツポツと語り始めた。
「事の発端は、フォルン領が帝国領に併合された事が原因になります。フォルン領は元々は、今小競り合いをしている教国の領地だったのです」
「フォルン領が教国の……」
言いながらジンが思い返すのはこのあたりの地図。
確かに数年前までこのあたりは帝国の領地では無かった。だが、大規模な戦争など泣く、フォルンは帝国に併合されたと彼は覚えていた。
「当時の情勢は帝国軍がフォルン領に向けて進軍。荒野には幾つかの貴族が治める街が点在していたのですが、教国からは領地を守る軍も送られず、フォルン家や他の貴族家は領地の保有している領軍だけで帝国と戦争をせざるを得ない状況でした」
「そんな馬鹿なことがあるか! 帝国軍に貴族家だけで立ち向かえるはずがないだろ」
「ええ、不可能です。しかし教国にとってはフォルンの地は当時、不毛の荒野で多くの税も徴収できなかった守る価値のない領土でした。だからこそ、教国はフォルン領を見捨てて、現在の国境線のあたりに軍を配備、フォルン家で時間稼ぎをして帝国軍を迎え撃つことを選びました」
「それじゃあ、フォルンは見捨てられたんじゃないか」
ジンの言葉にアヤが首肯する。
「本当ならフォルン家は教国の為に領軍を率いて戦うべきだったのでしょう。ですが、現当主様……、つまりはミラ様のお父様であるセレスト=フォルン様は帝国に対しての一切の抵抗をせず、フォルン領を帝国に対して戦争を行う事無く降伏したのです」
「それは……。いや、仕方ない……な」
「ええ。もしも戦争になっていれば、間違いなくフォルン軍は壊滅。この地には何も残ることは無かったでしょう。現に、帝国軍に対抗しようとした周囲に幾つかあった街は殆どが帝国軍によって次々と蹂躙されましたから」
縦断するだけでも数日はかかる広大な荒野。今尚、荒野の各所には各地の街のあった廃墟が残り、盗賊の根城やモンスターの巣となっているらしい。
結果だけを見れば、戦争を回避したフォルンのみが荒野に残った唯一の街となった事で、荒野の大半はフォルン領と帝国に指定されるフォルン家は広大な領土を手にした。
そして帝国軍はその後も、フォルンの街に駐留し教国のフォルン奪還に備えて軍備を進めたらしい。
「ですが、教国はその後もフォルンの奪還に軍を進めることはありませんでした。教国の対応は。帝国のこれ以上の進軍を阻止すべく、荒野の先に広がっている草原に砦を築く事だったんです」
「どうしてだ? いくら不毛の荒野だからって、領土を失うことは教国にとっては痛手の筈だろう?」
「当時の帝国軍と正面から戦っても教国に勝ち目はありませんでした。それならばいっそと、教国はフォルン家を始めとした幾つかの貴族家を切り捨てたのでしょう」
悲壮な表情を浮かべるアヤ。当時のことを思い出している彼女の様子が雄弁に彼女も苦労をしていたことを物語っていた。
「その後、フォルンは帝国に併合され、フォルン家は帝国との争いを避けたことから、現在までフォルンの地の領主として残ることが出来るようになりました」
結果だけを見れば、戦争の回避に成功し、土地や人々に被害を出すことも無く領土を広げたフォルン家の判断に間違いは無かった。
だが、何も対価が無かった訳ではない。
教国との戦争に備えて帝国軍が永く駐留することによって街には多くの兵士が残り、その兵士達の兵站などをフォルン家が用意することになったのだ。
いつ始まるかもわからない戦争の為の軍への資金援助は、到底フォルン家がこれまでの財政状況から賄える物では無い。資金を集める為には領民から税を徴収するしか無かった。
結果、領地に暮らしている人々からフォルン家は教国を裏切り、帝国に寝返ったと見なされ、『売国領主』などという汚名を被ることになってしまったのだ。
「それでも、ここ数年は領民とフォルン家の関係は改善されていたのです。何も無かった不毛の地が、領主代理としてミラ様が矢面に立ち指揮をとることによって、南方の海と帝国の首都を繋ぐ交易の街として発展したのですから」
街の商店の賑わいを思い出すジン。今の賑わいは、ミラがこれまで尽力した結果と言えるものだ。
もしも領主本人・ミラの父親が指揮を執っていたのなら、領民の多くは反発をしていただろう。娘のミラが指揮を執ったところで、領民の反発は免れなかったが、まだ現領主よりはマシだったというのが、ミラに仕えていたアヤの見解だった。
「ミラ様には商才もあったのでしょうね。南方の商品を積極的に集めて北と南をつなげることによって、セーネや多くの宿場町が発展。関税をつくったことによって。領民への税の負担などを減らし、周辺の街々の交易地として発展したのはミラ様の手腕によるところが大きいです。もっとも、教国との関係は悪化の一途を辿りましたが……」
何も無かった不毛の地が、たった数年で交易地として活性化したのだ。それを目の当たりにすれば、教国としては面白くは無いだろう。
