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第32話「どうでもいいし、なんでもないよ」

 私の言葉を聞いた朝風君の様子は、溺れている人とよく似ているようだった。

海原さんが彼と同じ大学に行くと決めていたこと。そしてそこへの推薦枠を既に持っていること。

2つ、たった2つの”知らないこと”。それぞれは彼にとって衝撃的な事実で、矢継ぎ早に話す私の口から出た大波に攫われ、吞み込まれてしまっているみたい。


「そもそもね、朝風君。あなたがいつまでも進路希望を出していなかった間、海原さんは既にその大学を記入して提出していたの。それに加えて今回の大賞受賞。学校としても推薦できない理由も、しない理由も無かったのよ」


追い打ちをかけるように言葉がすらすらと出てしまった私は、彼に対しても苛立ちを感じているのかもしれない。

あなたがもっと早く決めていればこんなことにはならなかったかもしれないのに。あなたが海原さんに……これ以上はやめておこう。


「だから、意味がない……って言ったんだな」

「言い過ぎたとは思っているわよ。でもね、少なくとも別の画展に出ることだってできたはずよ。わざわざ同じところに参加する必要だってないし」


朝風君の言葉はたどたどしく、口の動き方もどこかぎこちない。頭で整理しながら言葉を選んで、這い上がろうとしているみたい。


「あいつが同じ画展に参加する理由なんてわからない。単純に特典としてついてきた参加権だったからなのかもしれないし、アイツしか知らない理由があったのかもしれない。ここでいくら考えたって出てこないような理由がな。それでも、アイツは確かに”出る”。そう言ったんだ」


長い髪をかき上げながら彼は言う。ボサボサに跳ねた髪は思考の散らばった頭の中みたいで、けれど汗が引き、滑らかに動く唇が彼の覚悟を語っているように見える。


「上手い言い方が見つからなくて悪いがな、天野。描く意味があるかどうかとか、参加する意味がどうとかそんなもの、”外野”があれこれ言うことじゃないだろ。真剣だったぞ、アイツの目は」

「……ごめんなさい」

「それは俺に言うことじゃない」


そう言う彼の目もまた真剣に私を見つめていて、”外野”という言葉の壁で私を遮る。真夏だというのに指先は凍るように冷えていた。

長帽子を深く被り直す。眩しい何かを遮るように。


「今やるべきことはどうしてなんでなんてことじゃない。どうすれば大賞を獲れるのか、どうすればアイツに勝て……いや、良い絵を描けるのか。だ」

「それなら、この間の画展にでも行ってみる? 展示期間はまだ終わっていないはずよ」

「海原もそうだが、ほかの作品だって俺に持ってないものを持っているからこそ、賞を獲れてるだろうしな」


丁度、確かめたいこともあったしな。小声で最後についたその言葉の意味はなんだったのだろう。それを考えるのも止めた。私は外野なのだから。

同時に橋を渡り切った私達はそれぞれの道を行く。別れの言葉くらいはと振り返ると彼もまた振り返り、慌てて長帽子を深くかぶり直した。


「天野も来るだろ?」

「え、えぇ。ほかの作品も見てみたかったしね」

「Ok,ならそう言うことで。あ、海原も呼ぶからな」

「ちょ、ちょっと待って? 海原さんも……呼ぶの?」


背を向けようとする彼の手を掴み、慌てて止める。風でずれる長帽子は何かを遮る役目を完全に放棄して、眩しい光が私を照らす。

当の本人は何も気にしていないようだけど。


「あぁ、お前も来るんだったら丁度良いって思っただけだ」

「丁度良いって、何が?」

「さっき言ってたろ、ごめんなさいって。流石にあれは言い過ぎだ」

「でもあれは――」


続く言葉は無言の圧力で止められた。冷ややかな視線を向けられたわけでも、口を塞がれたわけでもなく、彼はただ私を真剣に、やさしく見つめるだけ。

彼女のためだけでなく、私のためにも向けられた、やさしさだったのかもしれない。


「誰だってあんなこと言われたら嫌だろ。なんでも出来るアイツだって同じ人なんだから、棘のある言葉なんて言われたら相応に傷がつく。それに……同じ生徒会だろ。夏休み明けまで引きずると地獄だぞ」

