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第7話:商人と竜は使用人

 先日行った浅慮な商売によって、フォルン領に対する多額の負債も抱えてしまったジンはフォルン家の屋敷へと招かれていた。


 ミラに認められた専属商人にもなったジンと、彼の竜車を引く黒竜のクロ。初対面の時から美しくも自信に満ちあふれていたミラの使用人になると言うこともあり、きっと連日のように商人としての仕事で酷使されるのだろうと予想していた。


 しかし今、ジンが握っているのはどう見ても上流階級のお嬢様が普段身に付けているブラウスであり、彼は洗剤の入った桶の中にブラウスを入れると、服を洗濯板で手洗いしていく。


 商人とはまったく関係の無い洗濯。屋敷の雑事をさせられていた。


「洗い終わったら、そのまま干しておいてください」

「はい、かしこまりました!」


 ジンに対して声を掛けて去って行くのは、フォルン家に使えるメイド長のアヤ。ジンよりも一回りは年上の女性なのだが、ジンはそんな彼女の指示に明るく応えるが、彼女の目が無くなった事を確認すると嘆息する。


(俺は何だってこんなことを……)


 屋敷に呼ばれた自分の存在意義に疑問を持ちつつ、負債を抱えている彼に与えられた仕事に逆らうこともできない。指示に従って仕方なく洗濯を続けていく。


 一つにはこういった仕事も日当が支払われ、その一部が負債の返済に充てられているからだ。


 だが現状、このままでは負債の返済どころか余計な出費が増えてしまいそうだ。その理由が、ジンと同じように隣で洗濯をしているクロの存在だ。


 今まで静かだった庭に響く、何かが切り裂けるような音。うずたかく積まれた洗濯物を挟んだ隣では、クロが表情を引きつらせていた。


「兄様、ごめんなさい。破れちゃった」

「ま、またか……」


 洗濯板を片手にしながら、誤魔化すような笑みを浮かべるクロ。見れば、その手に持っているジンの衣服は、既にボロ布のような何かに変わっている。


 元々、黒竜であるクロは力のコントロールなどが危ういこともあり、洗濯や掃除など、およそメイドの仕事と呼べるものに一切の適性が無い。


 フォルン家の屋敷で掃除を依頼された初日に、ミラの衣服を三着、メイドを始めとした使用人の衣服を二着。ベッドシーツを一枚。それぞれ引き裂いてしまった為、その弁済もフォルン家への返済として加算されてしまっていた。


(やっぱり、俺の服を任せておいて良かった……)


 申し訳なさそうに項垂れるクロを見て、とりあえずば自分の服なら問題は無いだろうと、胸を撫で下ろすジン。しかし、やはりクロに洗濯は頼めそうにないと判断した。


「とりあえず、それは処分してくれても問題無い、残しておいても、雑巾くらいにしか使えないしな。最近は手入れもしていなかったら、クロはその服を雑巾代わりにして、竜車を洗って来てくれるか? できるだけ丁寧にな」

「う、うん! わかったよ、兄様!」


 ジンに仕事を任されたと嬉しそうに竜車の止められている倉庫に掛けていくクロ。そんな彼女を見送りながらジンは考える。


 竜車が壊されることは無いとは思うが、常識知らずで突飛な行動の多いクロのこと、胃がキリキリと痛むような心配は募る一方。


 このまま負債が増え続ければ、二人はフォルンの屋敷に一生奉公するハメになりそうだった。


(おかしい……。俺は商人として雇われたはずじゃ……)


 手を止めていることも出来ず、与えられた洗濯物の山を見てうんざりとしながらも黙々と手を動かすジン。フォルン領は今日もよく晴れていて、絶好の洗濯日和。これ以上のクロの失敗が無ければ、午前中のうちには終わるだろう。


 数時間後にはジンは任されていた洗濯物の手洗いを終えて、後は干すだけになっていた。


「ふむ……。初日に何枚も服を駄目にしてしまったのでは心配していましたが、この調子なら問題は無さそうですね」


 洗い終わった洗濯物をアヤにも確認して貰って、裏庭に干していくジン。ちょうどそこに、倉庫に向かっていたクロが帰ってくる。


 どこかしょんぼりとしたその様子に、ジンが考えるのは、また彼女が何か失敗をやらかしたのかという心配。だが、クロは倉庫に入ることはできなかったそうだ。


「倉庫の中は倉庫番って言う人が掃除するらしいの。だから竜車は磨かなくていいって。もっと簡単な誰でもできるような仕事を与えて貰いなさいって言われたよ」

「そ、そうか……」


 倉庫に入るや否や追い出されたあたり、クロが各所で被害を出していることが既に屋敷には広まっているらしい。


「兄様、兄様、次は何をすれば良いかな!」

「うっ……」


 正直、クロにはどこかで時間を潰してくれていた方がありがたい。


 だが、ジンの思惑を他所に、少しでもジンの役に立とうとやる気を見せてくれている。ただし、経験上クロに細々とした何かを任せると、失敗しそうな気がしておいそれと何かを頼むこともできない。


