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4-1

 どれくらい走ったのだろうか。夢中になってアカネと走っていたが、彼女が立ち止まったことで「僕」も足を止める。追っ手もなく、少しほっとして周りを見たら。

 そこは墓地だった。数多くの墓標が立ち並び、深夜の闇が墓地のところどころに設置されている街灯の明かりで切り裂かれている。その闇をさらにタカユキとアカネが持つペンライトの光が切り裂き、墓標を照らし出す。

「ここは……」

 タカユキがぐるりと周りを見て呟く。

「ここよ」

 一つの墓標の前に歩み寄り、アカネが手招きする。「僕」も歩み寄り、アカネのペンライトを借りて墓碑銘を見た。

 暫くの沈黙。

 ごくり、と唾を飲み込む音が響いた気がした。

「嘘……だろ……?」

 それは「僕」が言いたかった台詞だった。

 墓碑銘として刻まれていたのは、「僕」の名前だった。つまり、「僕」のオリジナルは。

「そうよ、貴方のオリジナルは貴方と交通事故で死んだ前の貴方が起動される前に事故で死んでいる。亡くなる直前に、主任に言ったそうよ。『僕の死が未来につながるなら喜んで被検体になる』と」

「そんなことがあってたまるか……」

 弱々しく呟くタカユキ。そして、「僕」を見る。

「俺が見ていたのは何だったんだ。しかし、こいつ今年で新社会人の年齢だろ? それに俺とこいつは少なくとも大学の四年間を一緒に過ごしてきた。だったら研究者のオリジナルとやらと年齢が合わないしそもそも記憶だって」

 そうだ。よくよく考えれば、「オリジナル」が研究者だというのに「僕」がそれより年下の大学生だった、ということもおかしい話だ。

 いや、年齢に関しては実は「オリジナル」はずば抜けて頭がよく、飛び級で大学院を出て研究職になったということは十分考えられる。

 しかし、「僕」には研究者だったころの記憶がない。

 ――いや、そもそも――。

 「僕」は元々記憶の混乱が多い方だった。

 あの「事故」前後の記憶がないように、数日の記憶が抜け落ちていることもよくある話で、小学校後半から高校を出るまでくらいはただ夢中に過ごしていて逆に何も覚えていない、という感じだった。

 まさかそれも。

 そう、アカネに問うと彼女は「その通りよ」と頷いた。

「飛び級で、本来なら小学校も卒業していないような年齢で大学院を卒業。十五歳の時点で理論的神経科学の第一人者と意見をぶつけ合えるほどの知識量と理論でとても有望視されていた。あの事故がなければ……」

 そう言って、アカネは唇を噛む。

「あの日、貴方は自動車事故に巻き込まれた。貴方ほどの頭脳を失うのは惜しいと国を挙げて最高の医療チームを結成したけど、助けることはできなかった」

 臓器移植も何もかも最優先で行ったのに、貴方は助からなかった、とアカネは呟いた。

 全ての医師が匙を投げ、できることは記憶の抽出ただ一つだと研究者仲間に言われたのだと、悲痛な面持ちで続けるアカネに「僕」は胸が痛んだような気がした。

 アカネは過去の「僕」に何かしらの感情を抱いていたのだろうか。

 それほどに彼女の言葉は苦しそうだった。

「本人の希望なのよ。『でもせめて、被検体としての僕は普通の人間として生きていきたい』って。その上で『皆の力で死の克服を実現して』と。だから研究者だったという部分の記憶は全て消した。記憶の抽出の研究の過程で任意の記憶を消去することもできるようになっていたから」

 アカネにとっては、苦渋の決断だったのだろうか。「僕」の記憶を抽出するということは。

 しかし、何となく研究者たちが「僕」の記憶を抽出する決断を下したことに納得ができる。

 確かに死を間近に控えた一般人を被検体として記憶を抽出することは国を挙げたプロジェクトであるなら必ず通る道である。

 しかしそれを行うことで研究が外部に漏れる可能性を考えれば。

 この被検体が身寄りのない孤独な人間であればまだ漏れる可能性は低いだろう。それでも「僕」のような元から研究に携わっている人間が被検体になった方がはるかに安全性は高い。