フォルンが発展すればする程、帝国は街を守る為に軍備を進め、フォルンの地の重要度は増していく。
「そうか。それで教国で作られた武器が盗賊達に行き渡って……」
「ええ、その通りです」
つい先日のセーネでの出来事を思い返すジン。
過剰なまでに教国で作られた武器が盗賊達の手に渡っていたのは、交易を阻害する目的があったのだろう。フォルンの交易が立ち行かなくなれば、帝国軍の軍備が進められることも無い。
国教沿いとしていくらかの軍は残るだろうが、これ以上の軍の拡大は食い止められるという目論見があったのだった。
「だけどちょっと待て。ここまで街を発展させていたのなら、街に暮らしている領民が未だにフォルン家に対して悪感情を持っているのはおかしいんじゃ無いか?」
「そうですね。数日前ならば、普通に売り買いくらいはしてくれていたでしょう。ですが、今回は時期が悪かったのです」
言いながら嘆息するアヤ。
「お忘れですか? フォルンは数日前に大量の塩が販売されたことによって、多額の経済的な打撃を受けたのです。その負担、全てがフォルン家だけで解決できるようもなものでしょうか?」
「……っ」
アヤの言葉に言葉を失うジン。
フォルン家は当然、私財をなげうって塩の回収を行った。その後も余った塩から利益を得るべく、ジンの考案した方法によって岩トカゲを元にした肉の補給などを進めることもできた。
だが、だからと言って街に暮らす人々に何も影響が無かった訳ではない。何人もの商人達が損害を被り、その被害は街に暮らしている人々にまで波及していた。
「ミラ様の迅速な判断によって、フォルンへの経済的な損失は最小限に抑えることができました。しかし、全ての領民の損害などを補填することなど到底不可能です」
そこまで言われれば、もうジンが何をしてしまったのかを理解した。
何人もの商人が被害を受けた今回の交易。その交易を発展させてきたのは矢面に立っていたミラだ。そうなれば、損害を受けた人々は思い出したのだろう。
フォルン家が『売国領主』という汚名を被っていたことを。
「フォルンには何の落ち度も無かったのにか?」
「理解している方もいるでしょう。しかし、怒りの矛先をおさめることは不可能です。誰かの所為にしなければ納得できない。そういうものでしょう?」
「それは……、ミラも承知しているのか?」
「はい。仕方の無い事だと仰っていました」
話は終わったとばかりに一息つくアヤ。そして彼女は衛士に馬車を借りる手続きを始めてしまう。
「街での医療品の確保はできませんでしたから。セーネならば取り引きをしてくれる店があるかもしれません。往復の時間を鑑みて、明日には戻るとミラ様にお伝えください」
言いながら恭しく一礼を残すと、アヤはジンと別れて街を出てセーネの町へと行ってしまう。その姿を見送ると、ジンは買い集めた食材を乗せた手押し車を引くクロを連れてフォルンの屋敷へと戻ることにする。
「お話しはなんだったの、兄様?」
「あぁ……、ちょっとな」
アヤとの話には同席していたクロだが、殆ど内容は理解できていなかったのだろう。クロは屈託の無い笑みをジンに対して向けている。
そんな彼女の髪をクシャリと撫でると、クロを安心させる為に微笑みかける。クロはくすぐったそうに目を細めていた。
けれどジンの心は穏やかでは無い。賑わっている市場を通れば、心に乗った重い罪の意識が自分を苛む。
本来なら糾弾されるべきは自分だろう。だが、もしも今回の件が自分に責任があるとジンが名乗り出れば、彼はきっと無事ではすまない。
そう考えれば、現在フォルン家にジンが滞在していることは、ミラが自分を匿っていることだと理解できる。それなのに、ジンはミラに何も報いることができない。
自分の失敗を補填してくれたフォルン家が今は矛先を向けられている。それをどうにもできない無力さを感じながら屋敷に帰るしかなかった。
(とりあえずアヤさんの件を伝えないとな……)
ようやく帰ってきたのは日が傾き始めた頃。
屋敷にはちょうど来客があったようで、門扉の前に一台の馬車が止まっている。そんな馬車の隣を素通りして勝手口へ向かおうとする。
「ジン! ジンじゃないか! どうしてお前がここに居るんだ?」
そんな中、彼の前に一人の男が現れた。
金色の髪の恰幅の言い男性。帝国軍の軍服に身に付け、帯剣をしている彼は、ジンを見て表情を明るくしていた。
「カロル……? カロルがどうしてここに……」
驚きで目を丸くするジン。対するカロルはジンの肩を叩きながら、久しぶりの再会を喜ぶ様子を見せる。
「知り合い? どう言う関係なの?」
軍服を着た男と親しげに話すジンを見て、訝しげな表情を浮かべているミラが、来客を迎える為にわざわざ屋敷からメイドを伴って出てきている。
(これは……面倒な事になりそうだ……)
そんな事を考えながら、久しぶりの友人との再会をジンは手放しで喜ぶことはできなさそうだと嘆息していた。