 屋敷内の掃除など任せて調度品などを壊すようなことになれば、目も当てられないだろう。


「そう言えば、生ゴミを捨てる為の穴を掘っておくように言われていたんだが……」


 仕方なく、思い出したかのようにジンが仕事を口にすると、クロはそれだけで瞳を輝かせて跳ねるように喜んだ。


「任せて! 穴掘りなら簡単だもん!」


 ジンの言葉に走って行くクロ。

 そんな彼女の背中を見送りながら、おそらくはスコップでも探しに行ったのだろう推測する。


(まぁ……穴掘りならクロでもできるだろう)


 そんなことを考えながら、今度は洗い終わった衣類を干そうと、洗濯物の山に取りかかろうとする。


 すると、その様子を見ていた彼女の存在に気が付いた。


 金色の長い髪に気品を醸し出す雰囲気。現フォルン領の領主代理であるミラ=フォルンがジンの様子を見に来ていた。


「中々精が出るわね。商人よりも使用人の方が向いているんじゃ無い? いや、あんな小さな子の相手ができるんだから、むしろ子守とかベビーシッターの方が適任かしら?」

「ミラ……。アンタなぁ……。俺は商人として呼ばれたと思っていたんだが? この洗濯物は新しい商売道具が何かか?」

「まさか。これが商売道具に見える? だとしたらやっぱり貴方に商才は無いと判断するしか無いんだけど」


 ジンの嫌味に対して不敵な笑みを浮かべながら応えるミラ。そんな彼女の様子を見て、ジンは深々と嘆息をする。


「わざわざ屋敷に呼んでくれたってことは、負債を返す為に何か俺にさせたいことがあったんじゃ無いのか? これじゃあ、いつになってもフォルンへの負債が返せないだろ?」

「あなた達の賃金からいくらか返済には充てているのは聞いてるでしょ? もっとも、今回は負債が大きすぎて、全体としては微々たるモノ。その上、何着か私の衣服をダメにしたとか聞いたけど?」

「そ、それについてはクロが……」

「あんな小さい子の所為にするなんて男らしくないわ。たとえクロがしでかしたことでも、監督責任が貴方にはあるわよね?」


 ミラの言葉に何とか言い訳を口にしようとするジン。しかしミラに呆れたように言われてしまえば、それ以上は何も言えそうにない。


「まぁ、貴方が来てくれて助かったわ。前々から使用人が足りないってアヤが嘆いていたしね」

「確かに人手は足りないようだが……」


 一般的な貴族家であれば、三十人程度の使用人がいるのが普通だろう。しかし、フォル家で雇っている使用人はその半分にも満たない。


 おかげで屋敷は慢性的な人手不足が続いているようだった。


「アヤの話では、一ヶ月くらい扱けば使い物になるでしょうって言っていたから期待しているわ」

「い、一ヶ月って……。最低でもその間は、下働きが続くのかよ」

「まあ、そうなるわね」


 完全に商人としての仕事をさせる気が無いらしいミラに、ジンが食って掛かろうとする。だが、ミラはそんな彼をニンマリとしたサディスティックな笑みを浮かべると、からかうように言葉を続ける。


「一応は誰でもできる仕事として洗濯を任せているけど、その中に私の下着はないから探さないようにね。会ったばかりの貴方に触れられたくなかったから、あれだけはアヤにお願いしているの」

「さ、探す訳が無いだろ! 馬鹿!」


 クスクスとおかしそうにジンを笑うミラ。完全に玩具扱いで遊ばれているようだ。


 そして彼女はもう用は無いと庭を去って行く。そして、そんな彼女と入れ替わるように、来ていた服を泥だらけにしたクロが戻ってきた。


「兄様、庭に穴を掘っておいたよ!」


 誇らしげに仕事の完了報告をするクロ。そんな彼女の姿を見て、今度はどんな雑用を任せようかと思案をする事になる。


 しかし、フォルン家の庭師がジンの所に怒鳴り込んできたのは、その数時間後の事。聞けば、屋敷の庭園にクロが爪で大穴を開けてしまったとのこと。


「クロ、次からは裏庭に掘ってくれ」

「……ご、ごめんなさい、兄様」


 ようやく洗濯が終わったが、まだまだ一休みはできないらしい。


 しょんぼりとするクロを慰めながら、庭師の怒りを鎮める為に庭園に空いた大穴を埋めに行く事になるのだった。

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