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第1話:セーネの町の商人と竜

ジン=アースがとある村の盗賊達から子供達を助け出した時から、遡ること一月前――、彼は黒竜の引く竜車の御者台に座り、街道を進ませていた。


 日差しは燦々と降り注ぎ、石レンガで整備された街道は肌が触れれば火傷をしそうな程に熱くなっているだろう。御者台に座る彼は白いマントを羽織ってフードで日差しを耐えてはいるが、熱気によって止めどなく流れる汗はどうしようも無い。


 走っているのが草原であれば、まだ地熱も和らいでいただろう。


 だが、周囲は一面荒れ果てた荒野で、森に生息するような毛皮を持った動物の姿は見当たらず、砂塵の舞う中を岩の様な鱗をもった竜種が闊歩し、猛禽類に似た取りが空を飛んでいた。


 周囲に休めそうな泉はおろか木陰すらも見当たらず、吹く風まで熱気によって生温く感じる有り様。竜車に乗っているだけで、ジリジリと体力を削られていく。


「ニイサマ、ダイジョウブ?」

「あ~……、あぁ、ちょっと大丈夫とは言いがたい……。クロはこの暑さは辛くないんだな……」

「アタシモアツイヨ? でも、コレクライナラダイジョウブ」

「まぁ……そっか。クロの鱗はマグマでも耐えられるしな……」


 聞こえてきた声は竜車を引いている黒竜――、クロの声。馬二頭が並ぶよりも大きな体躯をしているが、その口から漏れ出る声は、どこか舌足らずな発音は子供が喋っているようにも聞こえていた。


 どこか頼りない笑みを浮かべながらクロに応えるジン。御者台に置いていた水の入った水筒はとっくに空になっていて、このままだと遠からず熱中症で倒れそうだ。


 荷馬車の中に積んでいるのが、せめて瑞々しい果物ならば、幾らか気休めにもなっただろう。だが荷馬車の中に積んでいるのは、長距離の移送でも早々痛まない燻製肉を始めとした保存食。


 そして四つの樽に入れられた大量の塩しかない。飢えを凌ぐことはできても、今の渇きを凌ぐことは難しそうだ。


「ヨルニナレバ、スズシクナル」

「その代わり、夜になれば夜盗が出るだろ? その辺にモンスターも出歩いているみたいだし、このあたりで野営はできないよ」

「クロガタタカウヨ」

「余計なことは考えない。クロが怪我をする可能性もある」

「シンパイ、イラナイ。クロ、モンスターヨリツヨイ。ニイサマ、タオレルホウガイヤ……」

「気持ちだけ受け取っておくよ。どうしようも無くなったら助けてくれ。まぁ、今回は大丈夫そうだ。ほら……、ようやく見えてきた」


 言葉を交わしながら街道を走り続ける竜車。ジンが御者台から前方を指させば、石畳からのぼる陽炎の向こうに、石の壁と門に囲まれた街が見えてくる。


 ヘルテラ帝国・フォルン領の町の一つ。彼等が今回の行商で目的地に強いてた街道沿いにたてられた泉の町・セーネだった。


「あの町に到着すれば、とりあえずは野宿の心配が無いだろ。あと少しの辛抱だ」

「ウン、ワカッタ!」


 ジンの言葉に速度を上げる竜車。整備された石レンガの街道を走る黒竜の姿は、そろそろ町の門を守る警備にも見えているだろう。


「ク、クロ! スピードを落としてくれ! こんな速度で向かったら、敵意があると勘違いされても仕方が無いだろ!」

「ハヤクツイタホウガイイ!」

「そ、それはそうだが……。あぁ……、やっぱりか……」


 ジンの不安は的中し、町に向かってくる黒竜の姿に警鐘が鳴らされ、武装した警備の兵士達が武器を手に次々に出てくる。こうなれば、すんなりと町には入れて貰えないだろう。


「ドウスル? ブットバス?」

「物騒なことを言わないでくれ。とりあえず、スピードを落としてこちらに敵意が無い事を示そう」


 そう言うとジンが何も武器を所持していないことを示すように両手を上げ、クロが徐々にスピードを落としていく。


 程なくしてジンとクロの二人は町の警備兵達に武器を向けられた状態で囲まれる。


 積み荷を検められて行商人だと信じて貰い、町の中に入れて貰えたのは、数時間後の事だった。




 泉の町・セーネは帝国の街道沿いに建てられた、所謂宿場町の一つだ。

ヘルテラ帝国首都を中心に東西と南に整備された街道のうち、南の海に向かって伸びた街道にあり、荒野に幾つか存在するオアシスが町の中心にあるということで多くの商人や旅人が立ち寄っている。


 そしてジンもまた、このセーネの先にある城塞都市・フォルンへと今回の旅で仕入れた商品を届ける為の中間地点として、セーネの町を訪れたのだ。


「ここも十年前まではヘルテラの町じゃ無かった訳だが、随分と賑わうようになったもんだ。まぁ、これもオアシスがあるからこそだが……」


 出入り口の門を潜って町の中心へと竜車を進めるジン。そこかしこに、自分と同じ行商人の姿が見え、チラホラと武器を手にした冒険者達も街中で休んでいる。


 広場にはいくつもの商店が屋台を並べていて、街に辿り着くまでに立ち寄った村々に比べれば、随分と活気づいていた。


「このあたりで良いだろう。クロも人になって大丈夫だ」


 町についての話をしながら町の広場に竜車を止めるジン。程なくして竜車に繋がれていたクロが人の姿に戻れば、ジンが彼女の為に用意した黒い羽織りを掛けて艶やかな黒髪を撫でてやる。


