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2-2

 精神科の医師が「僕」にいろいろ質問する。それに答えていくが、「僕」の違和感はどんどん大きくなっていくばかりだった。念のために脳波も測定するが、特に異常は見られない、という。

「精神面では特に異常は感じられないのですが……しかし記憶に違和感があるとはね……食べ物の好みが変わったのは、やはり事故のショックとしか」

 医師がそう言うと、アカネが腑に落ちない、といった顔をした。

「本当に事故だけで好みが変わるなんてことあるのかしら……それに、抜け落ちている記憶があるとか、何かあるんじゃ……」

「しかし、脳波を測定しても異常は見られません。脳神経外科での結果では異常があったとしても、精神面は全く問題ありません。先ほども述べたとおり、事故のショックとしか」

 医師の言葉に、アカネはもう少し食い下がろうとしたようだったが、すぐに「分かったわ」と頷いた。食い下がろうとした、ように見えたのは何か言おうとして口を開きかけたからだったが、そんな行動に出るということは彼女は何かしらの仮説を持っていたのか、と考えてしまう。本当に「僕」は持病以外に異常はないというのか。気になって仕方がないが、精神面に問題はないということならそうなのだろう。

 「ありがとうございました」と医師に頭を下げ、「僕」はアカネと共に別館を出た。

「……そんなはずはないわ……何もないなんて、あり得ない……」

 別館を出てから、アカネがずっとそう呟いている。何か思うところがあって精神科に「僕」を誘導したが、当てが外れた、のだろうか。ただ、気になるのはアカネが「僕」の記憶に疑問を持っていることだ。はじめは「僕」の持病について別の面からアプローチしたがっているだけ、だと思っていたが、どうにも「僕」の記憶や事故前後での好みの変わりように興味を持っているのではないかと思えるようになってきた。彼女は、一体何を考えているのか。この病院の医師だというのは事実なのだろう。それにしてもどうしてここまで「僕」に興味を持つのか。やはり「僕」の持病が珍しいものだから、なのだろうか。

 そんなことを「僕」が考えながら歩いていると、病院の正門の前にタカユキが立っているのが見えた。そんな「僕」に気付いたか、彼もこちらを見て手を振ってくる。

「遅かったな。いつもはもっと早いだろ」

 そう言いながらぽん、と投げてくるのは冷めてぬるくなった缶コーヒー。「僕」が受け取ってどうしようか、と考えているとアカネの存在に気付いたらしく不思議そうな顔をした。

「誰だ、この医者。お前の主治医じゃないだろ」

 怪訝そうな顔をするタカユキに、アカネが「お構いなく」と答えた。

「ちょっと彼の持病に興味があってね、脳神経外科だけでなく精神科で内部からアプローチしてみようと思っただけよ」

 彼女がそう説明すると、タカユキはそれで少し満足したようだった。彼女から視線を外し、「僕」を見る。

「で、どうだったんだ?何か分かったか?」

 首を横に振る「僕」。「僕」が知りたかったことは、結局何も分からなかったのだ。

 何も言わなかった「僕」に代わり、アカネが説明する。

「脳波も全く異常なし。事故前後の記憶がないとか好みが変わったとか、全部事故のショックから、という診断よ」

 結局、診断として出たのはこれだけだった。

 「何も分からなかった」同然の結果に、アカネが診察費用を出すとは言ってくれたものの勿体無い、という感覚しか残らない。

「事故前後の記憶? あぁ、そういえば数日分抜けてた、とか言ってたよなお前」

 ふと、タカユキが何かに思い当たったかのように呟いた。こういった場合のタカユキの発言はどこかずれているような、飛躍しすぎているような気がしないでもないが、とりあえず聞いてみる。

「最近テレビで観たんだが、生物のゲノム解析はほぼ完了しただろ? それに飽き足りず生物の『生命』に踏み込んだ研究が始まってるらしくてな……ここからは眉唾物だが、『生命の再生』で人間が実験体になってるとかなんとか……」

 最後の方で言葉を濁しがちになったのは、自分でもさすがに話が飛躍しすぎていると気づいたからだろうか。「生命の再生」に関しては、絶滅種、絶滅危惧種の生物を再生させる研究が進んでいるとは学校で習った。しかし、人間が実験体になっているとは考えられない。そもそもこの国は確かに少子化が進んでいるが人類が絶滅危惧種なわけがない。本当に、タカユキの話は飛躍しすぎている。

「都市伝説だぜ? もしかしたら、どこかに再生された人間がいるかもしれない、もっともしかすると実はお前は事故で死んでいて、実験で再生された可能性だって否定できないだろ」

「でも都市伝説よ。信じる信じないは貴方次第だけど、友達を疑うのは感心できないわね」突然、アカネがそう言った。驚いて彼女を見ると、彼女は苛立っているような、言われたくないことを言われたような、そんな複雑な面持ちをしていた。その顔を見て、「僕」は胸がざわり、とするのを感じた。彼女は何かを知っている、そう直感する。だがタカユキは彼女の言葉に対抗するように、それでもって、ずばり、「僕」が考えていたことを口にした。

