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第16話「染まるキャメルに挟まれて」

 ――今日、美術室行くでしょ?

 ――あぁ、行くけど

 ――美術の授業終わりに申し込み用紙置いといたから、そろそろ書いておいて

 ――俺が今日行かなかったらどうするつもりだったんだ?

 ――最初からそんなこと考えてない。だってどうせ行くでしょ?

 ――そう言われると帰りたくなるな。そういえば今日は来ないのか?

 ――生徒会あるから、終わってから行く

 ――はいよ

 校内スマホ禁止!そんなポスターを横目に携帯をいじりながら廊下を歩き、美術室の扉を開ける。いつのまにか、ここに来るのが俺の中でルーティンと化していた。

 中は相も変わらず誰も居なくて、机には鋭利な角をしている綺麗な用紙が2枚、ぽつんと置かれていた。これが天野の言っていた申込用紙なんだろう。1枚は俺用、2枚目は多分、海原用。

 適当に1枚取り、カーテンから漏れる陽光が良く当たる窓際でそれに目を通す。

 地域に根差すクリエイターに活躍の場がどうとか、新しい才能の発掘がどうとか。つらつらと書かれている大義名分はとりあえず、読み飛ばしてしまっても良いだろう。俺にとってはその画展がどんな大義を掲げているかなんてことは、どうでも良いのだから。

 読み飛ばして中段。それも同じく『どうでも良いこと』であるはずだが、記載されている文言にどうしても視線を持っていかれてしまう。

 賞:

 大賞:1作品 

 優秀賞:3作品


「大賞、1作品……」


 当たり前のことしかそこには書いていない。ただ、その文字を改めて前にするとどうしても、心に圧し掛かるものがあった。

 1作品。1作品だ。

 俺が大賞を獲れば、海原は獲れない。

 海原が大賞を獲れば、俺は獲れない。

 これもまた、当たり前のこと。

 第三者が大賞を獲ることだってあるが、そんなことは応募する前から考えることではない。

 膨らむ重圧は胸を圧迫しているようで、思うように息が吸えない。ただ、今はその方が都合が良い。苦しい中で回らない頭は、余計な想像をすることがないのだから。

 残りはよくある入選や知らない人の名前が書かれた賞……審査員特別賞みたいなものなんだろうか、がちらほらとあるくらい。

 大賞が一番なのはわかるとして、優秀賞と審査員賞?には名前以外に違いはあるのだろうか。こういった賞に応募する機会は何回かあったけれど、その度に考えては答えを見つけられていない謎のひとつだった。


「ん?」


 入賞欄の下に書かれた文章に、なぞる手を止める。

 ※大賞受賞者は、都の高校生画展への出品権が与えられます。


「高校生画展……? 聞いてないぞ」


 ここに来て出てきた知らない言葉は俺の思考を一瞬止めるほどの力があったようで、真っ白の頭の中にその文章だけが降り積もっていく。

 俺はこの画展を最後にもう絵画というものからは決別する。そう決めていたし、そう天野にも表明したことは昨日のようにも覚えている。

 出品権。これの言葉が意味することはつまり、『次』があるということだろう。

 夏と限定したとしても、画展なんて探せばいくらでもあるはずだ。この街でも隣町でも、特に東京に近いここでなら、多すぎて埋もれてしまっている画展が出てくるくらいにはあるはずだろう。別に近くでやっていようが遠くでやっていようが正直、関係はない。作品なんて郵送すればどんなものでも参加は出来るのだから。

 俺を焚きつけた天野は、俺を誘った天野は、このことを知っていたのだろうか。

 知っていたとしたらどうして、わざわざ『次』があるのかもしれないソレを俺の『最後』として提示したのか、これは単なる疑問ではない。疑惑や疑念のような、薄暗い感情だ。


「これは一度あいつに……『聞いてみた』方が良さそうだ」


 文章そのままの意味だけでなく、いろいろと、な。




「あ、いた」

「お疲れさま」

「おう、お疲れ」


 例の申込書はそのままに画材のチェックをしていると、生徒会の活動を終えた2人が来た。そういえば海原も生徒会だったな。

 当の彼女はいつも通りの表情で俺を見る。何かを隠した上での表情とはあまり思えなくて、とても責め立てようという気持ちになることは出来ない。どのみちタイミングを見計らって『お伺い』は立てるつもりではあるが。