 クロはくすぐったそうに目を細め、ペタペタと素足で広場を見渡していた。


「人の姿、久しぶり」

「まあ、今回は結構な距離もあったからな」


 赤い角を生やしたクロ。そんな彼女に興味深そうに広場に行き交う人々が視線を向けている。


 町の中心のオアシスを取り囲むように円形に並んだ幾つもの屋台。食料品を扱っている店が多く、ジンのような行商人が多いようだ。


「お店がいっぱいだね」

「その分、ここで商売をする為には街の入り口で税を払う必要があるんだけどな。まぁ、必要経費だと割り切って、まずは今日の宿代を稼がないと……。取り合えずば目玉商品の塩を売るか。仕入れ値から考えて、小袋に小銀貨二枚で売れば、充分に採算がとれるだろう」


 ジンは竜車に向かうと、商品を乗せた荷台の留め具を幾つか外して商品棚とする。すると竜を連れた行商人に興味を持った町の人々が、商品を見に何人か集まってきてくれた。


 商品を値踏みする人々の相手をしていると、幾つかの商品が売れていく。南の海からやって来たジンの竜車に積まれていた塩や魚の燻製などは特に売れ行きが良く、小銀貨や銅貨をクロが受け取ってジンが商品を渡していた。


 一時間もすれば今夜の宿を取る為の金額も貯まり、店じまいをするジン。クロから硬貨の詰まった革袋を受け取ると、二人は広場の近くにある宿屋へと向かっていた。


 ここセーネでも何泊かする予定だったが、この分なら思っていたよりも早くに次の町を目指せそうだった。


「セーネから海までは距離があるからな、やっぱり海産物はよく売れたなぁ」


 宿屋の一階に作られた食道で夕食をとりながら、今日の売り上げについて考えるジン。旅中の味気のない保存食とは違い、魔物の肉を焼いた料理に舌鼓を打っていると、目の前ではクロも同じように焼いた肉にかぶりついている。


 少し硬いが、どこかの町で届いた牛の肉を使っているらしい。


「どうしてお魚があんなに売れたの?」

「あぁ……、ヘルテラは元々内陸国だからな。首都に近付けば近付く程、魚や塩なんか手に入りにくいからよく売れる。特に今回は安く大量の塩が手に入ったから、随分と助かったよ」

「そうなの? でも……、帝国って今は南の海までが領土だよね?」

「そうだな。だから言ったろ、昔はこのあたりもヘルテラの町じゃ無かったって……」


 強大な軍を持ったヘルテラ帝国。現皇帝の即位から軍国主義を貫き、周辺の国々を飲み込むように併合をしており、ここセーネもそんな帝国の領土と一つとなった町だ。


「まあ、帝国としては当たり前の戦争だったんだろうな。フォルン領は海に近いし、領土を広げる為にも海を目指すのは当然。ここセーネも元はフォルンとヘルテラの戦争の要所として作られた陣地の一つだったし、町を取り囲んでいる石の壁や門は当時の名残だ。まぁ、おかげで石の壁が町を盗賊なんかから守ってくれているから善し悪しだが」

「ふぇ~……。やっぱり兄様、物知り」


 ジンの話しに感嘆の声を上げるクロ。


 しかしおそらくはジンの話は殆ど理解できていないのだろう。口の周りにさっきまで食べていた料理のソースが付いていて、フォークを逆手で持っている姿は、とても行儀が良いとは言えない。


 テーブルを挟んで座っているジンはそんなクロの様子に溜息を一つ吐くと、もっていたハンカチで口元のソースを拭ってやる。するとクロはどこか恥ずかしそうに頬を朱に染めていた。


「とにかく……、この町には海に向かう商人と、海から戻ってくる商人の交易の町でもある。俺達の目的は先に仕入れた日持ちのする燻製なんかを、この町で売ることだ。でないと、明日からは野宿することになる」


 言いながらジンが有り金をテーブルの上に並べれば、そこから宿代などを抜いていく。彼等の手持ちとして残ったのは一枚の銀貨と数枚の小銀貨、後は銅貨が数枚だった。


 商品の仕入れで殆どの手持ちを使った上に、町に入る為の税などで殆どの資金を使い果たしていたのだ。


「じゃあ、明日からはお仕事頑張らないだね。兄様、クロに任せて」

「まぁ……、荷運びには期待しているよ」


 フォークを片手にやる気を見せるクロ。程なくして食事を終えると、簡単に明日の支度を終えてベッドで横になるジン。そしてそんな彼の隣では、同じようにクロが横になりジンに甘えるように身を寄せている。


 やがて聞こえてきたのはクロの安らかな寝息。

 ジンを兄と慕う彼女の寝顔に、胸の中に込み上げてくるのは温かい気持ちだった。


 クロは人の姿になることもできる黒竜だ。本来は、黒竜が商人と暮らすことなど無い。クロは帝国軍などに所属して、兵器として使われているのが普通だろう。


 しかし、彼女を家族のように思っているジンはクロを兵器などにはしたくなかった。


 思い出すのはかつて自分が絶望した時の記憶。抜け殻のようになった自分を支え続けてくれていたクロの存在。


 この旅の果てにクロを幸せにすることを考える彼は、帝国から離れて国外で幸せに暮らす為にも、多くの金を稼ぐ必要がある。セーネを訪れ、フォルンの街を目指すのは、その為の通過点に過ぎない。


「明日も頑張らないとな……」


 静まりかえった部屋の中、ポツリと呟くと彼もやがてまどろみの中へと落ちていくのだった。

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