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3-2

 夜の病院は静かで不気味だ。

 巡回のナースが不自由しないように最低限の常夜灯だけ点灯した廊下を、「僕」とタカユキは進む。

 侵入自体は救急患者用の出入り口から簡単にできた。トイレに行くふりをしてそのまま奥に進み、暗い病棟に入る。

 「僕」とタカユキの足音だけが、廊下に響く。

 アカネが消えたと思った角を曲がると、そこから先は「僕」も踏み込んだことがない、知らない場所だった。

 幾ばくかの不安を覚えるものの、彼女が何かを知っているというのなら教えてもらいたい、いや、彼女からでなくてもいいから知りたいという気持ちが先に立つ。

「この病院にこんなところがあるなんてな」

 歩きながらタカユキが呟く。

 それはそうだ、この病院は大学併設のもの、研究施設も設置されているのだろう。

 一般外来の病棟とは違い、薄暗い廊下に人の気配はない。「僕」も周りを見回すと、ドアの一つが少し開いていることに気が付いた。それをタカユキに話すと、そこにいるのか、とその部屋に向かって歩き出した。付いて行くと、部屋の奥からカリカリという聞いたことのある音が響いていることに気が付いた。あれは、コンピュータのHDDの書き込み音だ、と思いドアの上の室名プレートを見ると「保管庫」と書かれている。

 そろそろと、タカユキを先頭に「僕」は室内に入った。そこには大量のコンピューター――脳内の知識がこれはスーパーコンピュータだと語りかけてくる――が設置されていた。その熱暴走を未然に防ぐためのエアコンがフル稼働で、なんとなく肌寒い。

「なんだここは……保管庫って書いてる割にはどう見てもサーバルームだろこれ……」

 不思議そうな顔をして、タカユキが周りを見る。厳密にはサーバとスーパーコンピュータは違う、と言いたかったがそれは敢えて口にしない。しかし、「保管庫」と書かれているということは何かを保管しているに違いないのだろう。それが何か……「僕」には見当がつかなかった。暫く、二人で何か手がかりになるものがないか探して回る。部屋の中をぐるりと一周するが、結局何も分からない。大抵こういう部屋には情報を引き出す端末があると思っていたがそれすらない。暫く探し回っても無駄足だと判断し、「僕」は部屋を出た。

「何なんだこの部屋……」

 そう毒づき、タカユキは薄暗い廊下を見回した。そして、ぎょっとしたように「僕」を見る。

「お、おいお前……」

 そう声をかけられて、「僕」は我に返った。

「何だよ、お前、呆然として……何か知ってるのか?」

 そうだ。

 「僕」は、

 ここを知っている……?

 初めて来たはずなのに感じる既視感。自分はこの廊下を「運ばれてきた」記憶がある。それは、自分の中にある記憶と、全くつながりも整合性もない記憶のカケラ。

 まさか、と「僕」は呟いた。呟いてから、視線を巡らせ、そこに目的の部屋があったことに気付く。ゆっくりと、足を運ぶ。膝が笑って、思うように歩けない。タカユキも「僕」の後を追いかけ、その部屋の前に立つ。

 そこには、「転写室」と書かれたプレートが掲げられていた。

 ここだ、と呟く「僕」の声が廊下に響く。どういうことだ、とタカユキが「僕」を見た。そんなことを聞かれても分からない。ただ、「僕」はここを知っているだけだった。中に何があるのか、この部屋を開けないと分からない。

 「僕」の視線がドアの横のタッチパネルに投げられる。そこに表記されていたドアの開閉状況は「開」。厳重な管理が必要なはずのこの部屋の鍵が開いているということは。

 いや、あり得ない。

 ここにアカネがいて何かしているとは到底思えない。それでもまるで何かのお膳立てかのようにロックは解除されていて、「僕」を誘っている。それとも、本当に誰かいるのだろうか。

 「僕」はドアノブに手をかけた。ゆっくりと、ドアを開ける。それでも中を見るのが怖くて、目をつぶって部屋の中に踏み込む。数歩入り、タカユキも部屋に入ったことを気配で確認してから「僕」は目を開けた。

