よく行く居酒屋に、「僕」やタカユキ、それから数人の友人が集まっていた。友人が「僕」の姿を見て「退院おめでとう」や「よく生きてたな」と口々に言い、今日の主役は「僕」だと言わんばかりに上座に座らせようとする。
全員がとりあえず生ビールを注文し、それから思い思いの酒の肴を注文、店員が注文管理の端末を手に席を離れていく。
「シシャモのから揚げ」を「僕」が注文したときだった。
タカユキの顔色が変わる。
「あれ、お前シシャモなんて食うのか?」
タカユキの言葉に、メニューを閉じようとした「僕」の手が止まる。他の友人も、意外そうな顔をして「僕」を見ていた。
「お前、いつもレバー串頼むだろ、好物だって言ってただろうに」
その言葉に「えっ、」と声を上げる「僕」。レバー串なんて、全く好物ではない。むしろ嫌いな部類に入るだろう。
「僕」のその反応に、タカユキがまあ、と呟いた。事故のショックで好みが変わることもあるのだろう、と解釈したのだろうか。
それにしても、自分がレバー串が好みだとは信じられない。昔からシシャモが好物だったはずだ。しかし、記憶の糸を手繰ると確かに「僕」はレバー串を好んで食べていた、ということに気付く。
嘘だろう、レバーのどこがおいしいのだ、と腑に落ちなかったがそんなことを考えていると脳内にイメージが展開される。
――レバーにはビタミンや鉄分、葉酸などが多く含まれている。特に豚レバーはタンパク質や鉄分が多く、貧血の人間は積極的に摂るべきだ――。
まただ、と「僕」は思った。
「僕」は時々目や耳にしたものの知識がウィキペディアの該当ページを閲覧しているかのように脳内にイメージが広がる。さっきここへ来る途中で読んだ記憶のないはずの哲学書の一部が脳裏を過ったのもそれだろう。そのおかげで大学の成績もトップで、身寄りのない「僕」は返済の必要のない給付型の奨学金の支給を受けることもできたが自分でも気持ち悪い、と思うことがある。まさかレバーでこれを見ることになるとは、と思っている間に生ビールが届き、乾杯する。
「そういえば、お前、後遺症はないのか?」
不意に、友人の一人がそう尋ねてくる。タカユキは看護師から詳しい説明を聞いていたらしく「僕」の入院中にそのあたりの話をしてくることはなかったが、気になっていたのだろう。「僕」が後遺症も何もない、と答えると友人が不思議だよな、と呟く。
「トラックに撥ねられた割には無傷とか奇跡がどれだけ重なったら起こるんだよ。いや、お前が死んでくれたらって思ったわけじゃないんだがな、本当にトラックに撥ねられたのか、なんてな」
そうだ。確かにトラックに撥ねられてほぼ無傷というのは奇跡だろう。といっても事故前後の記憶は全くなく、トラックに撥ねられたというのも医師にそう言われたからであって「僕」は全く覚えていない。
そこまで考えてから、「僕」はあれっと思った。
事故前後の記憶――いや、事故の数日前の記憶が全くない。「僕」が覚えているのは事故の数日前、とある持病の検査で病院――これも入院していたところと同じ医科大学の附属病院だ――に行ったところが最後だった。そこから事故まで、自分は一体何をしていたのだろうか。確かに事故前後の記憶が抜け落ちるということはあるらしいがそれでも数日の記憶がないのは何かがおかしい。
タカユキもさっき「事故のショックが残っているのか」と言っていた。
事故のショックで事故直前の記憶が消えた――いや、思い出せなくなっているのか。
確かに強いストレス、頭への衝撃などで記憶障害が発生することは理解できる。事故という強いストレス、そして異常を疑われた頭の状態を考えれば「僕」に何らかの記憶障害が発生していることも考えられるしおかしい話ではない。
――ということは、あの本を読んだこともそれについて考察したことも全て事実で、それをただ思い出せないだけなのか。
強いストレスがかかれば何らかの人格障害が発生することもあるだろう。
だから何度も読み返すほどの内容を「当たり前」のことと認識したのかもしれないし食べ物の好みが変わってしまったのかもしれない。
シシャモのから揚げをかじりながら、「僕」はなんとなく噛み合わない自分の記憶や思考と嗜好について考え込んでいた。