「申込用紙、作品サイズとかはまだわからんが、とりあえず書けるとこだけ書いといたから」

「えぇ、ありがとう」

「あぁ! そういえばわたしもまだ申し込んでなかった」

「海原さんの分も用意はしてあるわ」

「ん、ありがとう! わたしも描けるとこだけ書いちゃお」


 海原は何も疑問を持たずソレにシャーペンを走らせる。少なくとも、彼女が居る前でこの話をするのは辞めよう。またややこしいことになるからという想いもあるが、本音はこれ以上海原にいらぬ迷惑はかけたくないから、だった。

 画展のことは今でなくともどうにでもなる。今は頭に浮かぶアイデアを出力できる画材達のチェックが先決だろう。洗い場横に置かれた筆、戸棚に整列した絵具に目を通す。

 筆はある、絵具は……少し足りないか。並べられた絵具は、ところどころ終わりかけの歯磨き粉のようにやせ細ったチューブがいくつかそのままにされていた。


「なぁ、絵具って学校で買ってくれたりするのか?」

「足りなそう?」

「あぁ、何色をどれくらい使うかはわからんが、少し不安だな」


 手招いて天野を呼ぶと、左手を膝に付け、右手で水彩絵具チューブの腹をなぞる。凹凸のある腹を滑らかにすべらせる指は、なんだか見てはいけないもののような気がして、長くは見ていられなかった。


「まだ結構残ってない?」

「それは水彩画用の絵具だろ。俺は今回、油絵で行く」


 悪い、言ってなかったな。そう加えて渡したチューブは凹凸すらもない位にやせ細っていて、彼女もそれをなぞることはしなかった。するまでもなかったんだろう。


「油絵にするの? 少し意外かも。油絵用の絵具は……たしかに、これだと少し不安かもしれないわね。画材の購入をしたことはないけれど……この学校なら許してくれるんじゃないかしら。帰りにでも一筆でもして『生徒会へのご意見』ポストに入れておいて」

「あ、それならわたし会長に言っておこうか?」

「言葉だけだと嘘だと思われるかもしれないでしょ」

「ひどい!」


 率先して手を挙げてくれた海原とは対照的に、天野は彼女を一瞥すらせずに冷たくあしらっているように言葉を続けた。なんでも率直に告げる天野の性格上、意外でも無いがそこまで信頼が無いのだろうか。


「半分冗談だけど、生徒からの意見として紙で書いておいてくれると話がスムーズに進むから、それはお願い」

「おう、助かる」


 信頼がどうのというよりも、手続き上の効率であったりルールが引っかかっていたらしい。一筆程度ならそこまで時間のかかるものでもないし、ルールに則る形となるならそれでいいだろう。


「それならついでに海原さんの分も必要になりそうだけど、どうする?」


 席を立った海原も屈んで戸棚を覗く。流石に小さな戸棚の前に3人も居たら窮屈になるから出ていこうとするが、天野ががっしりと肩を掴むものだから抜け出すこともできない。俺の肩を膝代わりにするのは辞めてほしい。

 並べられた絵具を見ながら海原はうんうんと唸る。それは天野の唸りとは違って、多分見ても良く分からないからこその唸りなんだろう。


「ううん、わたしは大丈夫。水彩絵の具はまだ残っているんでしょ?」

「海原は水彩で行くのか?」


 意外でもなく、むしろスタンダードな水彩を選ぶのは選択として間違ってはいないけれど、海原ももう技法を決めていたことは少し意外だった。


「うん、朝風君とは別々の技法で言った方がおもしろそうじゃん」


 そういえばこいつはそんな奴だったな。俺が水彩にしたら彼女は油絵にしていたんだろうか。なんでもかんでも適当で、ブレていると言えばブレているがそれが彼女なんだろう。『なんでもできるなら面白い方をやる』という根幹の信念は大樹のように根を張っていて、その視点から見れば筋は通っているのだろう。


