「『死』があるから人類は不幸? お前らが不幸なだけだろ! 勝手に主語をでかくするな!」
タカユキの言葉にたじろぐアカネ。
そうだ、と「僕」も頷いた。
「人類」と主語を大きくしてしまったから話はややこしくなってしまっている。
確かに多くの人間がそう思っているかもしれない。しかしそう思っていない人間も少なからずいるのではないだろうか。
いや、「僕」がそれを言ったところで主語が大きい。少なくとも「僕」はそう思っていない。
「死」は終わりかもしれない。人によっては辛いことかもしれない。
しかし、だからと言って他者を――仮にクローンが合法化したとしてもそのクローンを犠牲にして成り立つ「幸福」は本当に存在するのか?
そのクローンも絶対に「同一」と言い切れない現状で。
アカネは言った。「『魂』を観測することができればいずれは支配することができる」と。
いずれは、研究が、技術が発展すれば「魂」の観測は実現するかもしれない。「魂」の支配は成されるかもしれない。
それでも、本当にそれでいいのか、という思いはどうしても残る。
「僕」一人が声を上げたところでこの研究が国を挙げてのものならもみ消されるだけだろう。「僕」が声を上げる価値すらないかもしれない。
それでも、「僕」は間違っていると言いたかった。
人間の幸福は「死」を克服することで満たされるものではないと。
それにあの哲学書にはまだ続きがあったではないか。
「この認識を改めることができれば、たとえ不幸な人生であったとしても最終的に『幸せだった』と自分を肯定することができる」と。
人類が行うべきは「死」の克服ではない。行うべきは「自分は不幸である」という認識の改革である。
「死」の克服はただ栓の開いた水槽に水を注ぐ行為である。認識の改革はその水槽の栓を閉める行為である。どちらがより幸福に近づけるのかは、自明であるはずなのに。
あの哲学書の本質はそこにある。不幸だと嘆くのではなく、たとえ周りから見て不幸であっても自分は満たされていると考える方が幸せになれるのだという。
その考えも危ういことは分かっている。周りから見て不幸な境遇の人間がそれですら「幸せ」だと満足してしまえば人間の格差は広がってしまう。
だが、どうすればいいかは「僕」には分からなかった。ただ一つ分かっていることは、栓の開いた水槽に水を注いでも満たされないということだけだ。
そして、「かつて」の「僕」が望んだものは、その水を注ぐだけの行為である、ということだ。
だからこの研究は行うべきではない。多数の犠牲を生み出すことになるこの研究を許してはいけない。
そう、思うが、「僕」にできることはもう何もない。
諦めるしかないのか、と「僕」は考える。
そんな「僕」を見て、
「貴方は、どうしたいの?」
突然、アカネがそう問いかけた。
思いもよらなかった言葉。そんなことを聞かれても、「僕」には選択肢がない。どうすればいい、と困惑気味にアカネを見ると、彼女は「僕」が答えを出すまで待つつもりだ、と言わんばかりにこちらを見ていた。
暫くの沈黙が続き、夜の闇だけが静かに「僕」たちを見守っている。
長い、とても永い沈黙の後、「僕」は答えを口にした。
「……そう、それが貴方の答えね」
アカネが、ぽつり、と呟く。そこに否定も肯定もなく、「僕」の答えは本当に正しかったのかと一瞬迷う。否、間違っていてはいけない。
「僕」の答えに何も答えず、アカネはくるりと踵を返した。その行動に面食らうが、次の彼女の言葉で全てを理解した。
「いきなさい。それが貴方の選んだ道なら、私には止める権利がない。でも、少しでも後悔があるのなら、一瞬で全てが絶望に変わるわよ」
そう言って、彼女が歩き出す。
「貴方は貴方よ。『彼』と相容れない存在のね」
もう会うこともないでしょう、という言葉を残し、アカネが墓地を去る。それを見送り、「僕」もタカユキを見た。
「お前……本当に、それでいいのか……?」
「僕」の答えが信じられなかったのか、それとも納得できなかったのか。それでも、「僕」は構わない、と頷いた。
何故なら――。
「僕は、誰が何と言おうとも、僕は『僕』だから。誰が正しいかなんて、最終的には一般人が決めることだけど僕は僕の正しいと思った道を歩く」
「僕」の言葉に、タカユキは「そうか」、と一言だけ呟いた。それ以外、呟くことができなかった。それだけ「僕」の決断は揺るぎのないものだった。
タカユキが少し頭を掻き、それから「僕」の背中を叩いた。
「ほら、行くぞ。いつまでもこんなしみったれた場所にいられるか」
そう言って歩き出す。「僕」も、タカユキについて歩き出した。
「僕」の未来は「僕」が築く。それは誰にも干渉できないし干渉する権利も義務もない。ただ、心のどこかで「これでよかったのか」と迷うのは自分の決断が正しいとも間違っているともアカネに言われなかったからか。間違っている、と言われても「僕」はこの決断を覆すことはなかっただろう。それでも、何か言われたかった。
歩きながら、空を見上げる。無数の星がきらめく夜空に、一縷の希望を寄せる。
自分のこれからの行動は、赦されることなのだろうか。
星々だけが、それを知っているのだろう。
そして、その光が「僕」の背を押す。
「自分の信じる道を迷うことなく歩け」
そう、かつての「僕」に言われた気がした。
――It's all just beginning......