「……な……んだ、これ……」

 「僕」の後ろで、タカユキがかすれた声で呟く。「僕」も同じだ。部屋の中を一目見ただけで喉がカラカラに乾き、声が出ない。

 そこには、様々な機械に接続されたベッドのようなものが設置されていた。

 ベッドには、人が寝かされていた。全身に様々なケーブルが接続され、まるで自律人形アンドロイドのような印象を受ける。

 そして、その顔は――。

 嘘だ、とかすれた声が部屋に響く。

 それはタカユキのものだったのか、それとも「僕」のものだったのか。

「どう、いうことだ……」

 設備と「僕」を交互に見比べ、タカユキが呟く。

「……お前はここにいるのに……なんでここにも……いるんだ……?」

 頭がすっかり混乱してしまい、何を言っているのかタカユキも理解していなかった。それでも、彼の言葉は間違っていない。

 そのベッドに寝かされていた人間は、どう見ても、

 「僕」

 だった。

 そっくりさんとかそういうレベルではない。どこからどう見ても、「僕」だった。

 よく見ると、わずかに胸が上下して、呼吸をしていることが分かる。

 最初に見たときはあまりにも動揺して、アンドロイドに見えてしまっただけだろう。

 いや、アンドロイドであるはずがない。

 ロボット工学が発展したとはいえ、人間そっくりな、人間と同等の動作をするアンドロイドが開発されたというニュースは聞いたことがない。いくら世に出ている技術が氷山の一角と言われていても、人間そっくりなアンドロイドが開発されればたちまちネタに飢えているハイエナのようなメディアに取り上げられるだろう。だから、これはアンドロイドではない、人間だ、と「僕」は自分に言い聞かせる。

 でも、どうして。

 「僕」はここにいる。

 そう、タカユキに聞くと「その通りだ」と肯定した。

「どう考えても、お前はお前じゃないか。ただの空似だろ……?」

 そう呟くタカユキの声は相変わらずかすれていた。

 その声音に、「まさか」という響きが含まれて行く。

「まさか……クローン……」

 そんなことがあるわけない。アンドロイドと同じように、人間の複製クローンなんてものが生み出されてしまえばメディアが、社会が黙っていない。

 クローン技術自体は存在する。でも、それはまだ動物実験の段階で、人間のクローンは倫理的な問題から各国が法律でその研究を禁じている。その法律の網をかいくぐる、または違法に研究されていることも考えられるだろう。だが、こんな簡単に侵入できてしまうような施設でクローンの研究を行えば確実に発覚する。

 それとも、実は「僕」が知らない間に法律が変わっていた――?

――もちろんそんなわけはない。「ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律」は依然有効だ。そしてだからこそ、クローンではない方法でここに「僕」がいる――。

 頭の中の知識が語りかけてくる。だからこそ「僕」がここにいる? どういう意味だ。

 「僕」の隣で、タカユキが深呼吸するように大きく息を吐いた。この部屋に入った時の衝撃をその一呼吸で吹き飛ばし、ベッドの横の端末に目を向ける。

「……流石に、ここまで来たら全部暴かないと気が済まない」

 事によってはメディアへのタレコミも考えた方がいい、と呟きながらタカユキは端末に足を向けた。タカユキが動いたことで「僕」も漸く硬直が解け、後に続く。

 ベッドの横に置かれた端末、そう思ったものは専用のコンソールでも何でもなくごく普通のラップトップパソコンだった。

 何かのアプリケーションが起動していて、入力待機の状態になっている。

「なんだこれは」

 そう言いながら、タカユキがディスプレイに触れる。

 ラップトップの周囲に外部入力デバイスマウスの類がなかったため、タッチパネルだと判断しての動きだった。

 その判断は正しく、タカユキが触れたことで画面が切り替わる。

「……なんだこれは」

 切り替わった画面を見て、タカユキが呟いた。

 一見、ファイルアップロードのためのファイル管理システムエクスプローラのような画面が開いている。

 片方転送先には何もなく、もう片方転送元には大量のファイル名が。

 ファイル名は大半が日付となっていた。それも、「僕」が大学に入った頃のものから、比較的最近のものまで、定期的に作成されたかのように、いや、毎月一ファイルずつ並んでいる。最新の日付は――今日。

 その前回、いや、過去に遡った日付に、何故か「僕」の胸がざわつく。

 全ての日付が、「僕」の記憶が正しければ「僕」の通院日と一致する。月に一度、とは言うがイレギュラーで通院した日も、都合が合わずに日程を変えた日も、全てこの一覧にファイルとして表示されている。

 偶然だろう、そう思いたいが、あまりにも日付が一致しすぎている。

 まさか、という「僕」の声が耳に届く。知らず、自分の口をついて出たその呟きにタカユキが「僕」を見る。

「心当たりがあるのか?」

 頷いて、「僕」は日付のことをタカユキに説明した。

 でも、日付は一致しているものの、「僕」の何がデータとなっていて、このエクスプローラに表示されているのかは全く分からない。

 それでも、なんとなく分かった。この端末は「僕」の何かを、「僕」と同じ姿をしたこの人にコピーするものだ、と。

 それなら一体何を。

 考えようとするが、「僕」の心がそれを拒絶する。

 考えてはいけない、今すぐここを離れろ、と心が叫んでいる。

 「僕」は何も見ていない、何も考える必要はない、と。

 それでも――。

 脳内をイメージが駆け巡る。

 まただ、と思っている間も様々な数式や模式図、論文が走馬灯のように流れていく。

 まるで、「僕」に何かを伝えようとするかのように。

――知っている。

 これが何なのか。何をするためのものか。

――いや、「僕」は知らない。

 こんなもの、初めて見た。こんなもの、知らない。

――いや、知っている。

 何故なら、ここを触れば――。

 突然、タカユキが「僕」の腕を掴んだ。

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