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第31話「酷くお似合いな夕暮れ」

正体を知らぬ頭痛はものの数十分もすれば、そんな痛みがあったことすらも忘れてしまうくらいにどこか、遠くへ飛んで行った。

 ――今日はもう、帰った方が良いんじゃない?

 心配して天野はそう声を掛けてくれた。

 ――本当に大丈夫なんだ。このまま帰ってもなんだか、もったいない気がしてな。

 それは場所故なのか、天野故で出た言葉なのかは考えないようにした。

 それに、今日くらいはわがままを言っても良いだろう。どうしてかそう思えてしまったから。

 それなら、と言う天野とカフェを出で少し歩いたところには小高い丘がひとつ。外の風を浴びるのなら丁度良い場所があるらしい。

 地平線の彼方まで続くのは陽に照らされ、深い紅に染まった海。


「海っつーのは、こんな顔も出来るんだな」

「まるで燃えてるみたいね」

「いつか見たアレみたいにな」


 遮るものの無い丘の頂上では強く風が吹き付ける。時折、転落防止用に繋ぎ留められた南京錠たちがカラカラと鳴らす。

 ここもまた、あの神社のように何かゆかりの地であったり、そういう意味合いの者があるのだろうか。錠前というのは一般的に、何か大切なものを開けられてしまわないように付けるものではある。けれど同時に、何かを繋ぎ止めるものという意味合いもあるような気はする。

 この場合、どちらかと言えば後者だろう。それだとするならこれは一体、何を繋ぎとめているのだろうか。


「なぁ天野、これって――」


 振り返ったところで続く言葉を出す前に俺は、息をのむ。それは目の前の天野がそうさせたのではなく、視界の隅に映る良く知った、クラスメイトの顔があったから。


「あさかぜ……くん?」

「よ、よぅ……海原と……」

「あっ、ウ、ウチはこの際どうでも良いから! 咲、ほらもうカフェ閉まっちゃうからさ、い、行こ!」

「朝風、くん」


 海原と居るあの子はたしか……クラスにそんな人が居たような気がするが、名前は良く知らない子だ。俺と天野と海原と、目まぐるしくその視線を飛ばしながら海原の手を引っ張るが、肝心の彼女は眉一つ動かさない。

 それどころか、カッと開いた彼女の眼は瞬きひとつすることもなく、何かを見つめているようだった。


「あら、海原さんとこんなところで会うなんて、奇遇ね。それと、文さん?」

「知ってるのか?」

「知ってるも何も、同じ学校じゃない」

「普通は学年全員の名前なんて覚えないんだがな……」

「ど、どうしてわたしの名前を知ってる……んですか?」


 氷のように固まった海原はゆっくりと融け、なぜか他人行儀に天野へ問いかける。知ってるも何もだろうが……そうか、そういうことか。


「こいつ、天野なんだけど」

「えっ……えっ!? 天野さんだったの? だってその髪型とかほら、いろいろ……」

「えぇ、丁度良かったから切ったのよ。バッサリね」

「バッサリ……え、なんで?どうして……? ウ、ウチもう見てられないよ!」


 先、帰るね! 言いながら文、さん?は逃げるようにその場を後にする。残された天野はなぜか楽しそうで、対照的に海原は口を結んだまままた、固まってしまった。


「ねぇ海原さん。私のこの髪型、似合ってると思わない?」


 はい。としか言わせないようなその言葉に返ってくる言葉はひとつもなく、ただ寂しそうに錆び付いた南京錠が音を鳴らすだけ。


「ふたりはさ、どうしてここに?」

「あぁ、毎日勉強勉強なんて疲れるだろ。気分転換のスケッチ旅。みたいなもんだ」


 本当の事情はあまり言わない方が良いだろう。前に進むことのできた天野の過去をべらべらと話したところで、良いことなんてひとつもないのだから。


「年末にはまた、画展もあるもんね」

「画展? ちょ、ちょっと待って、どういうこと?」


 天野は発した海原ではなく俺を見る。あの日から数週間も経ってないのだから、あの天野なら特に忘れることも無いだろうとは思うが……そういうことか。


「前にお疲れ様会、やったろ? その時に”あの”柏木会長から連絡があってな。欠員が出たから繰り上がりで俺も画展に出られるらしい」


 海原にその話をした時はたしか、天野は席を外していたからそもそも聞いていないんだっけか。彼女は眉を寄せながら俺を睨む。短くなった髪で余計に強調されるその表情は末恐ろしいからやめてほしい。