「う、うん」

「俺はアイツに聞いとくから。お前もどう謝るか考えとけよ。それじゃ、またな」

「えぇ、またね」


そうして彼は一足先に道を行く。冷えた指先に残った彼の熱が消えるまで少しだけ私は、立ち尽くしていた。

――それに……

あの時朝風君は続く言葉を多分、すり替えた。たった数秒の沈黙はあるひとつの解釈を産む。

沈む夕陽の眩しさに重ね、眩しい光が影に隠れた言葉の正体を照らす。

あぁ、たしかに彼なら言いそうな言葉かもしれない。

髪を風がそっと撫でる。短くしたと言っても確かに過去の私はまだ、私の中に残っているみたい。


「”また”、お前の傍から誰か離れて行ったら、お前も嫌だろ」


風が止むまではまだ、もう少しかかりそうだ。




「お、おはよう」

「うん、おはよ」

「……」


そんなことがあった昨日からの今日。どう謝るかなんてことは一日二日でまとめることなんて出来ず、当日がやって来た。

約束の時間まであと数分の展示場前から見える空は私とは対照的に、青々とした空が広がっていた。

登校する時間よりは少し遅い朝の街、人通りはまばらで自動車のエンジン音も数分に一度聞こえるくらい。私と彼女の存在感はなにかに紛れることはなく、その輪郭をくっきりと映し出しているようだった。

隠す髪もいじる髪も過去に置いてきた。気まぐれに読んでいた正面玄関前のポスターも既に2周もしてしまった。

踏み出すしかないのだろう。今の私は。


「「海原/天野さん」」

「えっ」

「あぁごめんね。天野さんからでいいよ」

「いえ、海原さんからでいいわ」

「……」

「……」

「「どうぞどうぞ」」


私と海原さんはこうも性格が違うというのに、どうしてこういう時だけは重なってしまうのだろうか。日本人故なのか、私と彼女故なのか。

頭を抱える間の沈黙は重い空気をさらに淀ませるだけ。

後先を考える時間すらも無いけれど、再び私は踏み出した。


「昨日のことでね、少しお話がしたいのだけど」

「昨日のこと? ってー多分、アレのことだよね。わたしも一緒だよ」

「昨日は本当に、ごめんなさい。何も知らない私は昨日、あなたをたくさん傷つけてしまったわ。ううん、知らなくても知っていても関係ない。あんなこと、言うべきでは無かったわ」


頭はまだ下げない。彼女から視線を外すことは今の私にとって、逃げると同じことだから。

海原さんは真剣に、不思議そうな顔で私を見る。口だけで頭を下げないのか。そういう意味の疑問符では無いだろう。

そもそも、どうしてわたしが謝罪されているの? そう言いたげな表情でもあった。


「天野さんがなにかわたしに酷いこと、言ったっけ?」

「絵を描く意味なんてあるの? なんてことを聞いたり、あなたのことを”酷い人”なんて私はたしかに言った……よね?」


こうも想像していた反応が違うと、自分の言葉と記憶から自信が奪われていく。

人差し指を顎に添え、「そんなこともあったかもねぇ」なんて、昔話を聞いた祖父のように彼女は言葉を返す。


「気にしてないよ? だって、天野さんは当然のことを言っただけでしょ? 結局大賞を”獲れてしまった”この分野に居続ける意味なんて無い。しかも、推薦枠を持ってるのにわざわざ次のアートコンペ? に参加する人なんて、傍からみたら酷い人そのものだよ。天野さんは”当たり前”のことを言っただけ」


わたし気にしてませんよ。そんなアピールをする人は過去にも出会ったことがある。私の後輩、同級生、先輩。いくつもの気にしてないよを聞いたことがある。その時の表情だっていくつもあった。そういう時は決まって、微妙に釣りあげられた口角がぎこちなく笑みを浮かべているもの。

けれど彼女は笑うことも怒ることも悲しむこともなく、たんたんと彼女の中にある事実を並べるだけ。

そうだそうだと頷くことだって出来てしまう。私の言いたいこと、言いたくても秘めていたこと。彼女自身が私に突きつける。


「海原さん、あなた本当に……」

「悪い、ちょっと遅くなった」

「朝風くんだ、おはよー」


人間なの? その言葉を吐くことだけは、許されなかったみたい。


「開場ってもうしてるんだっけか」

「うん、わたしたちくらいの人が入ってったの見たよ」

「なら行くか。……天野?」

「えっ、えぇ、行きましょう」


朝風君のアイコンタクトには微妙な笑みで返答をして、海原さんが私に話したかったことはいつの間にかどこかに行ってしまって、複雑な心境のまま私達は展示場へと足を運ぶことにした。