 そして都合よく「僕」は事故に遭った。以前の「僕」が研究一筋であったのなら、もしかすると「被検体になる」ということくらいは言ったのかもしれない。

 ただ、問題は家族だ。当時の「僕」が未成年であることを考えれば、当然、被検体になることは家族の知るところとなるだろう。それなのに家族は知らない。いや――。

 違う。

 別人の体を借りて再生された「僕」が家族の元に返されなかったのは「僕」が一般人になることを望んだから記憶を消したわけではない。恐らくは――。

 その事故で家族も死んだのか、と「僕」はアカネに訊ねた。

 ええ、とアカネが頷く。

「貴方のご両親は亡くなったわ。あの事故で。即死だったらしい」

「な――」

 声を上げたのはタカユキだった。

 そんな都合のいいことが、とでも思ったのだろうか。

「ただ一人、貴方だけ生き残った。とはいえ内臓はめちゃくちゃで臓器移植しても定着することはなかった。でも、時間を稼ぐことはできた。その時に言ったのよ。『僕を記憶移植の被検体にして』と。そして『死を克服して』と」

 そんな、とタカユキは唸った。

「信じられない……こいつがそんなことを言うなんて思えない」

 その通りだ。「僕」は「死」を克服しようとなどは思っていない。「僕」のオリジナルはそう願ったのかもしれないが、それは間違いなのだ。

 アカネが、数歩歩き、それからくるりと振り返る。

「どうして私がここに連れてきたか分かる? まあ、深い意味はないのだけど、貴方と『彼』は同一人物だ、という証明がしたかった。それだけよ」

 その瞬間、タカユキが動いた。アカネの胸倉を掴み、視線だけで殺せそうな勢いで睨み付ける。

「何を今更! お前がこいつの検査をしなければこいつは何も知らずに生きることができた! こいつの人生を滅茶苦茶にしておいて、なにが『同一人物だ、という証明がしたかった』だ! ふざけるな!」

「……」

 アカネは否定しなかった。肯定もしなかったが、その態度は肯定した、とも言えるだろう。彼女が自分の胸倉を掴むタカユキの目をまっすぐ受け止める。その自信に怯み、タカユキは手を放した。

「そもそも、『魂』ってどこに宿るのかしら」

 唐突にそう告げられ、「僕」とタカユキは顔を見合わせた。別人の証明をしたいという割に、話の関連性がいまいち掴めない。それでも、「僕」は「僕」なりの答えを口にした。「魂」はその人間、いや、生物一つ一つに宿るのだ、と。

 ところが、アカネはそれを否定した。

「……貴方の考えは漠然としすぎているわね。それじゃ質問を変えるわ。貴方の『魂』はどこに宿っていると思う?」

 自分の「魂」の所在? そんなことは考えたことがなかった。どこに宿るか、それは思考を司る「脳」なのか、それとも肉体を維持する「心臓」か……そう迷いがちに答える。それに対しアカネはなるほど、と呟いた。

「確かに、『脳』なら脳死状態になると『魂』は消失したことになるし、『心臓』なら肉体が朽ちるときに『魂』は消失する。そんなところかしら」

 彼女は一体何を言いたいのか。話が全く読めてこない。そんな「僕」にお構いなく、彼女は続ける。

「それじゃ、『生物』の定義は何になるのかしら」

 それは、憶えている。生物の授業で学んだことだ。「生物」とはタンパク質からなり、酵素をはじめとした代謝の働き、そして核酸からなる遺伝子の働きを行う、その働きが「生命」となる、そう教わったものだ。ただしウィルスやリケッチアは特定条件が揃わないと増殖できないということから生物か、非生物かで長年議論されていたはずだ。

 そこまで考えた瞬間、「僕」の脳内にイメージが広がった。

 生命の模式図、DNAの二重らせん、分子図に――。

 ダメだ、これ以上考えてはいけない。

 「僕」が「僕」でなくなりそうな錯覚を覚える。

 こんな知識を、「僕」が持っているわけがない。

 飛び級で大学院を卒業? 理論的神経科学の第一人者と意見をぶつけ合った――?

 そんなことがあるわけがない。「僕」にそんな過去なんてあるはずがない。

 しかし、どうだ? 「僕」の記憶はこうもあやふやで、何一つ信じられない。

 いや、今はそんなことを考えている場合ではない。アカネに問われたことに回答しなければ。

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