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4-3

「『魂』はまだあるという概念だけよ。でもその『魂』を観測することができればいずれは支配することができる」

 もし、「魂」の同一性を保持する方法が発見されれば、肉体を変えても「同じ人間」として存在し続けることができるのではないか、と。

「そのためにこいつを犠牲にするのか? これ以上こいつを苦しめるのか?」

 食って掛かるタカユキにアカネは小さくため息をついた。それは「仕方のないことよ」という意思表示なのだと「僕」は判断したが、彼女はため息の後に首を振った。

「……でも、『魂』の同一性が保持できたとして、本当に同じ人なのかしら」

 分からない、とアカネが呟く。

 「僕」もそれは同じだった。

 仮に「魂」が同じであったとしても、本当に同じ存在だと言えるのか。

 否、と「僕」の心が囁く。

 そんなことはあり得ない、と。

 しかし、その根拠が思いつかない。

 考えろ、と「僕」は呟いた。

 かつて大学を飛び級で卒業したという話が本当なら、この話題に「否」と断言できる根拠くらい見つけられるはずだ。

 転写実験のせいで飛び飛びになっている記憶をつなぎ合わせる。子供のころ、様々な学術誌や眉唾物のトンデモ理論など、様々な論文や本を読んでいたはずだ。

 「記憶」や「魂」に関わる、何か――。

 考え込んだ「僕」を見て、タカユキも何かを考え始めた。

「『魂』とか『記憶』とか分かんねーよ。ぶっちゃけ『テセウスの船』も聞いた感じじゃどっちとも言えるしさ……」

 そう呟きながらタカユキが考え込んだ時の癖で手にしていたペンライトをペン回しの要領で器用に回す。

 灯台の夜標ひかりのように光の帯がくるりと回る。

「……器用ね」

 タカユキの手元を見て、アカネが言う。

 その言葉に我に返ったタカユキがペンライトを持ち直し、まあな、と頷く。

「考え事するとついついやっちまうからな……身体が憶えてんだよ」

 それだ、と「僕」は思わず声を上げた。突然の「僕」の声に、タカユキとアカネが「僕」を見る。

 身体が憶えている、それなんだ、と「僕」は説明した。

 脳が、様々な「記憶」のイメージ、つまり、かつて「僕」が知りえた知識を「僕」に見せる。そして、気付く。これまで語り掛けてきた知識はオリジナルの「僕」の知識だったのだ、と。

 身体が憶えている、という現象は一般的に繰り返して脳が憶えてそのように動く「手続き記憶」とされる。だが、厳密には「手続き記憶」ではない「身体の記憶」が存在するという説もある。

 味覚など各種感覚は感覚器官が瞬時に記憶し、脳に送られている。本来ならその感覚の記憶はごく短時間で消えてしまうが、それが嗜好によって蓄積し、感覚器官自体が記憶してしまえば。

 実際、「記憶転移」も存在すると言われているのである。臓器移植を行ったら、臓器移植元の嗜好が移植先に人間に発現するような。

 それが「別の脳に記憶を移植した」が「同一の存在にならない」根拠ではないだろうか。そう考えると、「僕」が「元の僕でない」という証明ができる。

 以前、退院直後の飲み会で「僕」は「シシャモのから揚げ」を注文した。それはタカユキから見れば「あり得ない」注文で、いつもなら「レバー串」を注文していた、という話があった。

 今なら説明ができる。

 「前」の「僕」はレバー串が好きだった。しかし記憶を転写された「今」の「僕」の体を提供した人間はシシャモのから揚げが好きだったのだろう。

 その嗜好が、「僕」を変化させた。つまりそれは、「脳の記憶を消してもその人間を消すことはできない」証明になる。同時に「脳の記憶を書き換えても元の人間の痕跡は残る」証明になる。

 この肉体の記憶が解明されない限り、いや、解明され書き換えることができたとしても。それこそ本当に「テセウスの船」の問題になる。完全に同一のものになったとしても、その先はただの延長線になるのかすら分からない。