絵画の展示場に足を運ぶのは、生まれて初めてのことだった。

一面真っ白な壁の殺風景は主役である絵画のために自らを殺し、吊り下げられたいくつものスポットライトは、またも主役であるソレのために命を燃やしているみたい。


「こうやって見ると、絵の大きさって結構バラバラなんだね」

「海原は初めてか。サイズ指定のない画展だとそうかもな」

「むしろ、全部同じサイズしかない方が少ないかもしれないわね」


そういうものなんだ。

シンプルなサイズで描いたわたしの絵と比べてみても確かに、横長や縦長の絵はパット見のインパクトは大きく、そのサイズであるからこそ表現できるものがあるのかもしれない。

横長に描かれたその絵は、水平線の彼方まで続く海の広さが強調されている。

縦長に描かれたその絵は、地球に惹かれ、重力に引かれ落ちる流星の長い尾と、高く深い空の強調がされている。

何をどのように伝えたいのか、それを理解した上で使う必要がある代物なんだろう。わたしにはまだ早いけど、朝風くんからしてもまだ、早かったのかな。

いや、むしろ巡り巡ってシンプルな長方形に落ち着くということもあるのかもしれない。ぐぬぬ……絵画、意外に深いかも。


「お、海原。お前の絵って、あれじゃないか?」

「知らない誰かが見てくれてるのは嬉しいけど、ちょっと恥ずかしいね」

「でもあれ……何かしら。そういう演出でも頼んだの?」


わたしの絵が飾られているのは展示場の最奥のど真ん中、一番目に入りやすいところに鎮座している。天野さんが首を傾げ、朝風くんが頭を回し、わたしは私の絵の下にある――ふたりの視線の先を見つめていた。

絵の前に立っているのは知らない女の人。多分、わたしと同じくらいの歳だろう。その人の足元には無造作に置かれた――棄てられたと言っても過言ではない数冊の本。天野さんが言っていた演出というのはこれのことなんだろう。


「わたしそんなの、頼んでないよ?」

「踏んだりしたら危ないし、そんなことを主催側が勝手にやることもないか……」


話しながら歩み寄っている間にまた1冊、床に本が棄てられた。文庫本サイズのそれらはどれもあかぎれだらけの指のように、切れ目の入ったページがまばらに広がる。


「あまり近づかない方が良いかもしれないわ。海原さん、行きましょ」


また一冊、本が棄てられる。絵の前に立つ彼女から棄てられるそれにどうしてか浮かんだ感情は、”おもしろそう”だった。

どうしてそんなことをしているの? どうしてわたしの絵の前に立っているの?

わからない。わからないからこそ面白そう。

天野さんの言葉を聞いたはずなのに、足は前に踏み出していた。


「あの……わたしの絵、気に入ってくださいました?」

「わたし……わたし? 今、『わたしの絵』って言いました?」


本を捲る指を止め、紙の擦れる音が消える。夏だと言うのに暑そうな黒いセーラー服を纏った彼女の丸メガネの反射はわたし一点に注がれる。


「はい。わたしの絵って言いました。ずっと熱心に見てくれていたからちょっと、気になってしまって」

「気に入りません」

「ん、んん?」

「気に入りません。見ているだけでイライラしてしまいそうです」


無表情に平坦な冷たい声でその子は言うけれど、本当にわたしの絵を見てイライラしてそうだ。いや、もしかしてその矛先、わたしにも向いてる?

あれ、やっぱり近づかなかった方が良い人だったのかな? この状況、結構マズい?


「作者が来ているなら丁度良いかもしれません。この苛立ちが晴れるかもしれませんから」

「えと……顔はやめてね?」

「短借的な発散なんてしませんよ。ただ……心は殴るかもしれません」


女の子の口から今から殴りますよーなんてニュアンスの言葉が飛んでくるとは、思ってもいなかった。

この子は一体何をするんだろう。わたしは一体、何をされるんだろう。


「そ、その前にさ、一応。ホント一応人違いかもしれないから自己紹介させてもらってもいい……ですか? わたしは海原、海原咲です」

「人違いではないですね」


うーん、ここは人違いであった方が良かったのかもしれない。丁度わたしに何か負い目があったみたいだし、天野さんの名前でも使った方がよかったのかな。


「些事ですが、私も一応あなたに伝えておきましょう」


何をされるかわからないから『結構です』とは言えなかった。本を閉じ一呼吸、これからあなたを殺す人の名前ですよ。と言わんばかりに瞳には殺意が込められているみたい。


柚木原 彩乃ゆきはら あやの。あなたに負けた受賞者です。そして、今からあなたを殴ります」

やっぱりわたし今日ここで殺されるんだ。


こんな状況でもわたしはどうしてか、彼女からの言葉に胸の高鳴りが止まることは無かった。


「教えてください。海原咲さん。コレは……」


『内なる庭園』の正体とは一体、なんですか?


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