「なんだ、都市伝説だからあり得ない、ということか? それとも……あんた、何か知ってるのか?」

 一瞬、アカネが固まった。何かを知っている、その場にいた誰もがそう思った。すぐに硬直を解いたものの、彼女は先ほどまでの自信に満ちた態度が取れずにいる。

「わ、私は……」

 明らかに動揺を見せる彼女に、タカユキが詰め寄る。

「言えよ! こいつのこと、何か知ってるんなら教えろよ!」

「それはできない話だな」

 不意に、後ろから声が響いた。振り返るタカユキと「僕」。

 そこに、一人の男性が立っていた。白衣こそは身に付けていなかったものの首から下げたIDカードでこの病院のスタッフであるということは理解できた。だが、そのIDカードに記された所属名はもっともらしいが出鱈目だ。

――この病院にそのような部署は存在しない。一方でIDに振られた番号のチェックディジットは完全で、偽造ではない可能性が高い。彼は簡単には公には出来ない秘匿性の高い研究をしているようだ――。

 頭の中で語りかけてくる知識に驚いている間に、男性がこちらに歩み寄り、アカネの前に立つ。

「何故ここにいる」

「主任……!」

 アカネが、「主任」と呼んだ男性をその言葉をそっくりそのまま返したい、と言わんばかりの表情で見る。それを気に留めず主任は言葉を続けた。

「『彼』には必要以上に接近するなと言ったはずだ。何を考えている」

 主任の表情はとても険しかったが、何を考えているかは全くわからなかった。ただ、「彼」が「僕」のことではないのか、という推測だけが立つ。

 この主任は「僕」の事を知っている。いや、知っているというよりも――?

 まるで「僕」の症例について研究しているようだ、と直感で思う。確かに珍しい症例ではあるらしいしこの病院は医科大学付属のものである。どこかの研究室で症例について研究されているのかもしれない。そう考えれば辻褄は合う。主任とアカネはどこかの研究室で「僕」の症例を研究しているのだ、と。

「『彼』の『病気』は特殊なものだ。精神科で何か手がかりを掴もうと思ったのだろうが、勝手に行動されては困る」

「どういうことだよ、こいつの病気は一体何なんだ」

 タカユキが喰いつくが、それも軽く受け流し、主任は厳しい面持ちで警告する。

「君に『彼』の何が分かる。部外者は引っ込んでいてもらおうか」

 その瞬間、辺りをぞっとするような空気が流れた。果てしない殺意、とでも表現できるその空気にタカユキが怯んで思わず後ずさる。「僕」も、自分のことであるはずなのに何も言えず、動くこともできなかった。この二人は何か「僕」に関して重大なことを知っている、それは予想できたが身体が拒絶する。

「アカネ、少し慎め」

「……主任!」

 アカネが懇願するも、主任は全く聞く耳をもっていなかった。踵を返し、病院内に戻っていく。それを彼女は追おうとしたが、足が全く動かない。手だけが、主任に向けて伸ばされる。その手を、タカユキが掴んだ。

「おい!」

 びくり、とアカネが身を竦ませる。

「こいつは何なんだ、何を隠している、答えろ!」

 何故、「僕」ではなくタカユキが動いたのか。それは「僕」にも分からなかった。ただ、タカユキが「僕」に何かとんでもないものが隠されている、と判断していることだけは理解できた。

「……私は……」

 怯えた表情でアカネは口を開いた。どう言葉を紡ぎ出せばいいのか、何を話していいのか、明らかに迷っている。主任にあのような警告を受けた直後、確かに何も言えないだろう。

「……言えない……。確かに、彼の『病気』は特殊なもの……。私たちも解明したくて、脳神経外科の『外部』からではなく、精神科の『内部』からアプローチしたかった。ごめんなさい、言えるのはこれだけよ」

 そう言って、アカネがタカユキの手を振り払う。一瞬、タカユキが戸惑い、その瞬間をついて彼女は走り出した。

「おい!」

 タカユキが呼び止めるものの、彼女は止まる気配がない。すぐに病院内にその姿が消える。

「追いかけるぞ!」

 彼の言葉に、「僕」は我に返った。別に追いかけなくてもいいじゃないか、と思ったが、タカユキはアカネたちが「僕」の違和感について何か知っている、と確信しているようだった。病院に飛び込む彼を追いかけ、「僕」も再び病院に飛び込んだ。

 しかし、飛び込んだ直後、警備員に呼び止められる。

「邪魔をするな!」

 タカユキが警備員を押しのけようとするが、下手に暴れて通報されれば最悪、せっかく入った会社からの懲戒免職もあり得る。それに、警備員に邪魔されたことで「僕」たちはアカネを見失ってしまった。

 しかし警備員はまっすぐ「僕」たちを囲み、足止めした。

――まるで、アカネあの人が根回ししたみたいじゃないか。

 そう思ったが、今更何をしても追いつくことはできない。

 行こう、と「僕」はタカユキに声をかけた。

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