混乱する頭を落ち着け、最初に思い出した答えを告げると、彼女からは「教科書やウィキペディアに記載されている完璧な解答ね」と返された。
「それじゃあ、最後の質問をするわ。貴方の肉体を構築している細胞の一つ一つ、それは『生命』?」
その瞬間、背筋を冷たいものが流れた気がした。細胞の一つ一つ。「僕」が答えた模範解答から当てはめると――それは個々の「生命」を持つということになる。つまり――。
「……『魂』は、細胞の数だけ存在する、というのか……?」
タカユキが「僕」の考えを代弁する。同じ遺伝子構造であっても、別の細胞であれば別の存在であると。そして細胞は早いものであれば一か月、長くても二百日程度で入れ替わるという。つまりそのサイクルで人間は「別人」に変わっていく、アカネはそう言いたいのか。
「そうよ。サイクルの都合を考えると全てが完全に入れ替わるのは大体七年と言われているわね。だから私も、貴方も既に何人かの『自分』と入れ替わっている」
「だが、それだとお前の『同一人物』という話はどうなる……?」
タカユキの問いに、アカネが小さく頷く。
そうだ。「入れ替わる」ことを「別人」と表現するのなら初めの「同一人物」という話と矛盾が生じる。彼女は、「僕」を実験体にしているチームの一員である。「僕」が「以前の僕」と同一人物でなければ不都合があるのだろう。
だが、話を聞いていると矛盾だけでなく、迷いを感じた。
「本当に同一の存在」と見ていいのか、という迷いを。
そうだろう、「死」を克服することが目的で、別の肉体に「記憶」を転写することまではできた。だがその新しい肉体で以前の肉体と食い違う行動をとれば何もかもが破綻してしまう。それでは克服に遠く及ばない。
思わず、そう言うと彼女は「本当は機密事項だけど」と言いつつも口を開いた。
今、世界は「死」を克服する手段の一つとして別の個体に「記憶」を転写する研究を行っていた。現時点では法があるため、人間をクローニングしてまっさらな肉体に記憶を転写することはできない。「記憶の転写」の研究、果ては「死の克服」を目指すようになり、人間のクローン作製を解禁しようとする動きは出てきているが未だに人権団体などの抵抗は大きい。
しかし近年、研究が実を結び人類は漸く生物、特に「人間」の記憶をコンピュータに抽出することに成功した。脳内データが膨大であるためそれなりの規模のデータセンタークラスのサーバは必要になるがそれでも人間の「記憶」は抽出し、保管することができるようになった。
保管ができるようになれば次は「転写」である。
記憶の抽出の研究過程で脳内の電気信号が全て解析され、任意の信号をぶつけることで記憶の消去も可能となっている。それを踏まえて、記憶の転写には検体として志願した人間が全ての記憶を消され、転写先として指定された。
その主な実験体が「僕」だというわけだ。
しかし、問題点もあった。前の「僕」から次の「僕」へ記憶を転写しても、全く同じ存在にはならなかった。それは「今」の「僕」にも当てはまることだ。どこかで人格や嗜好、思考などに齟齬が発生した。それでは、完璧に「死」を克服したことにはならない。主任は、何度も観測を続けていたがその謎は解明できなかった。
そこで彼女は一つの仮説を立てた。それが「生物」、「生命」を根本から見直した「『魂』は細胞の数だけ存在する」だった。とはいえその仮説にも矛盾が存在する。細胞一つ一つが一つの生命体なら、「人間」とは何なのか、と。
複合生命体、と突然彼女は新しい単語を口にした。
「複数の生命がつながり、助け合うことで一つの、全く別の生命体を構築する。それが多細胞生物の基本。でも、それだと『記憶』はどうなる、って話になるわね」
そうだ。記憶が置き去りになっている。結局、記憶とは何なのか。
「お前の言い分だと、『記憶』は細胞一つ一つに宿っているとしか思えんが」
そう、タカユキが言う。
細胞一つ一つの寿命は短い。
生物が何年、何十年と生きながらえるには細胞の入れ替わりが必要だろう。
しかし、細胞が入れ替わり、数年前と同じ細胞が無くなった状態――完全に入れ替わった状態でも、生物は記憶を失っていない。
それは細胞が入れ替わる際に、同時に記憶も継承されている、ということなのか。
実際のところ、一部の神経細胞などは入れ替わりが発生せず、損傷すればその部分は再生することがないと言われている。結果として、完全な入れ替わりはあり得ないのだが。
その「決して入れ替わらない」細胞によって「記憶」は保持されていると考えるべきだろう。
それとも。
――「決して入れ替わらない」細胞があるから、同一の存在と断言できるのか。
存在の同一性。
アカネが言いたいことはここにあるのだろうか。
本来ならゆっくり時間をかけて分裂した細胞に引き継がれる「記憶」。しかし転写という、急激に別個体に記憶を引き継ぐことで同一性が保たれなくなり、「前」と「後」の「僕」に齟齬が発生するのではないかと。
そうね、とアカネが頷いた。
「『テセウスの船』って知ってる? ある物体があって、その部品を全て交換した時その物体は「過去のそれ」と「現在のそれ」で同一か? という話」
「なんだそれ? 聞いたことねえな」
タカユキはそう言うが、「僕」は聞いたことがある。いや、友人と議論したことがある。
その時のメンバーにタカユキもいたと思っていたが、彼が「聞いたことがない」と言うのであれば、一体誰と議論したのか。
違う、これは「かつて」の「僕」の記憶だ。「かつて」の「僕」が、幼かったころの「僕」が自分よりはるかに年上の研究者仲間に臆することなく議論を戦わせたその記憶だ。あの時「僕」はどう答えただろう。議論した記憶はあるが、その結末を思い出せない。
それでも、今の「僕」は思った。
構成物質が変わっているから、「同一ではない」と。
それを告げると、アカネはふっと寂しそうな笑みをその顔に浮かべた。
「……やっぱり、貴方は『彼』とは違うのね」
あの時の「彼」の結論は「同一である」だったのよ、とアカネが続ける。
同じ「記憶」を引き継いでいるはずなのに、最終的な思考が違う。
いや、一部の記憶を消去したから思考が変わったのか。
何が相違に至ったかは分からない。
肉体が別だからか、環境が別だからか、記憶が完全に一致しないからか。
――いや、そんなことはどうでもいい。
今必要なのは。
今この瞬間に必要なのは。
「僕」はアカネの知る「彼」ではない、その事実だ。
いくら「記憶」が存在の同一性を告げたとしても。
その「記憶」も完全ではない、と。
現に、同じ議論を行った結果が変わったではないか。
そう考えると、「記憶」も流転するもの。
同じ存在を永劫につなぎ続けることは不可能なのだと。
クローンであれば多少は存在の同一性を保てるかもしれない。しかし、細胞一つ一つに宿る「魂」が違うのだから、結局別人になってしまうはずだ。つまり、この研究は完成しないのではないのか。それとも、何か策はあるのか。