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3-3

「やめろ、何しようとしてるんだ!」

 その声に、我に返る。

 「僕」の手は、指は、「転送開始」に触れようとしていた。心は知ることを拒絶しているはずなのに、体は無意識に答えを開こうとしていた。

「大丈夫か?」

 タカユキがそう言ったことで、「僕」は漸く腕を下すことができた。

 大丈夫じゃない。この状況で、大丈夫なわけがあるだろうか。

 目の前に「僕」と同じ姿の人間がいて、「僕」に関係のありそうな「何か」を転送することができるようになっている。

 その「何か」とは。

「まさか……お前、自身……?」

 何かに気付いたかのようにタカユキが呟く。その呟きが部屋に反響する。

「そうだ」

 不意に、昼間聞いたアカネが「主任」と呼んだ男の声が響いた。直後、設備の影から姿を現す。

「来ると思っていたよ。アカネがあんな真似をしなければ君は何も知らずにいられたものを」

 忌々しそうに主任が口を開く。

「だが、知られてしまったからには、処分せざるを得ないかもな」

「……どう、いうことだ」

 「処分」という言葉にタカユキが身構え、主任に向けて問う。

「こいつを、殺す気なのか」

 タカユキの言葉に主任はふむ、と顎に手をかけ、それからなるほど、と納得したように頷く。

「用済みの被検体モルモットは安全のために処分するのが当たり前だろう」

「な――」

 そう、言葉に詰まったタカユキの喉が鳴る。

 タカユキが一度「僕」を見て、それから主任に向き直る。

「モルモット、だと? こいつ、が?」

 ああ、と主任が頷く。

「彼は我々の研究には必要でね。だがこのことを知ってしまったからには今後の研究に差し障りが出る。ちょうどバックアップも取ったばかりだ、『次』に期待しよう」

 「次」という言葉に、「僕」は思わず自分の手を見た。

 あの事故の後からずっと感じていた「何かおかしい」という感覚。

――「僕」は。

――「僕」じゃない……?

 この時ほど、「僕」は自分の考えを否定してほしいと思ったことはないだろう。

 こんな考え、馬鹿げている。

 そんなことが、あるわけがない。

 あっていい、はずがない。

 それなのに、主任は、

「君はいつから自分がオリジナルだと勘違いしていた?」

 言葉は違えど、肯定した。

 膝から力が抜けるかのような錯覚を覚える。

 そのまま床に崩れ落ちかけた「僕」をタカユキが支える。

――嘘だ。

――それじゃあ、「僕」は。

「……オリジナルじゃない、ってことは、まさか、クローン……」

 本当に研究していたのか? とタカユキがかすれた声で呟く。

 法律で禁止されている人間のクローンを、本当に生み出している……?

 クローンか、と主任が呟いた。

「法律が許せばその方が人道的にはなるんだがな。法改正がまだ追いついていないのでね」

――法律が許せば?

「法律が許せばクローンですら作るって言うのかよ! ふざけてんのか!」

――それなら、この人物は。

「そもそも、ここで寝てるのは誰なんだよ。こいつそっくりで、双子か何かなのか?」

 いや、「僕」に兄弟はいない。タカユキもそれは知っているはずだ。タカユキとは大学からとはいえもう長い付き合いで、「僕」に家族がいないことは知っている。それとも、「僕」が知らない、生き別れの兄弟がいたとでも――。

 ふん、と主任が鼻で笑う。まるで「当たり前のことを聞くな」と言わんばかりに「僕」を見て、

「決まっているだろう、『彼』だよ」

 そう、はっきりと言った。

「いつから、『彼』が一人だけだと思い込んでいた?」

 おぞましいまでの主任の言葉に眩暈を覚える。

――「僕」は、一人ではない?

 しかし主任ははっきりと「法律が許せば」と言った。つまり、クローンではない。それなのに、「僕」は一人ではないと言う。

「んなわけあるか! こいつは一人しかいないし今ここにいるのが俺の知ってるこいつだけだ! いくら顔が同じでも間違えるわけが」

「現に今、君は間違えているがな」

 タカユキの反論を、主任が冷静に否定する。

「そこにいるのは君が知っている『彼』ではないのだよ」

「な――」

 嘘だ、というタカユキの呟きが聞こえる。

「そんなわけが、あるか……別人が俺の友人として接するはずが……」

「その根拠は?」

 相変わらず冷静に主任が問う。それはもちろん、とタカユキが答える。

「こいつは俺とこいつしか知りえないことを知っている。共有した記憶も何もかもが俺の知ってるこいつのものだ。こいつが別人なら元々のこいつの記憶を持っているはずがない」

――その瞬間、パズルのピースがぱちりとはめ込まれた。

 記憶。

 違う、と「僕」は声を上げた。

――記憶なんてもの、何の根拠にもなりやしない――!

