「僕」の退院を知ったタカユキが「僕」のアパートに押しかけてきたのは帰宅した直後だった。相変わらず情報が早い奴だ、と思う。大学に入学してからずっと付き合いのある彼は「僕」の入院中もちょくちょく差し入れを持って見舞いに来てくれた。他の友人も何度か来たが、タカユキほど頻繁に来た友人はいないだろう。
「相変わらず湿気た面してるな。ちょっと顔出せ」
タカユキの発言は相変わらず唐突で、意図がつかめない。「僕」が戸惑っていたのをすぐに察したのだろう、次の言葉で説明をしてくる。
「お前の退院を祝ってな、飲み会をやろうということになったんだ。お前が来ないと話にならないから顔出せ。酒は呑んでも呑まれるな、だ」
最後の一言が余計な気がするが、「僕」の退院を喜んでくれていることはすぐに分かった。元々友人と飲みかわすことは嫌いではなく、友人たちが喜んでくれているのなら参加するべきだろう。
そう思い、「僕」は頷いて財布を手に取った。
タカユキと並んで居酒屋までの道を歩く。
そこで「僕」は退院直前の疑問を彼にぶつけた。
――どうして、あの本を持ってきたのか。
荷物の一つとなっていた哲学書。タカユキは「お前、何回もこの本読んでたから」と言っていたが明らかに「僕」の好みの内容ではない。むしろ手に取らないような内容なのにどうしてそんなことを言い、持ってきたのか。
「あぁ? お前、暇さえあれば読んでたじゃないか。しかも毎回同じ部分を、だぞ? 『生まれてきたことへの全体的な肯定、生まれてきてよかったと思える人生を歩くことができればその時点で全体的な肯定は達成されたんじゃないか』と考察していたのはお前だぞ?」
タカユキのその言葉を聞いて違和感を覚える。
そんな発言をした記憶はない。
一体、いつ、「僕」がその話をした?
思考がぐるぐると回り始める。出口のない迷路に迷い込んだような錯覚を覚える。
するとタカユキもあっと声を上げて「僕」に謝罪した。
「あー、やっぱ事故のショックが残ってんのか、悪ぃ。なんか事故の後からお前ちょっと不安定だからさ」
いや、タカユキの謝罪は必要ない。
しかし――「僕」がそんなことを考察し、話していた、と?
そんな記憶は全くない。考えることもあり得ない。確かに「生きていればいつかはいいことがある」とは思っているがそれは当たり前の話だろう? それなのに何故考察を? 考察するまでもない内容なのに?
――「人間」とは強欲な生き物だ。たとえ他人より幸福な人生であったとしても満たされていなければその時点で幸せだった、よかったと認識することができない。それが「生まれてきたことへの全体的な肯定」を否定する根拠となる。この認識を改めることができれば、たとえ不幸な人生であったとしても最終的に「幸せだった」と自分を肯定することができる――。
唐突に脳裏に囁きかけてくる言葉。いや、「僕」はこの言葉を
どうしてそれを、「僕」が知っている?
読んだ記憶なんてない。普段読むような内容でもない。それなのに、どうして知っている?
自分自身に違和感を覚える。くらりと視界が揺らぐような錯覚。
目眩、というほどではないが、自分が自分でないような感覚が背筋を逆撫でする。
事故以前にはこんな違和感は覚えなかったはずだ。やはり、事故で頭を打って何かしらの異常が出ているのだろうか。
不安にはなるが折角タカユキが企画してくれた退院祝いの飲み会、それをこんな、「僕」自身の違和感で台無しにしたくない。
頭を振って不安を振り払う。
考えすぎだ。「僕」に異常なんてない。
ただ、事故のストレスが残っているだけだ。
大丈夫か、とタカユキが「僕」の顔を覗き込んでくる。
大丈夫、と返し、「僕」は早く行こう、と彼を急いた。