 それに、天野に特別教えないでおこうなんていう話でもないからだ。忘れていただけなんだ、本当に。


「欠員が出た……? 申し込みだってまだ締め切っていないのに……?」

「詳しいことはわからん。ただ、理由なんてどうでもいいだろ」


 ……思慮深い天野には浅めに掘った墓穴なんて、あっという間に掘り返されてしまうだろう。”大人の事情”がそうさせたことにでもしておこう。


「朝風くん、本気なんだね」

「あぁ、手なんて抜けるわけないだろ。特に、一度負かされたお前にはな」


 口角を上げる海原。けれどいつもの余裕がそこにはなく、笑っているのは口だけのようだ。それだけ俺を重要視してくれるのは光栄だが、その視線は俺では無く、天野に向けられているようだった。


「海原さんもそれ、参加する”つもり”なの?」

「うん、”出る”よ」

「これ以上、あなたに絵を描く意味なんてあるの? 前のだって、ものの興味で出たものなんでしょう? それに、今のあなたにとってあの画展は……」

「わたしは出るよ。理由だって今、丁度増えたところなんだから」


 冷静に、言葉ひとつひとつを選んで並べる天野とは対照的に、海原はさらに一歩踏み込み、その言葉を両断する。言わせない。と言わんばかりに。

 俺と海原の話であるはずなのに、そもそもどうして天野はそこまでムキになるのか。これは良く分からない。当人が蚊帳の外に追い出されるとは思ってもいなかった。


「海原さんあなた。”酷い人”ね」

「どうとでも言えばいいよ。もう少し朝風くんのこと、信じてあげれば?」

「信じてないなんて言ってないじゃない」

「顔にそう書いてるよ。バッサリ切ったおかげで良く見える。うん、本当に良く”似合ってる”と思う」

「あなたね――」

「もういいだろ」


 文字通り三日三晩続きそうな言い争いを蚊帳の外から止めてみる。風の吹く丘の上でもやはり、男の声は良く通るみたいだ。沈黙を繋ぐのは肌寒いとはまだいかないくらいに冷えた冷気の音と、寂れた南京錠。

 それと、少しずつ遠ざかる足音がひとつだけ。


「今日はもう、帰るわ」

「天野ちょっと待てって……あーっと……海原」

「朝風くん。いいよ、行ってきなよ」


 天野がふたりに、俺が天野に、海原が俺に。二等に分けられる三角形の頂点で俺は振り返る。夕陽は俺の目を灼こうと光と熱を注ぐせいで、彼女がどんな顔をしてその言葉を言ったのかはよくわからない。


「悪いな。こんなことになって」

「ううん、朝風くんが謝ることじゃないよ」

「俺からも言っておくし、あいつからも聞いてみる」

「うん、また学校か……どこかで」


 来た道を戻るように、天野から延びた影を追うように俺は走る。海原から、彼女から背を向けたときに聞こえた言葉の真意を考える余裕は、今の俺にはなかった。


「……バカ」




 江の島大橋の半分を渡り切った頃、私を呼ぶ声が聞こえてくるようになった。遠くからそれは段々と近づこうとするけれど、歩みを止めずに背も向けたまま、私はひたすらに歩く。


「おい天野! ちょっと待てって!」

「別に、追いかけてきてなんて言ってないじゃない」


 膝をつき、息を切らしながら隣に立つ人なんて見なくてもわかる。ここまで走ってきたのだろう、伸びた髪はあちらにもこちらにも乱れている。彼の息が整うまでほんの少し、歩幅を小さくして歩くことにした。


「さっきのアレ、なんなんだよ。ただ俺も海原も次の画展に出るって話なだけだろ」

「だけ? 画展にでる”だけ”。 朝風君が出ようとしている画展だけど、それがどんなものか知ってるの?」

「知らねぇよ」

「そういうの興味ないものね。あなた」


 息を整え、彼が私に歩幅を合わせる。けれど今日はどうしてもそれが嫌で、今度は少しだけ歩幅を大きくして歩いてみせる。


「東京アートコンペ。歴史は浅いけれど多分、今一番注目されているアートコンペよ。理由はふたつ。

 ひとつ、今日日珍しく誰でも参加できるものではないというもの。この間みたいに入賞した人にしか送られない、云わば招待制みたいなもの。どうしてかあなたもそれを持っているみたいだけど。

 そして、ふたつめ」


 指を立て、私は彼に告げる。


「大賞入賞者にだけ送られる、美術推薦枠。どこか、なんてもう言わなくていいわよね」

「推薦、枠……」


 息を呑む音が聞こえるようだった。横目で見ると隣に彼は居ない。足音も聞こえない。


「それで、海原がそこに行くわけがないからって”意味がない”なんて言った。ってことか?」

「違うわ。むしろその逆よ。海原さん、あなたと同じ大学行くみたいよ」


 彼はまゆを潜めて私を見つめる。わからないのであれば、考えもつかないのであれば言うしかないでしょう、たぶん誰にも言わないだろうし。ここで彼の信用を使いたくは無かったけれど。


「美術推薦枠。あの子……海原さんは、既にそれを持っているの」



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