 「僕」は思い出し、そして納得した。

 「僕」の記憶は「僕」のものではない。

 「僕」本来の記憶なんてものは存在しない。

 事故以前の記憶は、「僕」ではない別の「僕」が体験、もしくは転写された記憶なのだ。この部屋のプレートの「転写室」という文字の意味は、「以前の僕」の記憶を「今の僕」に移すためのもの。ファイルに「僕」の通院日に合致した日付が設定されていることを考えると、いや、考えたくないがこのファイルは――「バックアップ」。

 「僕」の記憶そのもの、だろう。

 「僕」には脳に疾患があって、その経過観察のために通院していると思っていたが、そんなことは実際にはなく、ただ記憶を抽出してバックアップするためだけの、通院。

 記憶の抽出なんて、脳内の情報を抜き取るなんて馬鹿馬鹿しい、そう思うものの何故か体は納得する。

 記憶の抽出自体は、技術として完成しつつあるのだと。

 そう思ってから、「僕」はベッドの上を見た。多分、今ここで眠っている「僕」そっくりの人間が次の「僕」なのだろう。主任は今日、「僕」がここに来るのを見越して、次の「僕」を用意した。今ここにいる「僕」をなかったことにして。

 主任が「分かっているじゃないか」と頷く。

「そういえば、タカユキ……と言ったか。アカネから聞いたが君は彼女と都市伝説の話をしたようだな。そうだ、その都市伝説は事実。この研究施設ではヒトの記憶をコンピュータに抽出し、別の個体に転写する技術を研究している。『生命の再生』と都市伝説では伝えられているようだが、概ね間違ってはいないな」

「その被験体がこいつだというのか!」

 主任が、小さく頷く。

「『彼』は自ら望んでこの研究に同意した。『死』の概念を覆すために」

 「死」の概念を覆す……? それは、生物が「死」から解き放たれる、ということなのか?

 それは危険だ、と「僕」は思った。確かに、記憶を転写すれば肉体が朽ちても新たな肉体で「蘇る」ことは可能だろう。しかし、それでいいのか?「死」という概念を消去して、本当にそれでいいのだろうか。

 そんなことがあっていいはずがない。ヒトは、生物として「死」を受け入れなければいけない。それを受け入れないのは神に対する叛逆だ。

「……そうか、君はそう言うか」

 「僕」の主張に、主任はそう呟いた。そこに少しばかりの寂しさを感じたような気がしたが、それでも主任に同意してはいけない。

 その頃になって、「僕」は漸く膝の力が戻り自分の足で立ち上がった。

 まっすぐ、主任を見る。

 違うのか、と主任が「僕」を見る。

「『彼』はそんなこと言わない。『死』を克服することこそが人類が進むべき道だと言っていた」

 嘘だ、そんなことを「僕」が言うはずがない。何かの間違いなのではないのか。だが、その考えの裏でまた知識が語りかけてくる。

――その通りだ。人類はあらゆる障害を科学で乗り越えてきた。ならあらゆる人類の未来に待ち受ける「死」という障害を克服しなければならないのは自明の事だ――。

 主任が、言葉を続ける。

「やはり、記憶転写はまだ研究段階だというのか。いや、記憶転写はできてもベースの人格が同調しない、ということなのか。これは君の脳を詳しく調べる必要があるな」

 ぞくり、と背筋を冷たいものがはしる。同時に、「僕」は理解していた。やはり、いつもの検査は嘘で記憶のバックアップを取っていたのだと。さらにあの事故で元々の「僕」は死んでいて、この施設で記憶を転写し、何事もなかったかのように世に放ったのだ、と。

 「僕」の脳を調べる、それなら普段から記憶のバックアップと同時に確認しているのではないのか。主任が「敢えて」言うということは――。

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