「まぁ、おもしろいのかもな」

「ご意見。今日出しておいてくれたら、明日明後日くらいに生徒会で選んでくるわ」

「……?備品の買い出しって生徒会がやるのか」

「普通は学校だけど、もう締め切りまで時間あまりないでしょ? それに、期末テストもあるから尚更、生徒会としても早い方が助かるの」

「あぁ、期末テスト」

「期末テスト……」


 サラッと出たテストという単語に海原は思い出したかのような声で、俺は逃避していた現実に押しつぶされてしまったような声で呟いてしまう。

 忘れようとしていたわけではないけれど、忙殺された毎日の中で忘れてしまっていたソレはあまりにも大きくて、体調不良でもいい訳にしてどうにかスキップできないかと考えてみるが……それは先延ばしになるだけだろう。


「まぁ期末テストはなんとかなるとして」


 海原、俺はなんとかならないんだが……気楽に話す彼女は続ける。


「なんなら、朝風君も行く? この間みたいに一緒にさ」

「この間……?」


 肩を掴む手が一瞬、食い込むように力が入っていくのがわかる。

 これはいわゆる地雷というものなのか。表情こそ見えないが、おそらくこれはめんどくさそうなやつだ。


「この間偶然会ってな」


 嘘は言っていない。花火を買いに行くついでに偶然、海原に会っただけなのだから。ただ偶然という言葉は怖い。この場合、全く偶然というように聞こえないものなのだから。


「そう、一緒に参考書選びとかしたんだ~」


 食い込む爪が鋭さを増しているように痛みが走る。海原、余計なことは言うな。それとどうして少し楽しそうなんだ。


「へぇ……休みと言えば朝風君。昨日の夜はありがとう。私も楽しかった」

「よっ、夜!?」


 お前まで余計なことを言うな。それとどうしてすごく楽しそうなんだ。

 音量調整を間違えたスピーカーみたいに海原は驚きの声を上げながら俺を見る。どうせなら今日だけこの耳を折りたたんで、何も聞こえない日にしたいものだ。


「あー、あれだ、ちょっと花火やったくらいだから」

「花火!? ふ、ふたりで!?」

「えぇ、朝風君から誘ってくれたのよ。ね、朝風君」


 どうせならふたりでその話はしてくれ。それかもういっそ殺してくれ。

 天野との花火は海原の偶然とはわけが違う。文字通りの必然なのだからタチが悪い。たしかに俺から誘いはしたが……

 あの時の、謎に固まる指で押した通話ボタンの感触が頭に浮かぶ。

 俺でさえあの一瞬は頭をよぎるものがあった。ふたりで花火なんてなんというか、『それっぽい』じゃないか。って。

 今回に限っては『そういうこと』は一切ない……はずだ。俺もあいつもただ知りたかっただけなんだ。蛍日の正体を。本当にただ、それだけ。


「海原、た、ただな、あれは俺たちに必要なことだったんだよ」

「?なんで?」


 当然のように返って来る疑問はさらに俺を苦しめる。

 あれをイチから説明するとなると……いや、まずい。あの絵の話をするならば必然的に出てくるのは『天野の家に行った』という事実。

 海原の無垢な表情の裏にはどんな感情が渦巻いているのかはわからない。わからないが……返答によっては地獄を見る気がする。

 アイコンタクトをばと思って振り返るも、天野は天野でずっと楽しそうな表情を浮かべていて、あいつの感情も良く分からない。優越というか愉悦というか、その言葉の正体はあの顔のことを言うのだろう。


「もういっそ、殺してくれ」

「それはホントにどうして!?」


 九死に一生……得ることもなさそうだ。

 画材に埋もれた最期も悪くないだろう。冗談半分本音半分で、そんなことを考えていた。


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