 だから無駄なのだと。

 記憶を書き換え、「死」を克服できたとしても、それはまやかしでしかない。

 人間は、「死」を受け入れなければいけないのだ。だからこの研究は停止するべきだと。仮にクローンや機械脳、生体転送といったSFの世界でよく見る技術が実現した時にもこの問題は発生する。

 まさに「テセウスの船」だ。

 人によっては「同一だ」と言うだろう。別の人間は「同一ではない」と言うかもしれない。その結論が人類の総意として確定しない限り、「同一の存在」を確定させることはできないのだから。

 これが、「僕」の結論。

 「最初」の「僕」だったらどのような答えを出したのだろうか、とふと思う。

 肉体の記憶まで完全にコピーできれば「同一」と言い切るのだろうか。

 しかし、「僕」にできるのはここまでだ。

 「僕」に法律を変える力も、研究をやめさせる権限もない。そもそも「死」を克服する研究を国が認めている時点で「僕」に勝ち目はない。この研究の危うさを主張したところで「国」という圧力に押しつぶされる。だから、「僕」は望むしかできなかった。できれば、「人」として――。

「『「人間」とは強欲な生き物だ。たとえ他人より幸福な人生であったとしても満たされていなければその時点で幸せだった、よかったと認識することができない』」

 不意に、アカネが呟いた。

 その言葉に「僕」はぎょっとする。

 まただ、またあの哲学書の一部だ。

 いや、そうではない。

 どうして、アカネがその部分を、知っている?

 どうして、と「僕」はアカネに問うた。

 どうして知っている、と。

 するとアカネは寂し気に微笑んで「僕」を見た。

「貴方はこの一節、何とも思わないの?」

 どういうことだ。

 アカネの言葉の意図が掴めない。

「人間は強欲なのよ。たとえどれだけ幸せであっても、満足していないと幸せと思えない。それは人類全体共通の認識」

 アカネが呟くように続ける。

「私達のね、この研究は人類を幸せにするために進められているの」

「……死を克服することが、か?」

 タカユキがアカネに問いかける。

 ええ、とアカネが頷く。

「人間は死ぬから不幸だと思っている。そもそも誰かが亡くなった時『不幸があった』って言うくらいじゃない。人の死は不幸なのよ」

 それは違う。人の死は不幸なんかじゃない。

 「僕」はアカネの言葉を否定した。確かに幸福ではないかもしれない。だが幸福ではないことがイコール不幸だとも思えない。

 死というものはあらゆる生物に訪れる唯一の平等だ。それを覆すなんて、それは、神を冒涜しようとする行為だ。

――神を冒涜する? 神など、存在するというのか――。

 声が聞こえる。これは「かつて」の「僕」の意志だろうか。

 いや、今はそんなものどうでもいい。「死を克服する」ことが人類の幸せにつながると?

 「僕」のように、全く関係ない人間を「なかったこと」にして生き続けるということが、幸せだと?

 勿論、「僕」のようなパターンは「僕」だけで終わることも考えられる。この研究が完成した暁には法改正され人間のクローンが認められ、記憶も何もない真っ新なクローンが作成されそこに記憶を移植するということが行われるかもしれない。

 それでも、それが本当に「幸せ」だというのか。

 死を克服することで人類は満足するのか。

 そんなこと、あるわけがない。「僕」はそう直感で思った。

 「人間」が強欲な生き物であるのなら、「死」を克服したところで、満足するはずがない。「次」を求めて貪欲に進んでいくのだ。

 その行く末が何なのかは「僕」には分からない。

 それでも。それでも思うのだ。

 「そんなことをしていれば人類は破滅する」と。

 駄目だ、そんなところで貪欲になってはいけない、と「僕」は声を上げた。

 アカネが戸惑ったような目で「僕」を見る。

「でも、『死』があるから人類は不幸だと感じる。そうでしょう?」

「そんなわけあるか!」

 突然、タカユキが声を上げた。

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